2012年1月31日火曜日

142.八幡市淀城跡から石清水八幡宮鬼やらい

「アカシア紀行・俳句」2012年1月29日(日)

 大寒の日曜日、いつものメンバー7人で京都伏見の淀城跡から
八幡市・石清水八幡宮の鬼やらいを訪ねました。

 鬼やらいは午後だったので午前中八幡宮の北東約3キロの
淀城跡を訪ねました。
ここは豊臣秀吉の側室淀君(浅井茶々)の城であった淀城とは別の城で
江戸時代春日局の子孫稲葉正知(まさとも)以来稲葉家の城だったようです。
淀君の城はここから約500メートル北の納所(のうそ)付近にあったとのこと。

 電車では京阪本線淀駅から西へ100メートル位ですが、
車で奈良方面からは24号線大久保バイパスより15号線を西へ4キロ
ほどで出合う13号線(旧京阪国道)を東へ0.5キロで右折します。
少しややこしいですが、淀城跡公園の周囲を北側から右に回ると、
與杼(よど)神社脇の駐車場があります。

 11時前着くと、與杼神社のそばに別の古い稲葉神社があり、
破れ太鼓が社務所の軒に吊られていました。

 たまたま居た70才位の男性が、我々を20メートル四方位の
天守閣跡に案内してくれ、古井戸の蓋から小石を投げ入れさせました。
深さ10メートルくらいの水音がしました。
昔埋蔵金目当ての盗掘があったので今は天守台は立入禁止とのこと。

 城趾は公園で四阿があり、周囲に説明板、石碑などがあります。
冬芽の大銀杏や山茶花、モチノキ、南天などがあります。

 説明板によると、この城は桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる
船運の要所だったそうで、朝鮮通信使も立ち寄ったそうです。
北西側は濠で、北端には淀城や朝鮮通信使の船の模型が置かれていました。

        三川の集まる城址冬の雲     常朝

        城石に丸に十の紋風花す     常朝

        (淀城石垣:クリックすると拡大:以下すべて)

       (唐人雁木の説明板)

       (天守閣の古井戸)

       (石垣の石)

       (淀城模型)

       (稲葉神社の説明板)


 その後、13号線を西へ八幡市に入り、22号線を南下して国道1号線の
八幡中代のバイキングレストラン「露庵」で昼食後、12時半頃
石清水八幡宮へ向かいました。

 鬼やらいは節分の神事で、通常2月3日の鬼追いと豆まきなどの行事ですが、
石清水八幡宮では、3日が日曜でないかぎりその前の日曜日に
おこなわれるとのことです。

 八幡郵便局の前の道を西へ、指月交差点の西から北上し、
八幡宮のある男山の南側から山上駐車場に向かいました。
すでに麓から一本道は渋滞で、1時頃からゆっくり進み、
2時15分頃やっと山上の第三駐車場に着きました。
駐車場から屋台を抜けて本殿前に進むと、
すでに鬼やらいは終っていました。
豆まきで福豆を拾ったのは途中から歩いたメンバー2人のうちの
1人だけでしたが、終わりの行列が戻るのを見ることができました。
日差も最初は良かったですが、終わるのを待っていたように
雪がちらついてきました。

 禰宜たちが豆屑を掃いている本殿前の特設スロープを登り、
本殿を参拝して、破魔矢祓いの巫女の舞などを見ていたら
本殿前で2月の湯立神事の準備の杭を打ち始めました。
杭打ちのため鬼よりでかそうなガードマンが我々を移動させました。


        鬼やらい果てし齊庭によき日差    常朝

        福豆の袋ひとつを分けらるる     常朝

        (石清水八幡宮)

        (鬼やらいの太鼓)

        (本殿前の杭打ち)

        (鬼やらいの桃の枝)


 3時頃、八幡宮を辞して奈良に戻り、黒髪山のcocosで
小句会後5時半すぎ解散しました。

2012年1月10日火曜日

141.蘇我邸跡、飛鳥神社から綱掛神事

「アカシア紀行・俳句」2012年1月9日(月)

 龍の年の成人の日、いつものメンバー7人で奈良・飛鳥川の
勧請縄の綱掛神事(お綱掛け)に参拝しました。

 神事は午後だったのでその前9時半頃飛鳥駅前の夢販売所で
集合後、甘樫の丘の東南のふもとの蘇我邸跡の発掘現場を
見学しました。

ここは1977年頃からの発掘調査で、飛鳥時代権力のあった蘇我家の
邸宅の跡と推定され、何度か現地説明会があった所です。
駐車場のすぐ北側約80メートル四方の現場には今は誰もいませんが、
手前の30X10メートル位は発掘中らしくシートが掛けられており、
南端で水中ポンプが音を立てていました。
説明図によると長さ10メートル程の建物の跡がいくつかあり、
外からは見えませんが石垣跡もあるようです。


        蘇我邸の発掘現場冬ざるる     常朝

        (蘇我邸発掘現場:クリックすると拡大:以下すべて)

       (説明板)


 その後、飛鳥寺東の飛鳥神社を訪ねました。
ここは事代主命を祀る神社で、代々飛鳥家が宮司ですが、
折口信夫(釈迢空)の祖父が養子となり宮司を務めたこともあり、
何度か訪ねたようで、釈迢空の歌碑もありました。
鳥居の前には橘の木が実をいっぱいつけていました。
急な石段をのぼると拝殿があり、お酒などが供えてありました。
拝殿から見える本殿には小石を積んで供えてありました。

 境内には陽石があちこちにあり、結びの神石と名付けた
陰陽の石の対に注連縄があります。
右奥の奥社には高さ1メートルほどの陽石が祀ってあります。
毎年2月第一日曜に行われる夫婦和合の奇祭:おんだ祭
(御田植祭)は有名です。
拝殿の右には寒桜が咲き、ヒヨドリが鋭く鳴いていました。
絵馬掛けには合格祈願などの切実な言葉が沢山ありました。
 参拝後しばらくすると、数人の男女がきて、拝殿で祝詞を
合唱(?)しました。

        奥社に陽石ひとつ冬籠り     常朝

        絵馬祈願うなづき読みし冬の杜  常朝

        (飛鳥神社)

        (飛鳥神社由緒)

        (飛鳥神社拝殿)

       (奥社の陽石)


 境内を散策したあと、飛鳥駅南の「ペンション飛鳥」で
昼食をいただき、綱掛神事のある稲渕へ行きました。

 我々が着いた1時頃にはすでに10台位の車が稲渕の大橋の手前
(北側)の駐車場にありました。
橋のすぐ手前の道脇にテントが2つあり、
暖かい甘酒が振舞われていたので、一杯ずついただきました。
対岸の棚田の中腹には青い龍がこちらを見ていました。

 神事は3時頃からとのことでしたが、橋の下の狭い平地では
数人の地元の人々が勧請縄を準備中でした。
飛鳥川の勧請縄は2つ(男綱と女綱)があり、こちらは男綱で、
女綱は1キロほど上流の柏の森地区の入口にあります。
従来男綱と女綱の綱掛神事は同じ1月11日に実施されていましたが、
人手不足のため今年から、9日と11日に分けて行われるようになった
とのことです。

 すでに、下の小橋の上には祭壇が置かれ、欄干には、
蜜柑と神事の祈願紙が先に取付けられた長さ1メートル程の竹串が
100本ほども立てかけられています。
地元の人々が順次串を立て、遠方からの人も含め100人以上の人が
集ったようです。

 しばらく時間があったので、150メートルほど上流の
板橋の行き飛び石を見ました。昨年夏、蛍狩で来た所です。
また、小橋のすぐ上流に井堰があり、取水口で別れた水が
大橋下で飛鳥川に戻っていました。

        井堰より分かれて戻る冬の水   常朝

        飛び石の道の細きに水菜畑    常朝

        (降ろされた古い男綱)

       (飛鳥川の飛び石)



 2時すぎから、川の両岸に掛かる70メートルもある、
古い男綱が降ろされました。
橋の上から道の脇に新しく藁で編まれた綱が伸ばされ、
真ん中に太さ30センチ以上、長さ1メートル以上の藁で編んだ
円筒形(男性シンボル状)が取付けられました。、
同時に綱の2メートル毎に、榊枝、紙垂(しで)、藁を順に
取り付けるのですが、数が多いので我々参加者もも手伝いました。

 2時半頃、新しい綱が掛けられ、紙垂の白い紙が、寒風に
音を立ててはためきました。
綱掛けの途中、車が来ると、2、3人で綱を持ち上げて、
「とおりゃんせ」をしていました。

 3時過ぎ飛鳥神社の飛鳥宮司が見えて、神事が行われました。
3時半頃終わったあと、祈祷の串と蜜柑をいただきました。
祝詞の途中冬風が吹き時雨が来ましたが、帰りの車に乗ると止んでいました。

        お綱掛け祝詞を飛ばす寒の風    常朝

        (祭壇とみかんの竹串)

        (柿の木に掛けられる男綱)

       (綱掛神事)

        (掛けられた勧請縄・男綱)

 その後神事でお会いした結社のImさんを橿原神宮駅まで
お送りし、橿原観光ホテルで小句会後、5時半頃解散しました。
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