2009年11月6日金曜日

95.大阪・河内・弘川寺から建水分神社ほか

「アカシア紀行・俳句」2009年11月2日(月)

 午後雨にあうとは予想できない良い天気の朝、
いつものメンバー6人で大阪府・南河内郡の弘川寺を訪ねました。

 ここは、葛城山の西の山麓にある、飛鳥時代に役の行者が開いたといわれる、
天武天皇の勅願寺で、鎌倉時代、西行法師が晩年を過ごした寺です。
本尊の薬師如来坐像は本堂の蓮華座に安置されていました。
我々は車で9時半集合しましたが、電車では近鉄・河内長野線の富田林駅から
河内行きバス(約20分)終点から歩いて10分とのことです。

 坂を登った駐車場に車をおき、階段を登ると、高い杉の木に
囲まれた本堂があり、張り替えた障子が数枚、縁に立てかけて
ありました。

 本尊にお参りしてから寺山の坂を登り、まず西行法師のお墓、
西行墳にお参りしました。
お墓は小さな台地の右奥にあり、直径10メートルくらいの円墳です。
西行墳の上には数本の背の高い木がのびており、木の走り根がお墓の周囲を
固めていました。
台地の左側には西行法師のお墓を見つけて庵をむすんだ似雲法師の
径3メートルくらいのお墓もありました。
ほぼ正面には、西行法師の
「願わくは花の下にて春死なむ・・・」の歌碑が建っています。

 そこから山を登ると、似雲法師の「花の庵」跡があり、ちかくに
阿波野青畝の句碑、さらに上には西行法師の庵跡があり、
つつじの返り花がたくさん咲いていました。
桜の木は沢山ありますが、いずれも薄紅葉でした。
1989年の八百年忌に西行墳の東3.5町歩の山地に千本の桜を植樹したそうで、
その桜が今大きく育っています。
当時は西行庵から須磨、明石が見えたそうですが、今は遠くにかすんで
須磨の海は見えませんでした。

 山を下りかけると時雨が降ってきました。
途中の西行堂でしばらく雨宿りしてから、本堂左手の本坊を訪ね、
お庭などを拝見し、西行記念館を見学しました。
中には、いくつかの西行法師像や似雲法師像があり、
狩野探幽の西行富士見図や西行物語絵巻など、貴重な寺宝、文献が
展示されています。


        西行墳覆ふ走り根小鳥来る      常朝

        紅葉越し須磨は見えずよ庵跡     常朝

       (弘川寺本堂:写真はすべてクリックで拡大)
       (西行墳)

       (青畝句碑)

       (西行庵跡)



 その後、道の駅「かなん」の向かいのレストラン、愚留芽で
昼食後、小句会を楽しんで解散しました。
我々奈良組は、その後楠公ゆかりの建水分神社や奉建塔を訪ねて
帰りました。
奉建塔そばの植込みには烏瓜がいくつも掛っていました。


        水分社の注連に初穂の垂(しで)掛る  常朝

        楠公の城跡赤き烏瓜          常朝

       (建水分神社)   
       (楠公・奉建塔)
       (奉建塔の案内)