2009年2月24日火曜日

83.奈良・巨勢野から牧場

「アカシア紀行・俳句」2009年2月22日(月)


 暦の上では「雨水」のとおり、曇りがちで夜雨予報の日、
いつものメンバー7人で奈良・御所市の巨勢野(こせの)を訪ねました。
ここは万葉集の、

「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を」

で有名な椿の巨勢寺跡や阿吽寺(あうんじ)のある御所市の南、JR・近鉄の
吉野口駅の周辺です。(万葉集1-54)
飛鳥時代に持統天皇が紀伊の国へ行幸の途中、坂門人足の詠んだ一首とのこと。

万葉集には、ほかに

「我が背子を こち巨勢山と人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし」

という、恋人をこちらへ来させる(こせ)山と言われているのに、
待っていた恋人がこないので、ただの山の名らしい、とのユーモアのある
歌もあります。(万葉集7-1097)

 駐車場の都合で我々は昼前にまず、阿吽寺を訪ねました。
阿吽寺はJR駅の北西、国道309号に沿った巨勢山の一部、阿吽寺山にあり、
国道沿いの駐車場から階段を登った境内にはさまざまな椿が咲いています。
昔このあたりの大きな寺であった巨勢寺の支院であったようで、
境内に椿が多く植えられているので玉椿(ぎょくちん)山と呼ぶようです。
今は無住の本堂と庫裏があるだけの小さな真言宗のお寺ですが、
玉垣や椿の鑑賞の道(坂道)も整備されていました。
犬養孝先生の書による「つらつら椿」の万葉歌碑もあります。
寺山の上には歴代住職の墓や見晴台があり、そこから見る巨勢野は
鉄道や国道の車を忘れたら、東西の山の緑に囲まれた川や畑もある
自然豊かな盆地です。

 しばらく境内などを散策後、北東へ10分ほどの巨勢寺の塔跡へ行きました。
入口はわかりにくいですが、吉野口駅の北側の曽我川沿いの旧街道を
500メートルほどの正福寺のさらに北200メートルほどから西へ狭い路地を
入って近鉄のレールを越えたところが塔跡です。
JRと近鉄の二つのレールに囲まれた狭い土地で、大きなけやきの木があります。
駅の北側の踏切を西へ渡って右折れして北へ300メートルほど歩き、
JRのレール越えても同じです。
塔跡には1間四方くらいの小さなお堂(大日堂)が建っており、
中はがらんどうでした。
お祭りのときだけ、仏像などを運ぶのでしょう。
塔跡には塔の心礎(石)が残っており真中の舎利孔には水が溜まっていました。
お堂の縁の下には竹箒が数本置いてあります。
昔訪れたときは大日講で近所の奥さん方が10人位集まって楽しそうに
談笑しお祭をしていました。

 その後、車で309号線を西に走り、24号線との交差点(室)の西のレストラン
「わだきん」で昼食をとりました。
食後、偶然同じテーブルで知り合った御所市のTさんの案内で、
Tさんの親戚の牧場を見学しました。
その牧場は少し南の小殿という山麓にあり、乳牛50頭ほどと20頭ほどの
二つの牛舎が、1000坪ほどの土地にあります。
坂の土手には「ふきのとう」がいくつも顔を出していました。
道路側の牛舎の網の窓から中を覗くと、大きなホルスタイン牛が
黒い眼をこちらに向けました。
奥のほうでは子牛が3頭、鎖につながれて食事中でした。
のち、近くの御所市民運動公園に案内され、山の中腹の駐車場から、
金剛山を一望しました。あいにく曇り空でしたが、天気がよいと
とてもきれいに見えるそうです。
3時すぎTさんと別れて、橿原観光ホテルで小句会後、
降りだした雨の中を解散しました。

         塔跡に鉄路光りて冴え返る   常朝 
    
         舎利孔の水に映れる欅の芽   常朝

         春風や視野いっぱいに金剛山  常朝
  
        (阿吽寺・写真はすべてクリックで拡大)

        (犬養先生の書による万葉歌碑)

        (巨勢寺塔跡)

        (塔の心礎)

        (牧場の子牛たち)

2009年2月5日木曜日

82.八坂神社節分祭から建仁寺

「アカシア紀行・俳句」2009年2月2日(月)


 良い天気であたたかい節分前日、いつものメンバー6人で京都祇園の
八坂神社の節分宵宮に行きました。

 四条の祇園パーキングに着いたのは、10時半頃、神社での舞妓さんの
舞踊奉納や豆撒きは13時からなので、鴨川や先斗町かいわいを歩きました。
四条河原町の東岸には南座があり、その壁際の阿国の碑や岸の阿国の像を
見ました。

 鴨川の川床料理のみそぎ川の浅瀬では鴉が水浴びをしており、堰の下では
鴨の群れが泳いでいました。
鴨川の西岸、四条の北の先斗町(ぽんとちょう)を歩くと、平日昼前のためか、
人通りは殆どなく舞妓さんらしい人を見たのは一人だけで、ときおり配達の単車
などがきました。
3条通り近くのお寺の銀杏の木などが芽吹いていました。

 三条大橋を東へ渡り花見小路をゆっくり歩いて四条の八坂神社へ戻りました。
途中、芸者さんたちのお参りする神社「辰巳大明神」にお参りし、
巽橋を見ましたが、小さな石橋で白川の流れの上の木には10羽位の五位鷺が
じっと止まっていました。

 神社へ戻ると12時を過ぎていたので、食事をせずそのまま神社で福豆を求め、
空くじなしのくじを引きました。大当たり(?)でしたが中身はヒミツ。
境内の舞殿の周囲にはすでに大勢の人達が集まり、舞妓さんの登場を待って
いました。
我々も本殿にお参りをしたあと舞殿のそばで待っていると、
午後1時前に斎殿から舞妓さんが二人、長唄演奏者ほかとあらわれ舞殿に登り、
奉納舞踊が始まりました。演目は「梅にも春」でした。
奉納は今日は1時から先斗町の舞妓さん、2時から弥栄雅楽会の舞楽、
3時から宮川町の舞妓さんの舞踊となっているようですが、
我々は先斗町の舞踊だけ拝見しました。
二人の舞妓さんの名は「小楽」、「豆楽」さんだそうです。
舞踊は5分位で終わり、あとは舞妓さんと年男による豆撒きでした。
豆撒きもあっというまに終わり、私は一つも拾えませんでした。

 その後祇園の十二段家で昼食後、近くの建仁寺を拝観しました。
ここは臨済宗建仁寺派の大本山で建仁2年(1202)栄西により建立され、
「風神雷神図」「襖絵」などで有名です。
我々は、方丈にある俵屋宗達の「風神雷神図」屏風や
先日厨子から阿弥陀像が盗まれた方丈の仏間と庭、法堂(はっとう)天井の
双龍図などを拝観しました。

 のち四条通りの「くずきり」の鍵善に行きましたがお休みのため、
おとなりの「コーヒー店あさぬま」でコーヒーをいただき、
夜自宅で前回の安土の分と合わせて2回小句会後解散しました。

         春立ちし広き川原阿国の碑   常朝 
    
         先斗町寺の銀杏の芽吹きけり  常朝

         風神図笑顔に見えて春立てり  常朝
  
        (阿国の碑・写真はすべてクリックで拡大)

        (阿国の碑・説明板)

        (鴨川東岸より上流)

        (先斗町)

        (八坂神社・豆撒き)

        (建仁寺・方丈:1月31日右の部屋に泥棒が入り3月2日逮捕)

81.近江観音正寺から安土城

「アカシア紀行・俳句」2009年1月30日(金)


 午後雨の予想の日、いつものメンバー7人で近江観音正寺など安土へ吟行しまし
た。天気に強い我々ですので、午後もしばらくは曇りでしたが夕方雨となりました。

 9時半奈良出発、京滋バイパスから名神竜王ICから8号線経由で11時すぎ
山の上の観音正寺に着きました。
最初、観音正寺の西側の正面からの駐車場を探しましたが、急な坂道なので、
五個荘南交差点から東側の林道を登りました。

 観音正寺は西国三十三ヶ所の寺で、琵琶湖東岸の繖山(きぬがさやま)の山頂
付近にあり、聖徳太子がこの地で出会った人魚の願いで建立されたとのことです。
本堂や本尊が平成5年の火事で全焼したので、平成16年再建され、
本尊の観音像もインドからの白檀で新造されたとのこと。

 駐車場から10分位の山道をゆっくり登ると、道端には石仏が
いくつも置かれ、残り雪があちこちにありました。
土手には冬苺もあり、寒椿が咲いていました。
見下ろす下界は広い近江平野で、青い麦田を白い新幹線が走っていました。

 頂上付近の寺に入ると、広い境内に一対の大きな仁王さまが立っておられ
大仏や献茶用の茶園もあります。
山手(右側)には善男子、善女子と書いたトイレと供養堂や護摩殿、太子殿が
あり、本堂の正門階段の前は屋根から落ちた雪(垂雪:しずりゆき)が高く
積もっていて入れないので、右横の縁から本堂にはいりました。
大きな千手観音坐像を拝んでから本堂横の石積みや観音池を散策しました。
枯れ蓮の観音池には大きさ15センチ位の蝌蚪(かと:おたまじゃくし)
の卵のかたまりがありました。

帰りには供養堂のお坊さんからお下がりのりんごやお菓子をいただきました。

山を下りて、8号線から安土に戻り、安土町役所北の仙五郎店で昼食後、
雨模様のなか安土城跡へ行きました。
織田信長が建てて3年しか住めなかったこの城は、低い安土山頂上にあった
のですが今は約400段の石段や石垣だけが残っています。
大手道に入るとすぐ左が秀吉屋敷跡、右が前田利家屋敷跡、その上が家康
屋敷跡(今は總見寺仮本堂)があります。

大手道・石段の脇の石(耳石)の中にはいくつもの石仏が組み込まれてあり、
時々降る雨に濡れていました。
我々は天守台跡へはいかず、左の總見寺の3重の塔や山門を見て駐車場へ降り
ました。

 その後、東南500メートルほどのところの「安土文芸の郷」の「信長の館」に
行き、再現された安土城天守閣を見ました。
この天守は、1992年のスペイン・セビリア万国博覧会に出展されたものを移築
したそうで、建物の中に天守の5、6階分が実物大で再現されています。
天守は10万枚の金箔が使われているようで、柱も梁も輝いており、竜や釈迦、
天人などの襖絵も、とにかくきらびやかです。
最上の6階へは横の階段で登ると、8畳位の金襴の部屋の真中に美しい2畳の畳
が置かれていました。ここで、信長が客人などを接待したのでしょう。
4時頃信長の館を出て帰りましたが夕方は本格的な雨となりました。


         山頂は近江の札所残り雪    常朝 
    
         麦芽吹く近江突っ切り新幹線  常朝

         耳石にされし石仏冬の雨    常朝
  
        (観音正寺から近江平野・写真はすべてクリックで拡大)

        (石組みと蝌蚪のいた観音池)

        (安土城大手道)

        (信長の館)

        (安土城天守5階)

        (安土城天守6階)