2008年1月31日木曜日

45.大津市・日吉神社

「アカシア紀行・俳句」2007年10月15日(月)


 10月の天気の好い日、妻、妻の友人、義兄姉らと大津市の日吉大社を訪ねました。
日吉大社は,古くから比叡山の地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)を
祀っていましたが、近江京遷都のとき大国主神も祀るようになったらしいです。
日本全国約2000ある日吉神社、日枝神社、山王神社の総本山とのことです。
場所は比叡山のふもと、坂本にあり、付近には延暦寺高僧の里坊がいくつかあります。
琵琶湖西の161号線を北上し、比叡山坂本で左折し316号線を西へ
約1.5キロのところにある広大な森(約40万平米)を境内とする神社です。
11時頃ついて最初に東本宮(大山咋神)にお参りし、のち西本宮(大国主神)
などをお参りしました。
東本宮の下の庭に大きな多羅葉(たらよう)の木があり、その幹に小さな蛇がいて、
見ていると幹から落ちてまた登りました。冬眠の穴を探す、穴惑いでしょうか。
広い境内には縦横に石の溝があり、比叡山の秋水が流れていました。
西本宮からの帰りの参道に、神の使いの猿が金網檻のなかで飼われていました。
そばに大きな山柿があり実をあげましたが見向きもしませんでした。
あまり良い句はできませんでしたが、芙蓉園で昼食のあと小句会をしました。



        秋水の七折れ八折れ山の杜     常朝

        祭神は比叡の山神秋高し      常朝
          

       (日吉大社の穴惑い)

       (日吉大社西本宮)

44.奈良桜井市・三輪大社の観月会

「アカシア紀行・俳句」2007年9月25日(火)


 9月中秋の名月の夕方から、妻、妻の友人、義姉らと奈良桜井市の三輪大社・
観月会に参列しました。
三輪大社は大国主神を祀る日本最古の神社といわれ、三輪山が御神体です。
4時頃参道を進み、境内を散策後4時半頃、右手(南側)の三輪山会館で
おそうめんとお茶をいただきました。
5時半頃参道左手(北側)の祈祷殿前の広場に設営された観月会場にいき、
長椅子に坐りました。
すでに10数人の人達が来ており、そこで月の出を待ちました。
東の空は雲がかかり最初はだめかとも思いましたが、誰かが月が出たというと、
あちこちで月が見えたなどと声がかかりました。
西風が雲を動かしてくれたのです。
我々の座席からは祈祷殿の大屋根のため、月が見えなかったのですが、
立って少し右へ移動すると、黒々とした三輪山の杉の梢の間に、みごとな満月が
出ていました。神々しい月でした。
まもなく観月会は6時から神主の祝詞で始まり、越天楽の雅楽と巫女の舞が奉納
されました。
巫女は8人で4人ずつの組で舞があり題は「磯城の舞」と「うま酒みわの舞」と
いうことでした。
祈祷殿の桧皮葺(ひわだぶき)の屋根は月に照らされて濡れているようでした。
観月会は8時ころ終わり、参列者にお神酒が振舞われましたが、
私の前でお神酒がなくなり、安心して(?)運転して帰りました。
(神山に月の句は最初、「神山に月登りしと声二三」でしたが、茨木和生先生に
添削していただきました)     


        神山に月登れりと声あがる     常朝

        名月に杉葉差し上ぐ巫女の舞    常朝
          
        桧皮葺濡るる如くに今日の月    常朝


       (三輪大社・観月会)

       (三輪大社・巫女の舞)

2008年1月30日水曜日

43.東大寺二月堂の十七夜盆踊

「アカシア紀行・俳句」2007年9月17日(月)

 敬老の日の夜、妻、妻の友人、義兄姉らと奈良・東大寺二月堂の
十七夜盆踊に行きました。
これは10年くらい前から復活した、大仏様に奉納する踊りですが、
毎年9月17日催される、関西では多分最後の盆踊りとおもいます。
同時に二月堂の軒や石段に万灯籠が飾られています。
二月堂と三月堂、四月堂に囲まれる、普段は静かな広場に、
櫓舞台が組み立てられ、二月堂石段の上の広場では、模擬店が飲み物や
田楽などを売っています。
我々が着いた6時半ころ、舞台で挨拶のあと河内音頭が唄われ大勢の人々が
輪になって踊りはじめました。
踊り子のほとんどはいくつかの講の人達で、揃いの鉢巻・ハッピ姿で
音頭に合わせて躍動的に踊っています。
見上げると二月堂の万燈籠が夜空に流れるようでしたが、
踊り場の提灯の明かりが強くて、少し暗く見えました。
広場の南側の湯屋の瓦屋根には半月が上がっていました。
踊りもたけなわになると音頭が江州音頭に代わったりして、
また踊りの輪が二重になったり、別の小さな輪が出来たり、
踊り手の皆さんが今年の夏を惜しむかのようでした。            


        二月堂の万灯暗き盆踊     常朝

        大湯屋を月も照らして盆踊   常朝
          

       (二月堂・十七夜盆踊り)

       (二月堂の登廊)

2008年1月23日水曜日

42. 東吉野・天好園-高見峠-波瀬神社

「アカシア紀行・俳句」2007年9月5日(水)


 9月の下界はまだ暑い日、妻、義兄姉らと東吉野村に吟行に行きました。
国道166号線(榛原街道から伊勢街道)を東へ行くと新木津(こつ)
トンネルがあり、出てまもなく左側に、前登志夫の高見山の歌碑があります。
そこでしばらく休んでいると、細かい雨が降ってきましたが、突然
「ピーェ」というようなかん高い鳥の声が向かいの山から聞こえて、
それきり静かになりました。
あとで調べたら鷹の仲間の「ノスリ」の声でした。
そのあと天好園で昼食後、庭を散歩しました。
谷川の水を引いた小さな流れが園内にあり、水馬(あめんぼう)が
数匹秋の日に光りながら泳いでいました。
高見峠には、166号線高見トンネルの入口(西側の)手前30メートルほどで
右折れして旧の峠道を車で登りました。
峠の頂上は少し広場になっており、高見山への登山口に鳥居があります。
峠には霧が伊勢から奈良へ流れていて、下界の暑さを忘れました。
鳥居のそばに登山届け投函箱があり、サシバなど渡り鳥の説明板があります。
峠を下りて166号線をさらに東へ約10キロ走り、波瀬地区に行き、
波瀬神社、本陣跡を訪ねました。
波瀬神社は166号線から左に入った旧伊勢街道(三重県783号線)の
JA松阪波瀬の西100メートル、保育園の南100メートルくらいの
高台にありました。
迷いながらやっと着いた神社は古びていましたが、俳句はできませんでした。
あと波瀬本陣跡に行き向かいのお店の主婦に色々話を聞きました。
この方はこのあたりの歴史に詳しく、先年紀子さまのお父上川嶋辰彦氏が
このあたりの歴史などを調べにこられたとき、この方に色々話を聞かれたそうです。
本陣の主の子孫のことなど聞いていると霧が晴れてきました。

            

        高見山隠す雲より花野雨     常朝

        伊勢の霧大和へと来る峠かな   常朝

        ひかりのみ見えしは秋の水馬   常朝
          

       (前登志夫の歌碑) 

       (高見峠・登山口)

       (波瀬本陣跡の旧伊勢街道)

2008年1月22日火曜日

41. 京都・六道参り

「アカシア紀行・俳句」2007年8月8日(水)


 立秋といっても8月の暑い日、妻、義兄姉らと大原・江文神社吟行のあと、
京都市内の六道参りに行きました。
六道参りは、東山通り(東大路通)の4条と5条の間の清水5丁目の
松原通りを西に入った六道珍皇寺にお参りするお盆の精霊迎えの行事です。
ここには迎え鐘と呼ばれる綱で引く鐘があり、盆花としての槇の枝や、
水塔婆を求めることが出来ます。
境内には、十界図なども出され、盆花を買ったり迎え鐘を引いたり
する人々でにぎわっていました。
閻魔堂には大きな閻魔様が太い筆を持ってにらんでいました。
我々も行列に並んで、汗を拭きながら迎え鐘を引かせてもらいました。
むかし小野篁(おののたかむら)が閻魔様の手伝いに地獄へ通勤していたという
地獄の入口の井戸のことは知らずに見落としました。
帰りに松原通りの出口の角で幽霊飴を買いました。
これは慶長の頃、毎夜女の幽霊が飴を買いにきて、墓の中の自分の赤ちゃんを
育てていたという話から今も続いている飴です。
袋の中は飴色の四角や長四角の飴が沢山ありましたが、
中には三角の飴もありました。
            

        閻魔持つ筆先太し迎え鐘     常朝

        幽霊飴三角もあり秋暑し     常朝
          

       (六道参り・迎え鐘)

       (幽霊飴)

40. 大原・江文神社と関所跡

「アカシア紀行・俳句」2007年8月8日(水)


 8月立秋といっても晴れて暑い日、妻、義兄姉たちと京都大原に
吟行に行きました。今日の目的は大原雑魚寝で有名な江文神社です。
江文神社は大原上野町の信号のある三叉路を左折して約1.5キロ
南西に行って狭い道に右折れすると森の中に蒼然とあります。
さすがにここまで来るとしばらく暑さを忘れました。
昔大原の人達は節分にこの神社で雑魚寝をしたということです。
神社に着くといかにも古い拝殿があり、立入り禁止の張り紙がありました。
拝殿の壁には「升の額」が沢山奉納されています。
ここは主神が倉稲魂神という穀霊の神だからでしょうか。
本殿を参拝して斎庭(ゆにわ)に立っていると東側の杉の森から
啄木鳥の音がタタタタと聞こえました。
そのあと、大原の街道に戻り食事を摂ったレストランで親切な
ガイドの人から、いくつか見所を教えてもらいました。
その中で、寂光院を監視していた関所跡が近くにあるということで、
大原上野町の三叉路のそばの柴漬けのお店に行き、柴漬けを買った
ついでに車を置かせてもらってお店の裏側の坂道を登りました。
関所跡の碑はなかったのですが、この細い裏道は琵琶湖へ抜ける
仰木峠の道と聞いたので、このあたりに関所があったのでしょう。
丘に登れば建礼門院の寂光院が見えるかと100メートル程坂道を
登り、田んぼの畦から眺めましたが、山すそに隠れて、寂光院は
見えませんでした。
おそらく道沿いの関所で平家の残党などが寂光院にこないよう、
見張っていたのでしょう。後白河法皇もそばを通られたであろう
田には白い小さな稲の花が咲いていました。

            

        啄木鳥や杜の高杉風わたる     常朝

        洛北の峠は狭し稲の花       常朝
          

       (江文神社)

       (江文神社・拝殿)

2008年1月21日月曜日

39. 十津川の玉置神社・熊野大社

「アカシア紀行・俳句」2007年8月4日(土)~5日(日)


 天気に恵まれた8月の始め、中学の20人のクラス仲間と、
十津川・熊野に一泊旅行をしました。
50人のクラスも、同窓会に出席できるのは20人程度になったので、
このところ毎年一泊旅行をしています。
今年は、十津川の旅館に泊って熊野大社参拝、瀞八丁の遊覧となり、
4日は、谷瀬の吊橋を渡った後近くの山の上の玉置神社に正式参拝しました。
神社の正式参拝は、全員が神社の法被を着て、代表が玉串を神前に供え
全員で二礼二拍手一礼します。
神主は若い方で、太鼓を強く打ちながら、声朗々と祝詞を上げて
いただきました。
太鼓の音が腹に響くように強いので、十津川の蝉の声も消されて
しまいました。 翌日は熊野大社に参拝しました。
長い石段を登ると、広い斎庭(ゆにわ)に立派な社殿があり、
棟木(むなぎ)の上の鰹木(かつおぎ)には金色の菊のご紋が、
夏の日に輝いていました。
遠い昔、平安貴族の女性たちが、京から熊野詣での旅のはてに、
ここに着いて立派な社殿を見たら、今の我々以上に感激したでしょう。
参拝のあと、我々はバスで瀞八丁の乗り場「志古」まで行き、
遊船で約1時間「田戸」まで乗り、再びバスで帰りました。
道が狭くてバスが迂回したため、我々は瀞峡の上の乗り場で、
ほぼ1時間バスを待ったのも良い(?)思い出です。

            

        祝詞上ぐ太鼓に消えし蝉の声     常朝

        鰹木の菊の御紋に蝉時雨       常朝
          

       (玉置神社の神代杉)

       (熊野大社:大きすぎて一枚の写真に入りませんでした)

38. 奈良・喜光寺の暁天(ぎょうてん)講座

「アカシア紀行・俳句」2007年7月21日(土)


 蓮の花の咲く朝6時前から、義兄姉たちと奈良・喜光寺に参拝し、
暁天講座に参加しました。
喜光寺は奈良の西、阪奈道路に近い、菅原道真公が生まれた
菅原にある法相宗の寺で行基菩薩が建てたといわれています。
現在は、薬師寺の末寺となっています。
暁天講座は、早朝6時から7時までの約1時間、蓮の花咲く静かな
朝の空気の中、僧の法話をいただく講座で、19日から3日間開催
されています。
我々は法話の前の読経から、2、30人の人達と共に、本堂前の
長椅子に座りました。
6時から薬師寺の執事、狭川普文氏のユーモア溢れる法話があり、
何度も笑いながら拝聴しました。
その後、境内の数十鉢の蓮の花を見たり、睡蓮(未草)の池にある、
いつもは閉じられているお堂の中の宇賀神像を拝見したりしました。
宇賀神は頭は人に似て身体は蛇の形をした、高さ30センチくらいの
ちょっと不気味な神様で、農耕・商売の神様とのことです。
境内の人もだんだん増えて5、60人にはなったと思います。
8時ころから奥庭の庫裏で、茶粥をいただきお寺を辞しました。
その足で阪奈道路・東の平城京跡の朱雀門に行きました。
1998年に復元された門は、約10年経って色も落ち着き
周囲の景色に溶け込みつつあります。
そばの芦原で葭切(よしきり)が元気に鳴いていました。
            

        未草開扉されたる宇賀神像     常朝

        葭切や色落ち着きし朱雀門     常朝
          

       (奈良・喜光寺の蓮)

       (喜光寺の宇賀神像)

37. 奈良・法華寺の蓮華会(夏祓)

「アカシア紀行・俳句」2007年7月17日(火)


 これから本格的な夏がくるという7月のある日、
妻、義姉たちと奈良・法華寺の夏祓(蓮華会)に参列しました。
法華寺は奈良時代聖武天皇のお妃光明皇后が建てられたという
門跡尼寺で、平城京跡の北東、藤原不比等の邸宅跡にあります。
蓮華会では法要のあと、茅の輪くぐりがあります。
ここの茅の輪は、縞のある矢作(やはぎ)すすきで作られており、
草花も添えられていて尼寺らしく優雅です。
法要まで時間があったので、本堂の前の庭で待っていると、
近くのお寺の尼僧でしょうか二人の尼僧が、本堂右の門から中に
入って行きました。
客殿では参列者に夏祓の粥(茅の輪粥)が振舞われるというので、
右の庭の門から入ると藁葺きの立派な光明亭があり、その庭の
緋毛氈の敷いた席で、茶粥の接待をいただきました。
茶粥は小豆が入っており、小皿の梅干もおいしかったです。

 5時から法要が本堂で始まったので、我々も本堂に上がり、
法要に参列し、久我高照門跡のお説教も拝聴しました。
尼僧ばかり5人ほどの読経は柔かい響きで、いかにも
もと総国分尼寺にふさわしい法要でした。
その後庭で、門跡から順に茅の輪くぐりが始まりました。
本堂の縁で、ろうそくの灯された柄の長い献灯を買い求め、
それを持って茅の輪をくぐりました。
今回は光明皇后がモデルといわれる十一面観音をゆっくり
拝見できなかったので次の参拝の楽しみにしておきます。
            

        応援の尼僧は二人夏祓     常朝

        尼僧らの読経柔らに夏祓    常朝
          

       (奈良・法華寺の茅の輪)

       (奈良・法華寺の光明亭)

2008年1月20日日曜日

36. 吉野・蔵王堂蛙飛び行事

「アカシア紀行・俳句」2007年7月7日(土)
              

 七夕の日、義姉たちと吉野・蔵王堂の蓮華会、いわゆる蛙飛び行事に
いきました。
これは吉野の蔵王権現に大和高田市奥田の蓮池から蓮の花を供える行事で、
その一環として蛙の姿になって鷲の窟から救われた男の故事を再現する行事
とのことです。駐車場に車を置き、右側が崖の紫陽花の咲く道を歩きました。
崖の上は狭い畑で、吉野の総門といわれる黒門に着きます。
ほおずきの植えてある黒門を過ぎると急に涼しくなりました。
午後1時頃から、蓮の神輿の行列がロープウエイ駅から、また
蛙の神輿が竹林院から、それぞれ蔵王堂へ向かうのですが、
我々は仁王門で行列を待ちました。
いよいよ蓮神輿が来ると、あたりは急に活気が出てきて、
若い人達の神輿は、仁王門の石段を駆け上がり、あっという間に、
門を越えて、蔵王堂へ向かいました。
我々も行列の後を追って、蔵王堂に行き、蛙飛び行事などを拝見しました。
            

        崖上に畑ある吉野額の花     常朝

        黒門を潜り涼しき吉野かな    常朝
          
        蓮神輿駆け登ったる仁王門    常朝



      (吉野・蔵王堂蛙の神輿)

      (蛙飛び行事:蛙が僧から経を授かるところ)

35. 奈良・磐之媛(いわのひめ)陵

「アカシア紀行・俳句」2007年6月16日(土)
              
 6月にしてはよい天気の土曜曜日、入院している妻の見舞いに、
次男一家が来る夕方まで時間があったので、奈良市郊外の佐紀盾列古墳群
(さきたてなみこふんぐん)にある磐之媛(いわのひめ)陵に行きました。
ここは、平城京跡の北側にある水上池のさらに北に接している古墳で、
仁徳天皇の皇后「磐之媛」の御陵とされています。
磐之媛は、浮気をした仁徳天皇に怒り、難波の宮を出て、
現在の京田辺市の同志社大学付近にあったとされる筒城(つづき)の宮に棲み、
生涯難波の宮に帰られなかった誇り高い葛城氏出身の皇后です。
御陵の周囲は、巾10メートルくらいの濠で囲まれ、守衛小屋もあり、
管理が行き届いています。(守衛小屋は大抵無人ですが)
濠は睡蓮で殆ど埋まっており桃色がかった白い花が咲いていました。
1、2ヶ所睡蓮がとぎれている濠の水は黒々と深そうでした。
手前の土手でがさごそと音がするので見ると、トカゲが2匹、追いかけ
合っていました。
そのうち、追いかけている雄(多分)のほうが、相手(雌)の横腹を
ゆるく噛み、最後は巻きつきました。
            

        睡蓮のとぎれの水の深さかな     常朝

        蜥蜴の恋横腹ゆるく噛みにゆく    常朝
          

(磐之媛陵の睡蓮 なら・観光ボランティアガイドの会「朱雀」のホームページより)


(磐之媛陵・小公園の万葉歌碑 巻4 675)
(おみなへし佐紀澤に生ふる花かつみ かつても知らぬ恋もするかも)

                        

2008年1月19日土曜日

34. 奈良・御所市伏見八幡神社

「アカシア紀行・俳句」2007年5月20日(日)
              


 5月のよい天気の日曜日、妻、妻の友人、義姉らと奈良・御所市の
金剛山麓の田や畑を見に行きました。
田植前なので、苗代田や田植の準備など、句材探しの吟行です。
御所市の南の伏見地区で車を止め、苗代田を見たあと、山手へ移動して、
田への引き水を見ました。
この辺りは、金剛山の水を田に引くので、おいしい米が穫れるそうです。
山からの一つの流れを、コンクリートの壁と木の板で2つ、あるいは
3つの流れに分けて、下の田へ水を引いていました。
近くの農夫らしい人に聞くと、この辺は時間水です、とのこと。
貴重な水なので、この田は何時から何時までと時間を切って引き水を流す
ルールです。
ここから北の九品寺の近くにある番水時計を見たことがあります。
そのあと、伏見地区の八幡神社にお参りしました。
登りは急な石段だったので、帰りはいわゆる地道の「女坂」を降りましたが、
わきに卯の花がきれいに咲いていました。
「女坂」といっても、東京の愛宕神社などの女坂と違い、急な坂道でした。
            

        金剛の時間水とて田水引く       常朝


        卯の花や緩くはあらぬ女坂      常朝
          

       (御所市伏見八幡神社)

       (卯の花)

33. 長谷寺の桜

「アカシア紀行・俳句」2007年4月12日(木)
              


 4月桜の頃の午後、妻、妻の友人、義姉らと長谷寺の花見を兼ねて参拝しました。
飛鳥時代から始まり、清少納言など平安貴族も参詣した長谷観音の寺です。
まず新宝物館の右手(東)の橋から、ほぼ全山の桜を見上げたあと、
登廊を約400段登りましたが、途中は有名な牡丹が段々畑のように
植えてあり、登るほど桜が見えてきました。
登廊はお遍路さんも一緒で鈴の音を聞きながら登りました。
登りきって本堂にお参りしたあと、舞台に上ると、下界に桜の海が見え、
多くのお堂の屋根が浮かんでいるようでした。
                 

        登廊を登れば増ゆる桜かな       常朝

        堂塔の屋根を浮かべる花の海      常朝

       (長谷寺の登廊)

       (長谷寺の舞台)

32. 飛鳥寺の花祭り

「アカシア紀行・俳句」2007年4月8日
              


 4月の花祭りの日、奈良明日香村の飛鳥蹴鞠を見学後、
飛鳥寺の花会式(花祭り)に義姉たちと参列しました。
幼い頃、お釈迦様のお生まれになった花祭りの日は、
毎年近くの寺で甘茶を飲ませてもらったりしたのを思い出します。
飛鳥寺は日本最古の寺といわれており、飛鳥大仏で有名です。
お寺には5、60人の人が集まり、住職の挨拶などのあと、
歌手川本佐江子さんによる奈良の歌の披露がありました。
花会式が終ったあと、花御堂の誕生仏に甘茶をかけました。
花御堂は小さいですが誕生仏はもっと小さくかわいいでした。
寺のすぐそばのの入鹿の首塚で周囲の畑や甘樫の丘を
眺めていたら、雉がケ~ンと鳴きました。
                 
          

        誕生仏天井高し花御堂       常朝

        首塚に立てば飛鳥の雉鳴けり    常朝
          

       (飛鳥寺花会式)

2008年1月15日火曜日

31. 明日香村の飛鳥蹴鞠

「アカシア紀行・俳句」2007年4月8日
              


 4月の花祭りの日、奈良明日香村の飛鳥蹴鞠(あすかけまり)を
見るために、義姉と石舞台の公園に行きました。
公園は広々とした芝生の庭で、すぐ横に蘇我の馬子の墓といわれる
石舞台があります。公園の周囲は大きな桜が見事に満開でした。
飛鳥蹴鞠は、日本書紀にある、飛鳥寺の槻の木の下で中の大兄皇子と
藤原の鎌足が蹴鞠を楽しんだという故事をもとに、数年前から
蹴鞠保存会の人々が再現したものです。
5人位ずつ2組に分かれて蹴鞠を競技として楽しむもので、
衣装や蹴鞠、靴なども飛鳥時代をしのばせるものでした。
蹴鞠の最初は大きな槍を庭の端に立てて、それが倒れる方向の
チームが先手となって蹴鞠を始めました。
          
          

        槍倒し蹴鞠始まる花の庭      常朝

        蹴鞠飛ぶ空にま白き大桜      常朝
          

       (飛鳥蹴鞠)

30. 天理市大和神社・ちゃんちゃん祭

「アカシア紀行・俳句」2007年4月1日(日)
                                     


 4月のはじめ、奈良天理市の大和神社(おおやまとじんじゃ)で
毎年行われる「ちゃんちゃん祭」に義姉らと行きました。
大和神社は伊勢神宮などとならぶ古く由緒のある神社で、
戦艦大和にも分社が祀られたと以前総代の人から聞きました。
昼頃より拝殿の前に神輿、太鼓、大天狗や武士、稚児などが集まり、
2時から行列がはじまりました。
中山地区大塚山のお旅所まで、各地区(郷中)の旗を立てて、
1.5キロからほどの道を進み、お旅所で神事をおこないます。
行列は馬もポニーも加わり、鉦をチャンチャン叩きながら進みます。
参道には屋台も出て、のどかなお祭です。
今回は参道で行列を見送り、天理の桃畑に行きました。
一つの丘が桃の花で埋まるほど桃の花が満開でした。
                   
          

        郷中の旗押し立てて春祭      常朝

        丘ひとつすっぽり包む桃の花    常朝
  
        

       (ちゃんちゃん祭・写真は2002年4月のものです)

       (ちゃんちゃん祭・お旅所へ・写真は2002年4月のものです)

29. 吉野・金峰神社西行庵

「アカシア紀行・俳句」2007年3月10日(土)

              

 3月のはじめ、車で吉野の金峰神社を訪ねました。
4月に会社の同窓会を予定していたので、下見が目的でした。
金峰神社は吉野の奥にある地主神を祀る神社で、義経隠れ塔や
国宝の藤原道長の納めた経筒などで有名です。
神殿も古く大きくはないがいかにも神さびた感じでした。
神社の左下方の義経隠れ塔を見上げていたら、弁慶の声が
聞こえそうでした。ここ吉野で義経は静御前と永遠の別れを
したあと、弁慶達と山伏姿で奥州へのがれていったのです。
神社の裏側の山道を20分ほど歩くと、西行庵に着きました。
男の人が一人きていたが周りは静かで馬酔木の花が供えてありました。
周囲を囲む山は芽吹きの淡緑色になっていました。
芭蕉の句のある苔清水に立ち寄って帰りました。
          
          

       空耳に弁慶の声山桜      常朝

       西行の眺めし稜線緑立つ    常朝
          

      (義経隠れ塔)

      (吉野西行庵)

28. 奈良・追分梅林

「アカシア紀行・俳句」2007年2月16日(金)

              
 2月の寒い日、奈良の西にある追分梅林を自転車で訪ねました。
ここは第二阪奈高速道路の脇にある約10ヘクタールの梅林で、赤、白
合わせて4000本の梅が植えられていて無料で拝見できます。
近くに追分本陣跡があります。
まだ少し早い時期だったためか、人はまばらでした。
売店で缶酒を一つ買い、それを少しずつ飲みながら、梅林の園路を
回ると気分がよくなってきて、梅の花に顔を近づけてながめたりした。
梅林の上の方の一部は工事中であり、マンションでも建つのか、
少し気になりましたが、後に俳句仲間と共に来たとき農家の人に聞くと、
梅林の土地の再整備工事で、梅林がなくなるわけでないと聞き安心しました。
そのあと、峠池、滝寺跡を回って帰りました。

          

        梅林を巡る缶酒尽くるまで      常朝

        顔を寄す顔の高さの梅の花      常朝
          

       (奈良追分梅林)

27.京田辺・観音寺

「アカシア紀行・俳句」2007年2月6日(火)
              


 薄日の寒い日、義姉らと京田辺の観音寺を訪ねました。
ここは奈良東大寺二月堂のお水取りのお松明の竹を送る、いわゆる竹送りの寺です。近鉄京都線、JR片町線の三山木駅から西2.5キロ位のところです。
本堂の軒下にそのお松明の竹が10数本斜めに立てかけてありました。
竹にはそれぞれ奉納者の名前などが墨で黒々と書いてあります。
庭を眺めていたら、まだ蕾の堅い木々に花を探してか白蝶が飛んできました。
また縁の下には鬼瓦が数個置いてあり、その顔は笑っているようでした。本堂の軒下にそのお松明の竹が10数本斜めに立てかけてありました。
竹にはそれぞれ奉納者の名前などが墨で黒々と書いてあります。
庭を眺めていたら、まだ蕾の堅い木々に花を探してか白蝶が飛んできました。
また縁の下には鬼瓦が数個置いてあり、その顔は笑っているようでした。

          

        お松明送りの寺に白蝶来        常朝

        下ろされし鬼瓦笑む梅の寺      常朝
          

       (京田辺の観音寺)


 その後三山木駅の西のこぶや亭で昼食後、高船の笠上神社から高山城跡を訪ね、奈良生駒市真弓のシェ真弓で小句会後解散しました。

26. 京都岩倉・実相院

「アカシア紀行・俳句」2007年1月27日(土)

              

 1月の寒い日、句会の先輩諸氏らと京都岩倉の実相院を訪ねました。
我々は京都駅からタクシーを利用しましたが、電車では叡山電鉄の岩倉駅が
最寄りと思います。
ここは鎌倉時代からの門跡寺院で、享保年間に本堂や四脚門、御車寄せが
京都御所から移築されたという格式高い寺院です。
四脚門を入ると、大きな桜の冬木があり、あちこちに傾きを防ぐ支柱がありました。
本堂は黒光りの板敷きで、美しい石庭がありました。
江戸時代から明治までの記録である実相院日記や広く砂を敷いた公家厠
(貴人のトイレ)など興味深いものがいくつかあります。
庭には寺山から下りて来た山雀が義姉の手から餌をもらったりしていました。
そのあと、近くの岩倉具視の旧居を見学しました。
          

        門跡寺支柱あちこち日脚伸ぶ      常朝

        実相院日記に色も春近し         常朝



       (実相院の庭)


          

25. 賢島・間崎島

「アカシア紀行・俳句」 2006年11月10日(金)
          


 従姉夫婦2組と6人で賢島・間崎島に小さな旅行をしました。
今回の「いとこ会」の目的はえびなどの海の料理です。
賢島駅そばの港から小さい船で10分位で旅館のある島につきました。
伊勢湾は小春日和で、小さな桟橋には旅館の猫が迎えに出ていました。
汀(なぎさ)が旅館の庭で小鳥が数羽きていました。
夜はご馳走をいただいて寝ていたら、真夜中に雷が鳴って目が覚めました。
稲光が少し開いた窓から見えたら伊勢湾をゆるすような強烈な雷の音がしました。
翌朝は雷がうそのように穏やかでしたが、親戚に不幸があったとの
電話があったので皆いっしょに予定を早めて帰りました。
雷はその知らせだっかもしれません。

          

       里海の汀の庭に小鳥来し         常朝

       夜の湾叩き揺るがす冬の雷       常朝


24. 奈良・城山

「アカシア紀行・俳句」2006年10月21日(土)

              

 朝家を出て奈良市の東南約8キロにある城山に登りました。
ここは、国土地理院の地図にも登山路が描かれていないので、
数年前から何度も挑戦したのですが、なかなか正しい(?)頂上に
来られなかったのです。
今回初めて、鳥居と神の名を彫った岩のある頂上に来ました。
高さはわずか528メートルですが北側の谷からはきつい坂でした。
今まではここから西400メートルほどの頂上を城山と思っていました。
車では北椿尾町の北東の山道を行止りまで登り、そこから歩いて
約1キロですが、案内板がないのでわかりにくいです。
頂上で休んでいたら草雲雀(くさひばり、昆虫)がリリリー・
リリリー と鳴きました。
帰り道の川に堰があり、堰の上の水に秋の夕日がきれいでした。
          

       城山に鳥居四重草ひばり            常朝

       堰水のひかりにつるべ落としかな       常朝
          

23. 奈良・采女祭

「アカシア紀行・俳句」2006年10月6日(金)



 夕方から義兄姉らと奈良の采女祭(うねめまつり)に行きました。
観月会も兼ねていたのですが、あいにく空は曇っており無月でした。
この祭は、むかし帝(みかど)の愛が衰えたのを嘆いて猿沢池に入水した
采女の霊を慰めるため、毎年中秋の名月の夜に催される祭で今年は10月となりました。
花扇(秋の七草で美しく飾られた2メートルあまりの扇)の奉納行列のあと、
猿沢池の采女神社で神事があり、そのあと2艘の管弦船が雅楽を奏でながら
池を回った後、池の真ん中で「花扇」を水面に浮かべる、優雅な祭です。
俳句の吟行も兼ね、池辺に茣蓙(ござ)を敷いて待ったのですが、なにしろ月が
隠れているので、俳句の方は苦労しました。
舟が近づいたとき花扇を見ると、すすきなど秋の草花に吾亦紅(われもこう)も
混じっていました。采女の心を伝えたい後の世の人々の気持であらわれでしょうか。
          

       茣蓙敷きて采女祭待つ良夜かな    常朝

       花扇に吾亦紅あり采女祭        常朝
          

      (采女神社)

      (管弦船)

22. 京田辺高船・米相場の旗振り場

「アカシア紀行・俳句」2006年9月21日(木)



 やや曇りで風のない日、京田辺市の南端に近い高船へ自転車で登りました。
ここは京都府と奈良県の県境で、西は奈良生駒市高山、東は京田辺となります。
山頂付近に笠上神社があって、東に遠く山城・木津川を眺めることができます。
笠上神社から山中を北へ約100メートル歩くと、千鉾山(せんぼこやま)の
頂上ですが、今は木々に囲まれて展望できなくなっています。
そこに写真のような自然石の碑と三角点、案内板がありました。
それを見ると、ここは昔、米相場の旗振り場であったらしいです。
案内板によると、ここは江戸時代大阪堂島の米相場を京都に伝えるための
旗振り通信(手旗信号)の通信中継所であったとのことです。
交野の旗振山から大山崎の天王山に伝える中継所でした。
堂島から京都までわずか4分で通信し、明治26年電話が開通したのですが
早さは旗振り通信にかなわなかったそうです。
明治40年頃やっと電話通信になったとのこと。
しばらく周囲をみていたら、鉦叩(かねたたき、昆虫)が かぼそく
「チン、チン、チン、チン」と鳴きました。

          

       米相場の旗振り場跡鉦叩     常朝


       遠き世の音にも聞こゆ鉦叩    常朝
          


       (高船千鉾山・旗振り場跡)

21. 天理・大国見山

「アカシア紀行・俳句」2006年9月4日(月)



 やや暑いけれど天気の良い日、奈良天理市の桃尾(もものお)の滝に行きました。
滝への道脇の左側の畑に猪の罠(わな)がありました。
このあたりにも猪がでるのでしょうか。罠は1.5メートル位の大きさの鉄製の檻で屋根のトタン石に川原石が数個のせてありました。
滝の周囲は涼しく、そばの岩には金彫りで南無妙法蓮華経の名号が刻まれています。
大国見山は滝の北方約1キロの高さ450メートル位の山ですが、かなり急な道を1時間かけて登りました。途中の龍福寺跡には沢山の石仏がありました。
頂上は名前のとおり、見晴らしがよく、奈良盆地を見渡せます。
また頂上付近には狼煙(のろし)岩があり、狼煙を焚くための小さな穴がありました。
しばらく頂上にいると「タタタタタ」と啄木鳥(きつつき)の音がしました。



       名号を岩に金彫り秋の滝      常朝

       啄木鳥や国見の山に狼煙岩    常朝


       (大国見山の狼煙(のろし)岩)

       (大国見山より天理市方面を望む) 


          

2008年1月14日月曜日

20.西穂高山荘

「アカシア紀行・俳句」2006年7月22日(土)

 

 長男一家と妻と5人で、西穂高山荘へ登りました。
4、5日前から雨続きで、山登りどころではない天候続きでしたが、
登山当日は運良く晴れてくれ、ロープウエイ駅から2時間ほど、
高山植物や景色をたのしみながら、西穂高山荘まで歩き、山小屋の
庭で昼食後、近くの丸山に登りました。
雲もあったのですが、穂高や上高地が見えました。
夜は満天の星を見て、一泊して下山しました。
山小屋近くにはうす紫の風露草(ふうろそう)が咲いていました。
また、ロープウエイ駅から10分位のところに避難小屋がありましたが、
しばらく使われていないようで、中を覗くとほこりだらけでした。
帰りの山道では落とし文(木の葉の巻いた)を拾ったりして
久しぶりの楽しい登山でした。



        山小屋の蛇口閉じずよ風露草     常朝

        登山路に埃だらけの避難小屋     常朝



        (丸山から穂高を望む)

19.泉橋寺・安積親王墓

「アカシア紀行・俳句」2006年4月20日(木)

 

 風のやや強い日、京都木津市上狛の泉橋寺、高麗寺跡を訪ねたあと、
和束町の安積親王墓をお参りしました。
泉橋寺は木津川の北岸にあり、高さ5メートル近い、石の大仏(地蔵)が
桜の木に囲まれて座っておられます。
昔行基菩薩が、川や人々の安全を祈願して建てられたとのことです。
安積親王(あさかしんのう)は聖武天皇の第二皇子で、17才の若さで
なくなりました。藤原家に暗殺されたという説もあります。
お墓は茶畑になっている円形の丘の頂上にありました。
急な茶畑の中の参道を登ると、ときどき鶯が鳴いていました。


        川守る石の大仏花の中       常朝

        茶畑に参道険し皇子の墓      常朝

        親王の墓に鶯明日も鳴け      常朝



        (泉橋寺の石地蔵)

        (安積親王墓)

18.大仏鉄道・牧場

「アカシア紀行・俳句」2006年3月31日(金)



 3月の終わり、京都木津市加茂の大仏鉄道跡、西念寺、鹿背山城を
訪ねたあと、クローバー牧場を見学しました。
大仏鉄道は明治31年から40年、加茂から奈良へ敷かれた蒸気鉄道で、
その鉄橋や線路敷の跡が残っています。
場所などは大仏鉄道研究会のホームページに説明があります。
牧場ではごく最近生まれたばかりの子牛が7、8頭いて、
我々を珍しそうに眺めていました。
しばらく牧場を見せていただいたあと新鮮な牛乳を買って牛達と別れました。



       大仏線鉄橋跡のなずなかな     常朝

       子牛みな赤き紐つけ牧開く     常朝

       春の野に連れて欲しげよ子牛の目  常朝



       (大仏鉄道赤橋)

17.奈良・笛吹神社

「アカシア紀行・俳句」2006年2月20日(月)



 2月にしては穏やかな日、奈良葛城市の笛吹神社を訪ねて、
お田植祭を拝見しました。神社の庭に約20メートル四方を
竹(斉竹(いみだけ))で囲んで御田としています。
神事の最初に祝詞があげられましたが、音楽は太鼓と一本の笛でした。
その後、御田の4隅を鋤(すき)で掘るしぐさのあと、
2人が扮する黒牛が田の周囲を耕し、神官らが杉葉を束ねた
早苗を植えました。
笛吹神社という名前にしては、笛一本は質素に感じましたが、
旧村の鎮守の神社にしては格式のある神事を丁寧におこなわれました。
お田植神事のあと御供撒(ごくま)きがあり大勢の人々が餅まきを
楽しみました。私も後の方で2~3個お餅を拾えました。



        昼花火上がりて始む御田祭     常朝

        笛ひとつ笛吹神社の御田祭     常朝


16. 安堵町 中家住宅

「アカシア紀行・俳句」2006年1月20日(金)



 やや寒いけれど日差のよい日、田原本町の多神社、広陵町の百済寺を
訪ねたあと、安堵町の中家住宅を訪ねました。
(場所などは中家住宅 奈良 で検索できます)
ここは、中世の武士の館の跡で、二重の環濠のある、広さ100メートル四方の
邸宅です。国の重要文化財とのことです。
今は瓦葺の家が瓦葺の白塀に囲まれて建っており、中氏の子孫が住んでおられます。
筒井一族の武士であったらしく、正門の左手の別門は、昔奈良にあった筒井家の
多聞城の門を移築したとのことです。
その門はおよそ城門とは見えない、藁葺(わらぶ)きでびっくりしました。
門のそばの池には枯蓮の葉がぽつんぽつんと残っていました。



        城門は藁屋根なりき破蓮     常朝



        (移築された城門)