2010年7月31日土曜日

108.奈良・黒滝の鳳閣寺ほか

「アカシア紀行・俳句」2010年7月24日(土)


 梅雨が明けて本格的な夏の日、いつものメンバー5人で奈良・黒滝村の
地蔵峠の鳳閣寺などに吟行しました。
飛鳥の夢市場で集合して11時頃、地蔵峠トンネル手前の道を左に登ると
旧の地蔵峠に着きました。
たまたま地蔵祭の日だったので、地元の主婦3人が地蔵堂の横の小屋で
地蔵祭の準備をしていました。
地蔵峠はすでに供花などでかざられていました。
ここ鳥住地区は全部で10軒ほどでこの地蔵堂を守っているとのこと。
夕方7時半からお坊さんのお経があり祭をするとのことでした。
峠にはあずま屋もあり湧き水を取込んだ石の御手洗がありました。
郵便夫が単車で登ってきて主婦に郵便を手渡していました。

        郵便夫来たる峠の地蔵盆      常朝

       (地蔵堂:クリックで拡大:以下すべて)

       (地蔵堂の集会所:地蔵盆の準備中)


そこからさらに登ると古いお堂の鳳閣寺あります。
鳳閣寺は、由緒書きによると白鳳時代「役の行者」が天皇の勅許を得て
建てた修験寺ですが、今は真言宗の寺で無住寺です。
本堂の前は、見晴らしがよく吉野川方面の山々と大淀町の新興住宅地がみえます。
近くの一本檜の梢では茶色の小鳥が一羽、キョロンチイなどと
かわいい声でさえずっていました。
あとでインターネット調べると、白い眉紋があったので、
おそらくアカハラにちかいマシチャジナイだと見当をつけました。
しばらくすると、熊よけの鈴をつけた登山者がひとり百貝岳から
降りてきて、別に警官がひとり軽パトカーで登ってきました。
無住寺なので毎日パトロールに来ているとのこと。
警官の話では昔、本堂軒の木鼻にある龍が近くの池の魚をとるので、
みえないように目をなくしたとのことで、よく見ると確かに
谷側の龍の彫り物の目がえぐられているようでした。
本堂の縁下には蟻地獄が10個以上あり、崖には竹煮草が咲いていました。


        竹煮草修験の寺に崖迫る       常朝

        修験寺の縁にありたる蟻地獄     常朝

       (鳳閣寺本堂)

       (鳳閣寺からの眺め:北)




のち、下界へ降りて黒滝道の駅309で昼食をいただき、
東へ戻って河分神社を訪ねました。
山を祀る神様のようですが、あいにく屋根葺き工事中で、
四棟の本殿はシートが掛かり、赤胴色の職人が2、3人働いていました。
ここにも、巨大な夫婦杉があります。
拝殿には奉額がいくつか掛っており、ひとつは長篠合戦でした。



        奉額は長篠合戦青嵐        常朝

       (河分神社の拝殿)

       (河分神社本殿:屋根工事中)



のち、神社の西の山道48号線を南へ500メートルほど走り、砂防ダムの
先にある小女郎滝をめざしましたが、砂防ダムへの道が夏草で
埋もれており、滝へ寄れなかったので山道と谷川を散策しました。
道脇の崖下に山神を祀る祠があり、林業者らの名札が掛かっていましたが、
花や供え物はありません。
夕方には早いのですが「かなかな」(ひぐらし:蜩)がときどき鳴いていました。
道の左側(東側)の砂防ダムは砂で大方埋もれており、
ダムの中ほどの排水口から滝となって水が出ていました。
小女郎滝の代わりとしてはお粗末でしたが水はきれいでした。

        かなかなや砂に埋まりし砂防ダム  常朝

       (小女郎滝近くの山神)

       (48号線沿いの砂防ダム)


のち、橿原ロイヤルホテルで小句会後解散しました。

2010年7月20日火曜日

107.朱智神社から近衛基通公墓、王竜寺

「アカシア紀行・俳句」2010年7月13日(火)


 梅雨明け近い雨模様の日、いつものメンバー7人で京田辺の朱智神社に吟行しました。
朱智神社は、京都と奈良の県境にある京田辺市・天王の山中にある神社です。
車では、京阪奈自動車道の精華下狛ICから南0.5キロ、西へ2キロの水取から
普賢寺小学校の北側の道をさらに西へ1キロほどにある天王バス停、さらに
西へ狭くて急な坂道を300メートルほど登ると駐車場があります。

 朱智神社は奥深い山地にあり、高い杉などの木々がうっそうと茂り、
いかにも神様のおられる山のようです。
たまたま居られた宮司からいただいた案内書などによると
仁徳天皇のころ創建され、神功皇后の祖父「迦爾米(かにめ)雷命」や
素戔嗚(すさのお)命、牛頭(ごず)天王などを祀っています。

 13日はこの神社の(元祖)祇園祭の宵祭りのため、宮司のほか3人の人が
社殿や境内を掃除されていました。
宮司の話では、平安時代清和天皇の頃、京都の八坂神社へ牛頭天王を移し、
祇園精舎を守ったとされる牛頭天王を祭る祇園祭のための「榊遷し」を
毎年行っていたがある年疫病のため都に入れず、それ以来中止とのことです。

 雨模様のなか、本殿にお参りし境内を拝見しました。
100段もあろうかと思う石段の下の方の耳石には、案内書のとおり、
永正4年(1507)などの銘が彫られていました。
宮司から祇園祭の粽(ちまき)を宵祭りの前だが分けてもよいとのことで、
帰りに中川家に立ち寄り、厄除け粽を分けていただきました。

        耳石に永正年号杜青葉       常朝

        撫で牛を撫でり薮蚊を払ひつつ   常朝

       (朱智神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (本殿蛙股の絵)


 そのあと、水取に戻り、京阪奈道の北側の自動車教習所の手前(南)の
関白「近衛基通公」の御廟を参拝しました。
源平時代の関白で、隠居後この地に住んだので近くに公家谷という
地名もあります。

       (近衛基通公の御廟)


 のち、三山木駅手前のこぶや亭で昼食をいただき、
水取から打田への農道わきにある炭焼き窯跡を見ました。
そばの植田では稲が30センチ位に伸びており、つばめが飛んで
浮草が雨に打たれていました。


        県境の谷田をかすめ夏燕     常朝

        雨の水輪田の浮草を揺らさずに  常朝


 その後、打田経由で奈良市二名町の王竜寺を訪ねました。
王竜寺は黄檗宗の禅寺ですが、広い社地の一部を飛鳥カントリーゴルフ場に
譲ったとのことで今も深い森の中の寺です。
本堂の中に摩崖仏がありますが、中へは入れませんでした。
苔の庭には本堂の屋根から雨雫がしきりに落ちていました。


        苔庭に雫の穴や梅雨の寺     常朝

       (王竜寺本堂 2008年3月撮影)

       (王竜寺のヤマモモ 2008年3月撮影)


夕方メンバーの奈良の家で小句会後解散しました。

2010年7月6日火曜日

106.東吉野・投石の滝

「アカシア紀行・俳句」2010年6月29日(火)


 梅雨らしい雨模様の日、いつものメンバー4人で奈良・東吉野村に吟行しました。
東吉野村には多くの句碑があり、公営の入浴施設「たかすみの里」の中には
運河主宰茨木和生先生ほかの尽力で、俳句関係の書物や色紙、句軸などを
保管展示する「たかすみ文庫」が運営されています。


 我々はまず「たかすみの里」の北隣の料理旅館「天好園」に11時半ころ着き、
昼食をいただいてから、園内を散策しました。
園内の鱒池のそばには山法師の白い花が満開で、すぐそばに流れる平野川には
鮠が泳ぎ、河鹿が鳴いていました。

        河鹿聞くと下りし石段手摺錆ぶ   常朝

       (天好園の山法師:クリックで拡大:以下すべて)

       (天好園そばの平野川)


 そのあと、「たかすみ文庫」を拝見しました。
今は「東吉野村所蔵品展」~茨木和生氏寄贈品展~ を開催中で、
色紙など多くの著名な俳人の作品が展示されていました。

  「いつからの一匹なるや水馬」 右城暮石
  「茶の花になほ初春の日和かな」阿波野青畝
  「海に出て木枯帰るところなし」山口誓子

などの多くの色紙・句軸のほか写真も展示されています。

       (たかすみ文庫展示室)


 その後、4,5キロ北の白馬寺の境内にある投石の滝に行きました。
3年前にあった高い欅の巨樹は倒れて伐採されており、
代わりに1メートルほどの若木が植えられていました。
滝は寺の本堂右の杉林の中の川沿いの道を100メートルほどいくと、
見えてきました。
滝を見上げる20坪位の広場にも高い杉があり、一本の杉の根元に
沢蟹が歩いており、見ていると根元の杉皮に隠れました。
そばには

        山祇の土になりゆく小楢の実   鬼房

の句碑もあります。

滝は高さ15メートルほどで、梅雨の時期でもありかなりの水量です。
滝壺は岩だらけですが、そこに流れ込む小さな流れもありました。
下流には砂地もあり、そこでは滝水もゆっくり流れていました。
その後天好園そばの山神を祀る祠と木の道具などと、近くの道路脇の
またたび(木天蓼)の白い花を見ました。


        神杉の樹皮に沢蟹隠れたる     常朝

        滝壷へ杉葉をくぐる流れあり    常朝

        滝水の砂地に着きて落ち着きし   常朝

       (投石の滝)

       (投石の滝)

       (山神祀り)

       (またたびの花)


 のち、吉野の厳島神社を訪ねようと行きましたが、
石段が急だったので今回はあきらめ、橿原ロイヤルホテルで
ケーキセットをいただき吟行を無事終えました。