2015年2月28日土曜日

207.大和郡山市の「大和な雛まつり」から郡山城の盆梅展

「アカシア紀行・俳句」2015年2月26日(木)    前へ   次へ

 2月雨水の頃の一日中雨の日、
いつものメンバー6人で、大和郡山市の「大和な雛まつり」の
雛展示のひとつ「旧川本邸」と郡山城の盆梅展を訪ねました。

 9時半すぎ郡山城の追手門で集合し、ひな祭りの代表的な会場である、
川本邸に行きました。
「大和な雛まつり」は今年で4回めで、市内の120ヶ所の店舗、民家などに
雛飾りを展示し一般に公開されています。(今年は2月21日から3月8日)

 旧川本邸は源九郎稲荷神社参道の西側にある元遊郭で建物は市が保存しています。
我々は車で稲荷神社を訪ねましたが、参道入口への道(駅前商店街)は、
一歩通行のため新紺屋町交差点からは入れず、
近鉄郡山駅のバスターミナルへ戻りましたが、そこからは商店街通りへは
入れず、2回も挑戦しました。結局、新紺屋町交差点の藺町線の南のオークワ
スーパーの駐車場に車を置かせてもらい、雨の中を300メートルほど歩きました。
オークワ駐車場のすぐ北に神社があるのですが、通路さえありませんでした。
(入り口を探して走ったので交差点を行き過ぎずメンバーを下ろすべきでした)

 川本邸は木造3階建で入り口は狭いですが、遊郭らしく小部屋が沢山あります。
玄関で、係の女性から署名用紙を渡され、建物が耐震でないので、
万一の時は自己責任を了解して住所氏名を記入して下さいとのことで、
全員署名しました。

 渡された袋に傘と靴を入れ、持ちながら各部屋にある雛飾りを見学しました。
昭和初期からの立派な雛壇から、階段上の90センチ四方の隙間に飾る雛壇まで、
約10種類以上の雛飾りを見学しました。
2階への大階段にも、ぎっしり雛人形がありました。
もちろん、内裏びな、三人官女、五人ばやし、左大臣、右大臣、仕丁、
雛道具、菱餅などです。

 雛人形は同じように見えますが、よく見ると顔や目の形が違いました。
雛道具には火鉢もあり、網付きもありました。
吊し雛には金魚もあり、別の部屋には、山と川を模して、三つの筏にのせた
「流し雛」もありました。
また帰りに、川本邸の壁を見るとハート型の桃尻窓がありました。


       悲しみとも慈愛とも見ゆ女雛の眼  常朝

       布製の金魚もありし吊し雛     常朝

         (川本邸案内図:クリックで拡大:以後同じ)
   (御殿雛)

              (川本邸内庭)
              (階段上の雛飾り)
              (階段の雛飾り)
              (流し雛)

 雨は降っていますが小雨程度なので、川本邸のすぐ南東にある源九郎稲荷神社を
再び訪ねました。        (参照:アカシア紀行169
ここでも雛飾りがありました。
雛壇に狐雛や狐面が置かれて、稲荷神社らしい雛飾りです。
歌舞伎の勘九郎が寄進した枝垂れ梅が咲き、狛狐が雨に濡れていました。

       稲荷杜に展示されたる狐雛    常朝

         (源九郎稲荷神社)
              (稲荷神社の雛飾り)
              (雛掛軸)


 その後、郡山城北西の「弁慶」で昼食をいただき追手門に戻って、
盆梅展を訪ねました。
普段は追手門の中は車禁止ですが、盆梅展中は車で中に入れました。

 盆梅展の会場は追手門の上の建物で、外の受付ボックスで
入場料(60才以上400円)を払い、傘と靴をそれぞれの袋に入れて
持ちながら見学しました。

 今年は12回目のようですが、展示の盆梅は、以前より立派で大きい感じでした。
幹が一抱えもあり、高さが3メートルほどの「大納言」という鉢もあり、
盆梅とは言えないようなものも多くありました。

 盆梅の銘も、宝船、朧月夜、悠妃、紅姫、霧氷、順慶など、
奥ゆかしい名が付けられていました、


       盆梅展出口に置かる梅も良し   常朝

         (盆梅展ポスター)
           
        (盆梅展入り口)
              (盆梅-朧月夜)
              (盆梅-大納言)

 出口で、梅を育てる人に聞くと、
大きい梅は庭に直植えされており、展示のために、鉢に移し、
終わるとまた庭に戻すとのことです。

 建物から出た庭にも盆梅があり、直植えの枝垂れ梅も数本ありました。

 やや小止みになった雨の中を筒井駅の西の「さと」に移動して、
3時頃から小句会後解散しました。

 今日はあまり寒くなく、春を感じさせる雛飾りや、
見事な梅のさまざまを楽しめました。
一日中雨でしたが、雛壇も盆梅も建物の中だったので、助かりました。

2015年2月13日金曜日

206. 奈良.河合町の広瀬大社「砂かけ祭」

「アカシア紀行・俳句」2015年2月11日(水)    前へ   次へ
 

 2月の寒い日が続いたあと、久しぶりに暖かな晴天にめぐまれた
建国記念日、いつものメンバー6人で、奈良・河合町の広瀬大社の
砂かけ祭を訪ねました。

 広瀬大社は去年花吹雪の日に訪ねましたが、大和川、飛鳥川、曽我川が
集まる水の要所にある、旧官幣大社として格式のある神社です。
(アカシア紀行189)(参照)

 砂かけ祭はお田植え祭で、砂を雨に見立てた祈雨の神事でもあり、
午前中の殿上の儀と午後の庭上の儀に分かれています。

 我々が10時前に神社の駐車場に着いたら、すでに数十台の車が、
臨時の駐車場とされた神社の隣の会社の駐車場にありました。

 300メートルもある長い参道の北側は数十の屋台が準備中でした。
また境内一面に厚さ5センチ位に砂が撒かれてあります。

              (広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
         (拝殿)
              (砂かけ祭の場所)

 拝殿で参拝後、境内を散策していたら、殿上のお田植え祭に参列する
人々が、拝殿の左側に集まり、御手洗岩の水で手と口を清めて順番に拝殿にのぼりました。
御手洗岩では高校生らしい1人の巫女が杓を持ち、もう一人の巫女が
白い紙を持って、参列者一人ひとりに、手と口を清めるのを手伝いました。

              (手水を使う参列者)

 参列者約60人は拝殿にコの字型に座り、真ん中がお田植えの田とされます。
11時になると笙の音とともに、マイクで開式が宣言され、
お田植え祭が始まりました。

 宮司の祝詞やお祓い、巫女の舞のあと、田の農作業を模した儀式となり、
牛役と農夫役が拝殿の中央を巡って田を耕す仕草をしました。
消防団の若い人が、モオーと鳴く牛(牛役)に、「羊」と言って「メエー」、
「猫」と言って「ニャオー」と鳴かせたり、冗談を言って牛を笑わせたり
しました。その後2人の巫女の田植儀式がありました。

 殿上のお田植え祭が終わる頃は昼前になったので昼食のために、
神社の南側の寿司店「寿司の喜多八」に行きました。
店が混んでいたので予約して、外で待ちましたが1時間たっても席が空かないので、
あきらめて参道に戻り屋台のたこ焼きなどをいただきました。

              (たこ焼きの屋台)
              (屋台)

 午後2時、いわゆる砂かけ祭がはじまりました。
拝殿の前に竹(斎竹:いみだけ)で囲まれた10メートル四方位の土地を
田として、お田植え祭をおこないます。

 多勢の人々が囲む中、白覆面の人が出てきて、
周囲の田の畦をならすように木の鋤で砂を突き刺して一周したら、
いきなり、鋤で砂を見物客にかけ始めました。
見物客も若い人たちは、キャーキャーと騒ぎながら、
覆面男や他の人達に砂をかけ始めました。

 数分すると太鼓の音が聞こえ、砂かけは一旦中止となりましたが、
数分休憩すると再び覆面男が出てきて砂をかけ始めました。
このような掛け合いを8回繰り返すそうです。

 最初は覆面男は一人だったので、カメラマンが主役に集中して、
姿が見えないほどでしたが、3回目位からは、覆面男が3人になり、
斎竹の外側にも出てきて、我々が立っていた神馬堂や売店の方まで
砂を飛ばしたので、皆頭から砂を被りました。
幸いビニールの合羽を着ていたので、助かりましたが。

 砂の掛け合いが盛んなほど豊作といわれ、掛かる砂は厄除けに
なるそうです。

       牛の声猫にも変りお田植え祭   常朝

       逃げゐても砂の掛かりし春祭   常朝

              (砂かけ祭:覆面が砂かけ男)

 砂かけはまだ続いていましたが、我々は3時頃神社を辞して、
法隆寺東の「さと」で小句会後解散しました。

2月としては暖かい天気に恵まれ大和の珍しい祭を体験できた一日でした。

2015年2月1日日曜日

205.奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚神社

「アカシア紀行・俳句」2015年1月31日(土)    前へ  次へ

 1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。

 10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。

 神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。

 素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。

 石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。

 宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
 
 宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。

 鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。

       風花や杜の大樫見上ぐれば    常朝

       行事表貼り替ふ宮司春近し    常朝

              (素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
        (舞殿)
              (説明板)
              (行事表)
              (賽の神)

 その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。

       風冴ゆる分水堰に水あらず    常朝

       三面に割木積む小屋日足伸ぶ   常朝

              (分水筒)
              (池と畑小屋)

 分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。

 ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。