2012年4月24日火曜日

148.大安万呂墓から都祁氷室神社八咫烏神社など

「アカシア紀行・俳句」2012年4月22日(日)

 4月下旬の穀雨の日曜日、いつものメンバー7人で、奈良・大安万呂墓から
都祁氷室神社、八咫烏(やたがらす)神社などに吟行しました。

 奈良方面から大安万呂墓へは、奈良教育大学南の東紀寺3丁目交差点を東へ、
県道80号線を約8キロの田原交差点を左折、約600メートル北の橋を越えて
左折、約400メートルの茶畑が目印で、道路右側に案内板があります。

 我々は田原交差点を北上し光仁天皇陵まで行き過ぎたので西へ戻りました。
茶畑についたのは10時前、少し風もある雨の中を、茶畑の中の石畳の急坂を
30メートルほど登りました。
墓は大きな桜の木のそばにあり、直径4メートル程の円形に石を2段並べた
縁がありました。

 昔訪ねたときは、茶畑の中の農道を登りましたが、
今は丁寧に整備されて参拝しやすくなりました。
お墓から見える桜や山桜はまだ見事な満開でした。
先日の新聞では古事記編纂1300年記念に安万呂の分骨を命日の7月6日に
田原本市・多神社の東1キロにある古墳に納骨するそうです。

        安万呂の墓を鎮めて花の雨    常朝

        茶畑の中によき墓穀雨かな    常朝

        (安万呂の墓:クリックすると拡大:以下すべて)

        (安万呂の墓説明板)

        (安万呂の墓からの景色)


 茶畑を降りて、47号線一台峠を越えて一旦369号線に入り、
再び47号線を西へ、天理市福住の都祁・氷室神社を訪ねました。
いつ訪ねても神々しい杜と神社で、神池(茅萩池)には雨足が水面に
はね返り暗い杜の中に光っています。
緋鯉達も春の雨を喜んでいるようでした。
また、池の近くにはミヤマカタバミが蕾をつけており、
本殿の鎖樋からは春雨の水があふれています。
神社北側の棚田では蛙が鳴き、電柵のある土手には土筆が
いっぱい生えていました。

        雨足の光つてゐたる春の池    常朝

        電柵のなかにあまたの土筆生ふ  常朝

        (氷室神社)

        (氷室神社北の谷)


 メンバーの一人が昼に奈良へ帰るため、榛原駅へ送ってから、
駅近くのオークワ3階のレストラン「ピア・ジョリー」で
昼食をいただき、少し小止みになった雨の中、榛原駅の南、宇陀市
上井足の三十八神社を訪ねました。

インターネットによると三十八は「みそは」とよむそうですが、
38神をお祀りするのでなく、水の神、弥都波能売命を祀っています。
明治までは、境内に神宮寺「善福寺」があったそうです。
雨の中10人位の背広の人が、月次祭ということで参拝され、
背広の神官代行の人から、一人ひとり玉串を受けて奉納されていました。
境内東側の道には桜が10本以上満開を過ぎて、花びらを道脇に
敷き詰めていました。
また土手にはカキドオシが紫の花をつけていました。

        花びらの流れ吸ひ込む神の杉   常朝

        蛙の声谷越え届く山の杜     常朝

        (三十八神社の境内)

        (三十八神社の月次祭)


 その後、さらに南の八咫烏神社を訪ねました。
八咫烏神社は、神武東征のおり、熊野から吉野・宇陀まで、
神武天皇軍を道案内したという八咫烏を祀っています。
伝説によると、八咫烏は賀茂氏の先祖建角身命(たけつのみの命)が
化身したものとのことで、この神社はその方を祀っています。

日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏のためでしょう、
サッカーボールを頭に載せたカラスの像が境内右手にありました。
高い石段の上に大きくはないですが立派な本殿がありました。
境内左手は森への細道と土手で、鶯が鳴き、虎杖(いたどり)が伸びて、
ムラサキケマンが咲き、ウバユリの蕾がありました。

        八咫烏の社の旗に穀雨かな    常朝

        八咫烏祀る社に花見鳥       常朝

        (八咫烏神社の拝殿)

        (八咫烏の像)

        (八咫烏神社の説明板)


その後名阪国道針テラスに戻り、メルカートロッソで小句会後解散しました。

2012年4月9日月曜日

147.飛鳥蹴鞠と花祭り

「アカシア紀行・俳句」2012年4月8(日)

 4月のすばらしい天気の花祭りの日、いつものメンバー7人で、
奈良・飛鳥の花祭りに参加、蹴鞠も見学しました。

 9時半飛鳥夢販売所で集合し、まず橘寺の花祭りにお参りしました。
夢販売所の軒では燕が巣作りをしていました。
橘寺は、聖徳太子誕生の寺として知られていますが、
さらに昔垂仁天皇の命により不老不死の果物を求めた田道間守が持ち帰った
橘の実をこの地に植えたため地名となったようです。

 8日はお釈迦様のお誕生日を祝う祭で、花祭り、花会式、潅仏会などとして、
全国の大きな寺で行われます。
橘寺では本堂の中に、お寺の敷地内で採られたという
様々な花をお堂の屋根に載せた「花御堂」を安置していました。
中の灌仏盤というお皿の中にまるまる太った誕生仏が立っておられ、
甘茶を小さな杓でおかけしました。
その後紙カップの甘茶をいただきました。
本堂の裏庭には「二面石」があり、左が泣き怒っているような顔、
右は笑っているような顔ですがどちらも石が摩耗していました。
裏庭の池には、錦鯉が数匹泳ぎ、紅色の春落葉が風に流れています。
奥の広い庭には中門跡、五重塔跡などがあり、桜などを見て散策しました。

        直売の店へまっすぐ初燕      常朝

        み仏のおなかぽっこり花御堂   常朝

        花の上に御堂見えたる飛鳥かな  常朝

        (飛鳥夢販売所の燕の巣:クリックすると拡大:以下すべて)

        (橘寺本堂)

        (橘寺の花御堂)

        (橘寺の二面石)


 その後、飛鳥寺北の「膳」店に行きましたが満席だったので、
石舞台の駐車場に車を置き、夢市茶店で、古代米御膳をいただき、
石舞台南の芝生広場で飛鳥蹴鞠を見学しました。

 飛鳥蹴鞠は、数年前蹴鞠保存会が飛鳥時代に宮中などで
行われた中国伝来の蹴鞠を再現したとのことです。
紫(衣装)組と白組に5人ずつに分かれて、7X14メートル位の
斎竹で囲まれた芝生を2つに分けてそれぞれチームが入り、
直径20センチ位の鹿皮のボールを落とさないよう代るがわる蹴ります。

 地面に落としたら審判役の鞠司が相手チームにボールを渡し、
互いに相手チームの後方の斎竹の縄を蹴って越えさせると1点が入るという、
割合勇壮な競技です。(優雅な平安時代の蹴鞠とは違い)
風向きも勝負に影響するのでコートチェンジもあるようです。
今回は25分位のゲームで白組が3対1で勝ちました。

 周囲の桜が徐々に色を濃くする飛鳥の芝生の上で、
春の空高く鞠が上がるのはなかなか気持ちの良いものです。
練習中に白蝶が蹴鞠場に迷い飛んできました。

        斎竹を越え飛ぶ蹴鞠山笑ふ    常朝

        初蝶の覗きにきたる蹴鞠かな   常朝

        (飛鳥蹴鞠:アイヤーと声掛けて蹴る)


 その後、飛鳥寺に移動し、2時からの花会式に参加しました。
飛鳥寺は日本最古のお寺で、本堂では飛鳥大仏が古代的な微笑を
今も見せておられます。

 開始まで時間があったので、本堂前に置かれた
小さな花御堂の、さらに小さな誕生仏に甘茶をお掛けし、
甘茶をふたたびいただきました。
こちらの花御堂は、橘寺と違いかわいい花ばかりが屋根に敷かれて
いました。本堂内にも花のない小さな御堂と誕生仏がありました。
寺の外の田んぼでは画家があちこちにキャンパスを立てていました。

 境内の松瀬青々の句碑などを見てから西門跡から数十メートル西の
入鹿の首塚を訪ねました。

 首塚は、西暦645年の大化の改新のとき、
中大兄皇子と藤原鎌足(当時中臣)によって討たれた蘇我入鹿の
首が飛んできたという所にある供養の5輪塔です。
昔は周囲は田のぬかるみのようでしたが、今は塚までの通路が
きれいに舗装されています。
入鹿への供花のように一畝の菜の花が見事に満開でした。

 花会式は御詠歌と住職と他の4人位の僧侶による声明から始まりました。
村長代理の方の祝辞や招待客の灌仏などなど式は続きましたが、
我々は3時前に寺を辞して、橿原観光ホテルで小句会後解散しました。

        大庇の日差ゆたかに花御堂    常朝

        飛鳥路の時ゆったりと花祭    常朝

        (飛鳥寺本堂)

       (飛鳥大仏)

       (飛鳥寺の花御堂大仏)

       (青々句碑:ましまして斗帳に花の主かな)

       (入鹿首塚)


 今日は今年始めての春らしい天気に恵まれて、古都飛鳥の花祭りや
蹴鞠を楽しめました。
その割には良い句はできませんでしたが。