2017年2月4日土曜日

247. 奈良・大安寺の節分会

「アカシア紀行・俳句」2017年2月3日(金)     前へ  次へ

  数日続いた寒さがやわらぎ良い天気となった節分の日、いつものメンバーの都合のつく3人で
奈良・大安寺の節分会(せつぶんえ)を訪ねました。

 大安寺は、JR奈良駅の南、約1.5キロにある真言宗の寺で、南都七大寺のひとつです。
寺の説明板によると、飛鳥時代聖徳太子が斑鳩の宮の東南に建てた、熊凝精舎
(くまごりしょうじゃ)がはじまりで、百済大寺、高市大寺、大官大寺と遷寺し、
平城遷都(710年)のときにこの地に移ったようです。
かっては七重の二塔もあり、東西300、南北500メートルほどの大寺で、東大寺、興福寺と並ぶ寺
だったとのこと。

 午後1時半すぎ、寺の南の駐車場に駐車し、広い境内に入ると、本堂左に豆撒きの舞台が見え、
右奥には背の高い大王松が長い3本の葉を持つ松葉を散らしていました。
また1962年ドイツ・ケルン大学との交流記念で植えられた楠が、立派な木に育っています。
小さな屋台がひとつ、串団子を売っていました。

 節分の豆撒きは3時からなので、2時から始まる護摩祈祷に参列しました。
本堂前の受付で、300円を納めていただいた護摩木に合格祈願など祈願文をノック式のサインペンで
記入後、受付の方に納めてから、本堂の左奥の嘶堂(いななきどう)に入りました。

 中は4間四方位の広さでまん中に護摩壇、正面に赤い不動明王像があり、河野貫主と若い僧二人
の周囲に約50人の参拝者が座りました。
まもなく、厚さ5ミリほどの折りたたみの経本が配られ、河野貫主の主導で祈祷が始まり、
懺悔の経文のあと、般若心経を繰り返し読経し、参拝者も唱和しました。
護摩壇に護摩木が井桁のように高さ40センチ位に組まれて積まれ、火をつけると、
勢い良く燃え、火の粉が天井まで届きました。

 3時前、貫主の説教のあと祈祷が終わり、本堂前に移動しました。

       護摩の火の柱赤々節分会     常朝

       天井へ護摩の火の粉や春近し   常朝

         (大安寺山門:クリックで拡大、以下同じ)       
     (大安寺本堂)
     (大王松)
     (嘶堂-いななきどう)

 本堂の縁に僧侶が立ち、舞台で貫主の豆撒きの説明と説教がありました。
豆撒きの相手の鬼は、実は身の内の鬼で、貪瞋痴(とんじんち:むさぼり、いかり、ぐち))
を、豆で追い出すのが豆撒きの意味だとのことです。

 説教後、赤鬼、青鬼が縁に現れて、貫主や他の僧から豆を投げられ、舞台に逃げますが、
なお豆を打たれて降参します。
貫主は、鬼を改心させた豆は福豆になったので、これから豆撒きをしますと言われて、
10人位の人が出て豆撒きが始まりました。

 豆は小さな透明の袋に7~10個ずつ入っており、景品の当たる袋には、
赤、青、黃の小色紙が入っているとのことでしたが、我々の拾った袋にはありませんでした。

 数分で豆撒きが終わり、ぜんざいの接待が始まりましたが、行列が30メートル以上となったので、
我々は遠慮して、お寺を辞し、近くの旧境内の御霊神社を訪ねました。
そこにある石清水の発祥の地という井戸を見て、そばの芝池の土手の梅を見ました。
紅白一本ずつですが、ほぼ七分咲きでした。
境内の水槽には15センチ位の鮒が沢山いました。
その後日航ホテルのロビー喫茶でケーキをいただき、JR奈良駅で解散しました。

       鬼やらいかわいそうとの声上がる  常朝

       大寺の池畔に紅白梅咲けり     常朝

         (河野貫主の説教)       
     (青鬼と赤鬼)
     (舞台へ出た鬼たち)
     (降参する鬼たち)
     (御霊神社)
     (御霊神社説明板)
     (石清水八幡の発祥とされる井戸)
     (鮒の沢山いる水槽)
     (紅白の梅)


 旧暦の一年の最後、立春の前の日、良い天気に恵まれ、由緒ありながらひなびた感じの
奈良の寺で、節分会を楽しむことができました。