2008年4月28日月曜日

60.吉野・宮滝から水分神社・蔵王堂

「アカシア紀行・俳句」2008年4月25日(金)


 4月のさわやかな天気の日、中学同窓生4人と
奈良・吉野の宮滝から吉野水分神社・蔵王堂へハイキングしました。
うち二人は女性で東京からのTさんと大阪からのDさんでした。
リーダーのS君はバス会社勤務で今も奈良の山の登山ガイドを
しているベテランです。
近くに住むもう一人の同窓生K君は都合で参加できなかったのですが、
彼の車で上市駅から宮滝まで送ってもらい、9時すぎ宮滝につきました。
電車で来る場合は上市駅からバスがあります。

 宮滝は飛鳥に都のあった頃、離宮があったところで、持統天皇は
19回も吉野の離宮へ行幸されたとのことです。
大きな岩が吉野川の流れに淵を作り風光明媚なところです。
我々は、宮滝の橋から万葉集にでてくる「象の小川」に沿って
南西へ沢を登り、御園分岐点から左へ(南へ)さらに登って、
花矢倉という桜の見晴らしのよい所からすぐ先の水分神社につきました。
途中滝など見ながらゆっくり登ったので11時すぎでした。
水分神社は古式豊かな神社で、神主が拝殿で花鎮めの祝詞でしょうか、
祝詞を朗々と上げていました。
それに呼応するように境内(斎庭)の山桜がちらほら散っていました。
鈴蘭はまだ蕾でした。

 その後、花矢倉の上の世尊寺跡の吉野展望台で、茶屋の甘酒をいただき、
昼食にしました。
展望台からの眺めは最高で、吉野の蔵王堂や桜の木々が見渡せました。
4月の終わりなので桜はぽつんぽつんと残っているだけでしたが、
見物客の少ない静かな吉野の春を満喫しました。
展望台の崖の上には旧世尊寺の鐘が頑丈な建物に保存されています。
この鐘は奈良東大寺の太郎鐘、高野山の次郎鐘とあわせて日本三古鐘の
ひとつで三郎鐘と呼ばれていますが撞かれるのは除夜のみとのことです。
展望台の子守茶屋の店主が、我々5人の記念写真を撮ってくれました。
背景が見下ろす吉野山なので脚立の上に登ってシャッターを押してくれました。
12時半頃から再び歩き、古刹の桜本坊、静御前が舞を舞った勝手神社、
義経・静御前らが滞在したという吉水神社のあと、蔵王堂を参拝しました。
ここで記念に寄進瓦に5人の名前を書いて、堂下の喫茶店でおいしい
コーヒーをいただき、土産の吉野葛を買い、ケーブルに乗らずに七曲りを
歩いて下山、吉野駅から3時半頃の電車で帰途につきました。
同窓生との山歩きは初めてで記憶に残る旅でした。


         み吉野の残る桜を惜しみけり     常朝

         水分社の祝詞に散れる山桜      常朝

         三郎鐘の音聞きたしや山桜      常朝


        (吉野水分神社の山桜)

        (展望台より蔵王堂など吉野山を望む)

        (吉水神社)

2008年4月21日月曜日

59.奈良大宇陀・森野旧薬園と大蔵寺

「アカシア紀行・俳句」2008年4月18日(金)


 桜を散らす4月の雨の日、妻、妻の友人、義兄姉らと奈良・宇田市大宇陀町の
森野旧薬園にいきました。
場所は近鉄大阪線榛原駅の南約7キロ、166号線(370号線)の道の駅の北側、
前の橋を渡って北へ約50メートルほどの旧道筋です。
近くの「あきのの湯」で昼食後、車を道の駅に置いて薬園を訪ねました。

 森野薬園はもともと吉野葛作りの家でしたが、江戸時代将軍吉宗のころ、
11代当主森野賽郭(さいかく)が幕吏に随行して近畿一円から北陸地方を
調査して集めた薬草を自家の薬園に植えて始めたそうです。
昭和天皇が昭和26年にこられた時の写真も資料室にありました。
建物は大きな民家で、中に吉野葛などの売り場があり、
その奥に仕切りのある長さ10メートルほどの白い楕円形のプールと麹蓋
(こうじぶた:箱)などを積んだ葛の晒し場がありました。

 薬園は家の裏の急な斜面にあり、120種類ほどの薬草や樹木が植えられています。
ふもとには石水亭、頂上部には桃岳庵、知止荘などの建物が残っています。
桃岳庵の近くの賽郭祠堂には賽郭夫妻と忠僕佐平の像がありました。
もう片栗の花は大方しおれていました。
アミガサユリ(貝母)、イカリソウなど草花も多いですが、花の木(花楓)は
なかでも珍しい木です。遠くからは赤紫の、まるで春の紅葉のような木ですが
花は直径3ミリくらいの細長い花が数個ずつサンシュユ(山茱萸)の花のように
房状にかたまって枝先についています。

 その後同じ薬園が経営している「葛の館」で 「葛きり」をいただきました。
「葛の館」 は薬園の北西約1キロの370号線沿いにあります。
そして近くの松山城黒門(関門)を見学後、山つつじを見ようと370号線を
南に走り、大蔵寺に行きました。

 大蔵寺は南の山中にあり、宇陀370号線の道の駅の南約2キロの関戸峠の
さらに1キロほど南で右折れして約1キロ走り山道に車を置いて歩きました。
山の中の古いお寺で本堂のほか茅葺きの弁事堂や、独鈷蔵もあります。
落ち椿や山つつじが見事でした。
本堂のそばに脇之坊跡があり使われていないブランコがさびていました。
我々は近くの草原で蕨採りを楽しんでお寺を後にしました。

 
         薬草園忠僕像も花明かり        常朝

         葛晒す水槽白く春の雨         常朝

         脇之坊跡の崖(きりぎし)山つつじ   常朝


        (森野旧薬園本館)

        (雨中の薬園)

        (大蔵寺弁事堂・若楓と山つつじ)

2008年4月10日木曜日

58.奈良興福寺・東大寺の花祭から峠茶屋

「アカシア紀行・俳句」2008年4月8日(火)

 4月の花祭の日、妻、妻の友人、義兄姉らと奈良・興福寺と東大寺に
参拝しました。
お釈迦様のお誕生日を祝う花祭は、潅仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)
ともいわれますが、昔はどこの田舎の寺でも草花で飾った小さな御堂、
花御堂を作り、その中のかわいい誕生佛に甘茶をかけ、お寺から甘茶を
いただきました。
今は花祭を実施するお寺は割合大きなお寺に限られているようです。
我々が10時頃興福寺南円堂につくとすでに仏生会の法要が始まっていました。
きれいな花御堂が南円堂の前に立てられ、そのすぐ外側に大きなテントが
張られ、中で11人の僧が声明をあげていました。
お経は般若心経、法華経寿量品などで、神様の名も上げられていました。
途中で僧は散華(さんげ:紙の大きな花びら)をうしろへ撒きます。
11時ころお経が終ると僧は順に誕生佛に甘茶をかけて法要が終わり、
散華を1、2枚ずつ分けてもらいました。
その後で我々も並んで甘茶をかけ、甘茶をいただきました。
甘茶は甜茶(てんちゃ)だそうです。
境内の鹿たちの角は秋に伐られた角が生えかける、いわゆる袋角で
高さ2、3センチの黒々とした皮袋に包まれたいました。

その後東大寺大仏殿にいき、大仏殿の基壇の正面中央に置かれた花御堂に
ならび甘茶をかけました。法要はすでに終っていたようです。
東大寺の甘茶はいわゆるアマチャ(甘茶)で、机の上に説明書があり
写真はヤマアジサイに似ていました。
大仏殿の方は外国人も多く、何語かわからない言葉もあちこちで聞こえました。
大仏殿の回廊の桜も見事に満開で、境内の赤芽樫もきれいでした。
大仏殿の東の広場も草の緑と周囲の桜が見事で、大仏殿の回廊とおなじ
花の回廊でした。

公会堂で昼食後、春日奥山ドライブウエイの桜のトンネルをくぐり
柳生街道の峠の茶屋にいきました。
あいにく、茶店は閉まっており近くを30分くらい散策しました。
周囲は高い木の山桜、椿、すみれ、ミヤマカタバミなどが咲いています。
そのうち運良く店主が車で戻ってきました。
町で法事があったとのことで、我々は無理に雨戸を開けてもらい、
草餅をわけてもらいました。
茶屋の中ではナナという犬がひとりで留守番していました。
家族でこの山の中の家に住んでいるとのことです。
3時半頃我々は2台の車で店主に送られ茶屋を出ました。



         声明のテントに響く仏生会     常朝

         雲去りて花の回廊輝けり      常朝

         高々と峠の茶屋の山桜       常朝

        (興福寺仏生会:甘茶を掛ける僧)

        (東大寺の花祭:花御堂にならぶ人々)

        (閉まっていた峠の茶屋)