「アカシア紀行・俳句」2017年11月15日(水) 前へ 次へ
初冬の雨が止んで晴れた日、いつもの4人で大津市坂本の西教寺を訪ねました。
西教寺は、聖徳太子の頃創立、室町時代1484年僧・真盛が入山し天台念仏の道場として栄え、
信長の比叡山焼き討ちで焼失後、明智光秀の援助もあって再興、のちに明智家の菩提寺となったとのことですが、今日は菊御膳という菊づくしの料理をいただくのが主な目的です。
11時半ころ寺の駐車場に着き、明智光秀の坂本城の城門を移設したという山門を
くぐって、砂利を敷いたゆるい坂の参道を登りました。
参道の両側には数メートルごとに置燈籠があり、火袋には鬼などを描いた大津絵が
描かれています。
坂の上の菊御膳の案内板に従い、本堂の右下の研修道場前に行きました。
周囲の紅葉を見ていると、カーン、カーンという不断念仏の鉦の音が聞こえました。
そこの受付台で12時の予約を確認、土産の菊寿司を予約して研修道場の食堂に入りました。
すでに50人位の客が道場の予約席の札の立つ長机に坐っていました。
我々は12時の予約だったので10分位前に着席しましたが、ほどなく料理が運ばれてきました。
一人の僧がマイクを持って、菊御膳の菊は坂本菊という地元の食用菊を使っていること、
通常は拝観できないが希望者は拝観料で本堂に入堂でき説明も受けられるとのこと、
など簡単な説明をしてくれました。
料理は、前酒、先付け、酢の物、和物、揚げ物、椀物、菊寿司ご飯、吸い物、香物、
デザートでしたが 椀物以外はすべて黄色の菊の花びらが入っており、
見た目も美しく、味もなかなかのもので、2700円にしてはボリュームも品もある料理です。
運転者の自分は勿論菊酒は見るだけにして、その他の料理を残さずいただきました。
受付で菊寿司を受け取った後、本堂には入らずに参拝だけをして、境内の明智一族の墓を
見てお参りしました。
光秀の妻や家来の武将の墓もありましたが光秀の墓は見ることができませんでした。
その後、15キロほど北の、堅田漁港へ行きました。
山門は明智の城門冬紅葉 常朝
置灯籠に鬼の大津絵冬紅葉 常朝
(西教寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(置灯籠)
(研修道場)
(研修道場前の紅葉)
(坂本菊を置いた大食堂)
(菊御膳)
(明智一族の墓)
堅田漁港は5年前の12月に来ましたが、今回は浜には漁師さん達がおらず、
浜を青鷺がゆっくり歩き、雑魚を捨てる1メートル立法位の2つの箱の上に猫達が、
坐って小魚を食べたりして遊んでいました。(参考:アカシア紀行164)
向こう岸のはるかに近江富士(三上山)が見え、
漁船が20艘以上狭い港内に止めてあり、そのすき間の湖水に鳰(にお)や鷭(ばん)が泳いでいました。
雑魚箱の上に猫どち冬港 常朝
近江富士見ゆる漁港に鳰浮けリ 常朝
(堅田漁港:クリックで拡大:以後同じ)
(田村淡水)
(雑魚箱のそばの猫達)
5年前と同じく、右手(南側)の田村淡水の作業場兼お店で、
鮎の佃煮、諸子の南蛮漬けなどを買い、西教寺の参道に戻って土産店で菊なます、丁稚羊羹を
買い琵琶湖を後にしました。
初冬の好天に恵まれ、比叡山の里坊でもある、格式のあるお寺で、菊づくしの精進料理:菊御膳を生まれてはじめていただき、琵琶湖の景色とともに漁港の風景を楽しめた一日でした。