2017年6月29日木曜日

252. 奈良・橿原のすもも荒神祭

「アカシア紀行・俳句」2017年6月28日(水)    前へ  次へ 

  梅雨晴れ間の日、奈良・橿原市「すもも荒神」祭をいつものメンバー6人で訪ねました。
 
 すもも荒神は、橿原市今井町の北・小網町に古くから伝わる「荒神」を祀る祭で、
橿原市では、一番最初の夏祭です。
荒神様は三宝荒神ともいい「仏法僧」の三宝を守る三面六臂の神で、火の神、かまどの神と
なり、水神様と共に昔から台所の神様です。

 この荒神様は、橿原市のホームページによると、大昔飛鳥川の大洪水に残されたこの地に
見つかった木彫りの荒神像を、小網町の人たちが霊験あらたかなご神体として祀り、
今は2メートル四方位の小さなお堂に祀られています。

 我々は橿原市の169号線沿いのレストラン「さと」橿原北店に4時半頃集合し、
そこからタクシーで会場のある八木西口駅の西側の奈良建設会館前まで行きましたが、
タクシー運転手のだれも「すもも荒神」祭は知りませんでした。

 会場につくと建設会館前の道路の両側に20位の屋台(干し店)があり、
浴衣の子供達が親たちにキャンデイーなどを買ってもらい、うれしそうな顔で元気な声を
出していました。

 お堂前のテントには地元小網町でしょうか、20人位の浴衣姿の男女が集まり、
団扇を使いながら開会を待っていました。
午後5時頃神主が見えて、荒神祭が始まりました。

 地元の祭なので、特に笛や太鼓はなく、神主のお祓いで静かに始まりました。
祝詞の前には神主は汗を拭いていました。
祝詞のあと、いっせいに二礼二拍手の拝礼と代表2名による玉串奉奠があり、
20分位で式は終わりました。

 あとでお参りついでにお堂の祭壇を拝見すると、いくつかの果物の中に
見事な赤紫の「すもも」が脚付きの盆に盛られていました。

 お堂の裏側の川べりに行くと、参加した浴衣の女性たちがテントの下で、
川風に吹かれながら冷茶などで直会(?)をしていました。

 道路の西側に小網町の池があり、金網に囲まれた土手の一部に羊3匹が草を食べていました。
「ひつじさんの草刈り」という旗が風に揺れていました。

 黄色い金鵄橋の西側でタクシーを待つ間、南側の赤い蘇武橋(そぶ)に行くと、
樹齢420年の榎が青葉を茂らせていました。

       荒神へ揃ひの浴衣拍手せり     常朝

       荒神に供ふ見事なすもも盛る   常朝

       畦草食む羊ら見ゆる荒神祭    常朝

        (荒神お堂:クリックで拡大、以下同じ)       
    (すもも荒神の屋台)
    (荒神祭参列者)
    (荒神様祭壇)
    (お下りをもらった子供達)
    (草刈りをする羊さん)
    (ひつじさんの草刈りの旗)
    (小網町の池)

 6時頃タクシー2台で橿原の「さと」に戻り、6人で夕食をいただいて解散しました。
梅雨晴間の天気で日差は暑いくらいでしたが、飛鳥川の川風もあって、
久しぶりに6人で今年最初の夏祭りを楽しむことができました。

2017年6月6日火曜日

251. 奈良・丹生川上神社中社の水神祭

「アカシア紀行・俳句」2017年6月4日(日)    前へ   次へ

  梅雨前の爽やかな日、奈良・東吉野の水神祭に参加・拝見するために、
いつものメンバー3人で丹生川上神社中社を訪ねました。(参照:アカシア紀行226

 水神祭は、神社の祭神である水神「ミズハノメ:罔象女神」に感謝、事業の発展、繁栄、
豊水を祈願する祭です。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3つあり、中社は東吉野村の小(おむら)地区に、
上社は川上村の大滝ダムの南岸の上に、下社は下市町の丹生地区にあります。

 我々が神社に着いた9時半頃は、まだ車が2,30台程が境内に駐車していただけ
でしたすが、祭が始まる10時半頃には、約50台が境内や道路に駐車するほどでした。
参列者は礼服を着た会社員らしき人が多く、水に関連した電力会社、電機会社などのようでした。
 拝殿には200席以上の椅子が並べられ、祭壇には酒や供物が置かれており、
柱には大きな旙が掛けられていました。

 式まで時間があったので、境内を散策し、茨木和生先生や原石鼎の句碑を拝見したり、
句碑にある衝羽根の木や朴の木を見ました。
衝羽根の青葉には薄緑の十字形の苞が付いていました。
中心の花は小さくて見えませんが、秋になるとその裏側に衝羽根の実がつくのでしょう。
また境内の走り根にはけやきの若葉が数十枚付いていました、

 そのうち、神馬の白馬と黒馬が境内に来ました。白馬は男性、子馬のような黒馬は女性が手綱を引いています。黒馬は眠そうだったので、女性は黒馬に境内をぐるぐる回らせていました。

 10時半頃、拝殿の椅子は満席になり、太鼓の音で水神祭が始まりました。
拝殿左の榊の木の前に置かれたお祓台で神主と4人の神官が順次お祓いをして、
へぎ板の小桶に榊の葉を入れて拝殿へ運びました。

 楽人5人による雅楽が流れる中、式が進んで二頭の神馬が拝殿の前に並んで、
神主が水神への祝詞を上げました。その後拝殿で舞楽・納曽利(のそり)が一人の舞人に
よって奉納されたあと、参列者の玉串奉奠が続き、12時頃水神祭が終わりました。
納曽利の面は下顎が紐で吊り下げられており、すき間から舞人の目が見えていました。
舞衣装を脱いで楽人にもどると、きりりとした若者でした。

       納曽利舞ふ人は若人水神祭     常朝

       狭き空雲の流れて水神祭     常朝

        (丹生川上神社中社拝殿:クリックで拡大、以下同じ)
    (衝羽根の十字の苞)
    (祓戸の台)
    (お祓いをする神官)
    (神馬)
    (納曽利の舞人)

 解散後神社の東の「東の滝」まで歩いて、その滝壺の淵「夢淵(ゆめのわた)」を見ました。
滝は高さ5メートル位ですが、2本の滝水が岩に当たって交差する珍しい光景です。
夢淵は、神武天皇が東征の折、この淵に厳瓮(いつべ)を沈めて、天神地祇(てんじんちぎ)を敬祭せよとの天神の夢の訓(おしえ)があったことに因むようです。
直径5メートル位の淵ですが深くて底は見えません。
下流の石川原では河鹿の声が聞こえ、若者たちがバーベキューの準備をしていました。

 帰りに「魚見の石」を見ようと、社務所で教えてもらった小(おむら)集落の説明板を
見ましたが、石は夢淵の近くにあったらしいですが、標識が何度も洪水で流されて、
今はその説明板のみらしいです。

 鷲家口のレストラン「あしびき」で昼食をいただいたあと、北側約100メートルの
八幡神社の桂信子の句碑を見ました。

 八幡神社は檜皮葺の屋根と朱塗りの塀が美しい神社ですが、すべての屋根と門に
菖蒲が葺かれていました。旧暦の節句だそうです。

       滝水の切り結びをり夢の淵     常朝

       河鹿鳴く川瀬に光あふれゐて   常朝

       伊勢みちの句碑ある社菖蒲葺く  常朝

        (東の滝への橋)       
    (東の滝)
    (夢淵)
    (魚見石の説明板)
    (鷲家の八幡神社)
    (桂信子の句碑 おのづから伊勢みちとなる夏木立)
    (鷲家八幡年中行事)

 その後は来た道と同じく、166号線の佐倉峠、大宇陀町、165号線女寄峠を通って、
橿原神宮駅に戻り解散しました。
2年ぶりの東吉野村でしたが、爽やかな青葉の風に恵まれた一日でした。