2012年9月23日日曜日

158. 毛原廃寺跡から笠間街道・竜王淵


「アカシア紀行・俳句」2012年9月22日(土)

  やっと朝晩涼しくなった秋の彼岸の中日、いつものメンバー6人で、
奈良・毛原廃寺跡から宇陀市の笠間街道・竜王淵を訪ねました。

 毛原廃寺跡は山辺郡山添村毛原地区にある、奈良時代の大きな寺の
跡ですが、金堂、中門、西塔、南門の礎石だけが残っています。
電車では、名張駅から毛原行きのバスがあるようですが、
我々は9時過ぎ針テラスで集合し、車で訪ねました。

 車では、名阪国道小倉ICを降り、25号線を北東4キロ程の
万葉ゴルフ場の中を東へ通り抜けて、さらに4キロ程東です。

 県道782号線から右へ降りる狭い道を70メートルほど降りて、
廃屋前の空地に駐車しました。
背の高い草の陰に彼岸花がさいていました。

 少し坂を北へ登ると、南門跡の大きな礎石が数個あり、
その北側で男性が一人、青柿の木のそばの大きなキーウイの蔓を払い、
下草を刈っていました。

 訊ねると、勝手に生えた木で実がならないとのこと。
すぐ東の土に隠れた中門の礎石を見せてくれました。
中門跡も、南門跡もその家の畑地とのこと、
10年前訪ねたとき話を聞いたご老人のお家の人のようでした。
寺跡を守るため年に数回草を刈っているそうです。
礎石のそばには桔梗が植えられ、西側の猪垣の中には、
女郎花、秋明菊などが咲いています。

 さらに北側の金堂跡は礎石が30個程と多く、南側に小さな稲荷神社と、
説明板、奥に山辺の御井(井戸)がありました。
(ほかにも都祁の水分神社、鈴鹿市山辺町にも御井とされる井戸あり)

 金堂跡周囲には3つほどの小さな堀(2,3メートル四方の池)が
石垣に囲まれており、蛙が泳ぎ、赤とんぼがいました。

 また、金堂跡には大きな夏みかんの木が大きな去年の実と、
まだ少し小さい今年の青実をつけていました。

 南門のさらに南の岩に彫られた六地蔵を見てから、
笠間街道へ出発しました。六地蔵は室町時代とのことなので、
早くてもその頃までお寺があったのでしょう。
西塔跡があっても東塔跡がない、古文書に寺の記述がない、など、
謎の多い寺跡に、山の秋が降りて来ていました。


       廃寺跡草に隠れて彼岸花      常朝

              (毛原廃寺跡、稲荷神社:クリックで拡大:以下同じ)
               (毛原廃寺説明板)
              (毛原廃寺説明板:配置図)
              (山辺の御井)
              (山辺の御井説明板)
              (六地蔵)
              (六地蔵説明板)
              (南門の石碑)
毛原廃寺跡から南3キロで上笠間ですが、そこから東へ5キロの
染田地区にある、染田天神(春日神社、十輪院と同じ境内)を
訪ねました。中世に連歌が行われた連歌堂の跡とのことです。

 一人の男性が境内を掃除しており、聞くと、当番で数人ずつ
境内を掃除しているのですが今日は一人だけとのこと。
同じ俳句結社「運河」の先輩(女性)がすぐ近くに住まれ、
俳句の指導を受けているとのことでした。

 当時近くに多田城があり、周辺の豪族などがこの社に集まる理由の
一つに連歌会も行われたのだろうとのことです。

 天神社は檜皮葺きだったの銅板葺きにされており、大きな杉の木立の
下で、屋根が秋の日に輝いていました。


       連歌堂銅葺き新た天高し      常朝

              (染田の春日神社)
               (染田天神)
              (染田天神説明板)
              (十輪院)

 その後、笠間街道を4キロほど南下して、向渕で右折(西へ)
1.5キロほどの竜王淵を訪ねました。
竜王淵は昔女の人が北東にあった飯降淵(いぶりふち)でおむつを
洗ったので、神が怒り、淵を沼に変え、この地に淵を移したとのこと。

 この淵で乙女が二人水浴していたのを向渕の役人、藤原時廉(ときかど)
が見て、天女の衣を手にとりあらわれたので、乙女らが驚いて、
靴を脱いだまま飛び去ったので、靴ぬぎ池と言われたそうです。

 竜王淵のすぐ西南の堀越神社の駐車場に車を止め、そばの浮御堂のような
四阿から見ると、三方を山に囲まれ、きれいな水をたたえた神秘的な湖です。

 説明板によると、東西150、南北100メートルの大きさで、
「堀越神社は龍王ヶ渕の西側にあり、豊玉姫命を祀り、本殿内の御神体は
桶の中に収めた石で旱魃の時には向渕の農民をはじめ、近村からも
祈雨の願いを込めてお詣りし、今でも雨乞いをする時には龍王ヶ渕周囲を
たいまつを持って「雨ヲタマワレ→タマワレ→タンブリ、タンブリ」と
いって回ります。」   とのこと。

 水面には菱の葉が浮き、小さな白い菱の花が点々と咲き、
一部は紅葉していました。
淵の上をとんぼが飛び、岸辺には糸とんぼ、赤とんぼがいました。
岸辺の水中にバレーボール大の硬いゼリー状の塊がいくつか沈んでいます。
気味の悪い物体ですが蛙の卵かもしれません。

 (あとで調べていただいたら、寒天状のかたまり(虫室)につく1.5ミリほどの
 虫「オオマリコケムシ」の集まりとのこと:北アメリカ原産)

堀越神社にもいきましたが、小さな社で、岸に短い桟橋がありました。


       鯉跳ねし水輪に揺れず菱紅葉    常朝

       竜王の淵に映して蜻蛉飛ぶ     常朝

              (竜王淵)
               (竜王淵の四阿)
              (堀越神社)

 飯降薬師や穴薬師も拝見するつもりでしたが、お腹がすいてきたので、
南約2キロの緑川交差点を東へ4キロほどの三本松「道の駅-室生宇陀路」で
遅い昼食をいただき、桜井の天平庵に移動、小句会後5時前解散しました。

 夕方から曇ってきましたが、お天気に恵まれた吟行でした。

2012年9月15日土曜日

157. 高鴨神社から阿田峰神社・梨園

「アカシア紀行・俳句」2012年9月7日(金)

  まだ暑い9月の白露の日、いつものメンバー6人で、奈良・御所市の
高鴨神社から五條市大野新田町の阿田峰を訪ねました。

  高鴨神社は金剛山のふもと、御所市鳴神にある鴨一族の先祖、
阿治須岐詫彦根命(あじすきたかひこねのみこと)ほかを祀る神社で、
京都の加茂大社など全国の鴨神社の総本山とされています。
車では、南阪奈道の葛城IC東の太田南交差点から山麓道(30号線)を、
南へ約8キロです。

  11時前に神社に集合し参拝後、木々のうっそうとした境内を
散策しました。
本殿への石段の右には、右城暮石先生の句碑

     天の神地の神々に植田澄む     暮石

が昭和54年9月の銘で立ち、台座は苔におおわれていました。

  本殿手前左の池には、山からの水が音立てて流れ落ち、浮舞台が新しく
作られ、菱の葉が浮き、ところどころ白い花が咲いています。
菱の葉の上のみをトンボが往復していました。
本殿右手には東殿、左手奥には西殿があり、法師蝉が鳴いていました。

  5月には境内右手に500種2000鉢以上といわれる桜草が展示されますが、
いまは、菖蒲の鉢が数十並んでいました。

  神社の左手には「葛城の道・歴史文化館」があり、
受付に一人の男性職員がおられ、どこからと聞かれました。
館内は狭いですが、弥生時代の土器などが展示され、葛城の道の
写真つきの案内板がいくつか掲示されています。

       葛城の水落つ池に薄紅葉      常朝

              (高鴨神社:クリックで拡大:以下同じ)

              (右城暮石句碑)
              (神社の池と浮舞台)
              (歴史文化館)

  309号線名柄の東の「わだきん」で昼食をいただいたあと、
国道24号線を南へ5キロほどの居伝町を左折、工業団地を抜けて、
阿田峰へ行きました。

  阿田峰は、梨園のほか、戦時中は海軍の大和第二飛行場があった所で、
今は、草原やクヌギなどの雑木林となって、滑走路の跡は道路です。
飛行場跡の北に阿田峰神社があり、小さな社と右手に以前なかった
集会所のような建物がありました。

  境内には大きな岩の万葉歌碑(2096)

     真葛原靡く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野の萩が花散る

があり、歌のように涼しい山風に萩の花が揺れ続いています。
まだ萩は散っていませんが。
神社の西側はワルナスビ(外来種)の白い花が群生しています。
近くのクヌギの木には兜虫の雌や黄金虫、草原には馬追などが
いました。

       飛行場跡の萩原揺れやまず     常朝

              (阿田峰神社)

               (万葉歌碑:真葛原靡く秋風吹くごとに・・・・)
              (ワルナスビの原)
              (兜虫の雌)

  その後、神社の東約1.3キロにある大淀町の梨園の直売店・明生園を
訪ねて、梨を買いました。
まだ二十世紀梨は早いですが、幸水や豊水はお店にありました。

  梨園の主は私の子供の頃、夏休みで母の実家へ帰った時など、
よく訪ねた親戚の梨農家です。
またその跡継ぎのご長男が裏の梨小屋で忙しそうにしていました。
また梨園の一部を囲む青い網は猿よけだそうです。

  昔母から聞いた、前の戦争中、飛行兵の山中行軍訓練で梨山の家を
訪ねた一人が、叔母を気に入って、その後実家の上を飛行機で旋回
した話などを、あらためて聞きました。
この話は以前テレビで放映されたとのことですが、話がテレビ用に
脚色されたので、叔母は大変嫌がったそうです。

  飛行兵は翼の付け根のすき間から、マフラーを振ったそうです。
夏でも上空は寒いので飛行兵はいつもマフラーをつけたそうです。
当時の練習機は木製で、プロペラを起動するための車があり、
それに乗せてもらって飛行場へいったとのこと。
梨山の近くの家が20人位の飛行兵の宿舎となり、炊事兵が毎日、
山から西の谷へ降り、水を汲んで上がったとのことです。

       猿よけの網青青と梨の園      常朝

              (梨園直売店:左3人はマネキン)

  その後橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
ホテルに着いてから降りだした雨が小止みになるまで、
しばらくロビーで待ちました。
夕方から白露らしい気温になったようです。

2012年9月8日土曜日

156. ニュージャージーからニューヨーク


「アカシア紀行・俳句」2012年8月30日(木)から9月4日(火)

  アメリカ・ニュージャージー州リッジウッドに転勤滞在中の長男一家と
11年ぶりのニューヨークを訪ねました。
(ニュージャージーはニューヨークの西隣)

  30日13時30分に関西空港を出たチャイナエアラインの飛行機は、
同じ日の13時35分、ニューヨークのケネデイ空港に着陸、
わずか5分でアメリカです(?)。

  迎えのリムジンと夫婦の車で早速リッジウッドの家を訪ねました。
森の中の別荘地のような住宅地で、絵本にあるようなアメリカの家の
前庭の大きな鈴懸の木にブランコが下がっており、地下室もあります。
夜近くのホテルHyattに孫(10才男子)と泊まり、プールでクロールを
見せてくれました。

              (ホテルのプール:クリックで拡大:以下同じ)
  翌31日はホテルから、車で駅や孫の現地小学校を見学したあと、
6人がリムジンと車でマンハッタンのヒルトンホテルに移動、
荷物を預けました。

              (リッジウッドの町:クリックで拡大:以下同じ)
                (リッジウッドの小学校)
              (小学校の教室)

  42番通りの中央駅で昼食後、59番通りのおもちゃ店FAOから5番街を、
50番通りのロックフェラーセンターまで歩き、途中改築中のセント・
パトリック教会に立ち寄ったあと屋上から摩天楼を眺めました。

        摩天楼若者闊歩の秋暑し      常朝

              (グランドセントラル・ステーション)
              (セントラル・パークの馬車)
              (セントパトリック教会)
              (ロックフェラータワーからの眺め:北側 )
              (ロックフェラータワーからの眺め:南側)
  翌9月1日はメトロポリタン美術館からセントラル・パークを南へ歩き、
途中の池で休みながら、孫が借りた小型ヨットの無線操縦を見ました。
のち、フリック・コレクションを見学後、タイムズスクエアに行き、
ローマのスペイン階段のような階段から沢山の高層ビルの壁のパネルを
見たあと、ブロードウェイのミュージカル「マンマ・ミア」を見ました。
「マンマ・ミア」ではアバの名曲とダンスに感動でした。
劇場を出ると高層ビルの間に満月が登っていました。

        美術館出れば異国の蝉の声     常朝

        摩天楼すき間にかかる望の月    常朝

              (メトロポリタン美術館)


              (フェルメールの水差しを持つ女)
              (セントラル・パークの池と無線ヨット)
             (タイムズスクエアの人人人)
             (ブロードウェイのミュージカル劇場)


  9月2日はヒルトンをチェックアウト後、車でダウンタウンの証券取引所から、
9.11同時テロで倒壊した貿易センタービル(WTC)のあと(グラウンドゼロ)を訪ねました。
  ここは、11年前妻と展望台へ登ったWTC南館と北館のあった所で、
今は、2つのビル跡にそれぞれ記念の大きなプールが作られ、縁から
滝のように水が落とされていました。
プールの縁の鉄板には犠牲者の名前が彫られ、日本人の名も沢山ありました。
我々が2001年1月16日展望台に立った8ヶ月後の9月11日テロでビルと共に
約3000人がなくなりました。

        鎮魂のプールの縁より秋の水    常朝

              (911メモリアル全景:911Memorialパンフレットより)
               (新WTCの予定図:WTC1とWTC4が建設中:同上)

  その後、マンハッタンの南端のバッテリー公園に歩き、
遊覧船で自由の女神の海を周遊して、海から摩天楼を眺めました。
我々の船は女神の島に上陸しない、写真よりやや大きい船でした。
昔、アメリカ大陸への移民が着いた港の跡や、レンガ作りの
入国管理事務所の跡が残っていました。
港跡へは孫が学校の遠足で来たとのことです。

  ダウンタウンの13番通りのホテルStandard NY にチェックイン後、
セントラル・パーク西南端のコロンブスサークル(59番通り)近くの
台所用品店で買い物、夕食後ホテルに戻りました。

        秋空より青き自由の女神かな    常朝

        移民船着きし港に秋の波      常朝

              (自由の女神の遊覧船:島に上陸する船)
              (海からのマンハッタン:左が建設中のWTC1と4)

  翌3日は、ホテルの近くのハイラインと呼ばれる、貨物用の
高架鉄道跡の空中遊園歩道を歩き、ナビスコ工場跡の専門店街・
チェルシー市場で買い物をし、ホテルからJFK空港まで送ってもらいました。
3日16時発の飛行機は4日18時半無事関西空港に着きました。

        廃線の高架にありし花野かな    常朝

  盛り沢山な内容でしたが、お天気にも恵まれ、長男一家のおかげで
印象に残る旅ができました。


(記録のために、料金などをメモしておきます。
 エアーチケット往復:116900円、Hotel Hyatt:$195、
  Hotel Hilton:$877(2泊)、Hotel NY Standard:$396、
 Rockfeller:$25、Metropolitan:$25、Fric:$18、911Memorial:無料、
 MammaMia:$789(6人)、Cruise$11)