2019年4月24日水曜日

280. 戸田ボート場から赤坂離宮、武蔵野の谷など

「アカシア紀行・俳句」2019年4月20日(土)    前へ  次へ

 4月下旬の天気続きの週末、埼玉県戸田ボート場での高校対抗ボートレース大会を応援に行きました。
20日土曜日12時すぎ、戸田公園駅南のボート場に着きました。

 この大会は約100年続く筑波大学付属高校と開成高校のボート部の対抗試合です。
今年は平成最後の91回目とのことで、両校から応援団が2、300人集まりました。

 対抗レースは5人乗りの長いボートですが、その前には女子のシングル、ダブルなどのレースや中学の5人乗り、2人乗りの招待レースもありました。
歴史的な対抗レースは5人乗りで16時から始まり、1000メートルなので3分半で終わりました。

 両校の応援の声のなか、両チームは頑張りましたが、結果付属高校が3分19秒、開成が3分24秒で過去からの最高記録でしたが、今回は残念ながら付属高校が勝ちました。

 レースが終わると負けた開成の5人は泣いていましたが、陸に上がって応援団の前に立つと応援ありがとう、負けてごめん!と元気な声を腹から出していました。

    (ボートレース応援団)              (ボートレース)
                          (応援団へのお礼)

       競漕に負けて涙に寄る笑顔      常朝

       競漕の応援ビルに谺せり       常朝

 その後、代官山のリストランテASOのカフェ・ミケランジェロで夕食をいただき、第三京浜経由で都筑区の家に戻りました。
翌21日は、北センター-あざみ野-渋谷-永田町からタクシーで赤坂離宮を訪ねました。
入口ではセキュリティチェックがあり、花鳥の間、羽衣の間、彩鸞の間、朝日の間などを見学しました。
シャンデリアや天井画も見事でしたが複雑な模様の大理石はノールウエイから来たようです。

 1964年の東京オリンピック本部がここにあったので、係員の女性に聞くと、当時離宮は迎賓館になる前で、羽衣の間と朝日の間が本部だったようです。
当時IBMオリンピック本部もここにあったので、1962年から私の先輩もここでシステム設計をしていたようです。1963年入社の私は1964年からプログラマーとして所属したので設計には間に合わず、オフィスはすでに永田町の当時の3Mビルに移動していましたが。
(余談ですが、当時先輩方は各スポーツ協会(水泳協会など)を訪ねたら、当初はスポーツにコンピューターは要らないと協力を得られなかったとのことです)

 庭には美しい赤紫のベニバナトキワマンサク(紅花常磐満作)やコデマリなどが咲いていました。

     (赤坂離宮主庭側(東))            赤坂離宮前庭側(西))
                                    (赤坂離宮正門)

       風わたる離宮の磴に松の花      常朝

       紅色の満作咲ける離宮かな      常朝


 その後馬場先門の東京会館で昼食をいただき、大手門まで歩きましたが、途中の丸の内のビル街は、どのビルも一階はお店で、土曜日曜は歩行者専用になっており、驚きました。東御苑の三の丸尚蔵館では天皇皇后陛下の平成の御製御歌展を拝見しました。

   美智子皇后の平成31年歌会始の御歌

 今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく

   など、心にせまる御歌もありました。

     (東御苑の噴水)                    (三の丸尚蔵館)

 尚蔵館を出て、タクシーで昌平坂(相生坂)の湯島聖堂を訪ねました。
ここは昔幕府の学問所で、孔子を祀っています。大きな孔子像があり、庭に諸葛草が咲いていました。
中庸の徳を教える宥座(ゆうざ)の器があり、水を入れてひっくり返しもしました。

 その後近くの神田明神を訪ね、お参りをしてしばらく休み、銭形平次の碑などを見てから、末広町経由で浅草駅へ移動しました。
吾妻橋の下にはクラゲ(水母)が浮いて、スカイツリーなどを見てから、浅草神谷バーで神谷ワインなどをいただき、20数年ぶりに駒形どじょう店で泥鰌鍋をいただきました。
神谷バーは古くからの店ですが今回が初めてで年配の客が多く、大声を出さないと聞こえないほど賑やかでした。
また駒形泥鰌店では、地下の椅子席へ降りると、ボート部の打上げ会がおわった孫が待ってくれていました。ここの泥鰌は大分の宇佐で養殖され生きたまま空輸されているとのこと。

      (湯島聖堂の孔子像)                   (大成殿・宥座の器)
     (吾妻橋からスカイツリー)             (神田明神)
     (神谷バー)                   (雷門)
                   
                                          (駒形どじょう店)

       水母浮く浅草近き橋の下       常朝

       どならずば聞こえぬ店にビール飲む  常朝

 翌22日は、長男が休みを取ってくれて、午後都筑の公園などを案内してくれました。
近くの八幡山公園から、都筑中央公園を歩きました。公園には谷戸の窯や野外ステージがあり、白いクレソンがいっぱい咲いて、アカゲラなどがいるようでした。

 歩き疲れたので途中センター南駅のそばのExcelsiorCafeでジュースなどをいただいてから、茅ヶ崎城址、大塚遺跡(古墳、弥生式住居)などを歩いて見学しました。

 これらはまだ武蔵野が残っている貴重な緑のエリアですが平日だったので、ほかに歩く人も見えず、静かな時間を過ごすことができました。

     (都筑中央公園)                   (宮谷戸の大池)
     (茅ヶ崎城趾説明板)                  (茅ヶ崎城趾)
     (大塚遺跡)                    (大塚遺跡パノラマ)

       しじみ蝶広野横切る城の跡      常朝
       
       クレソンの花武蔵野の窯の谷     常朝

今回は初めて見るものが多く、長男夫婦のおかげで東京の珍しい場所や武蔵野の自然や遺跡を楽しめた3日間でした。

2019年4月4日木曜日

279. 京田辺打田から観音寺

「アカシア紀行・俳句」2019年4月3日(水)    前へ   次へ

 4月初旬の戻り寒ながら良い天気の日、京田辺打田(うっだ)から観音寺をいつものメンバー3人で訪ねました。目的はつくし取りと菜の花畑です。

 奈良を10時頃車で出発、京田辺市打田の旧峠道の北側の棚田(羽川口)に11時前着きました。
1週間ほど前に、土手に土筆を見つけたので、とりあえず土筆採りを目的に来たのですが、
土手とその上の20坪位の休耕田(畑?)には、採りきれないほどの土筆が出ていました。

 少し時期が遅いので伸びすぎてひょろっとした土筆を採り始めると、上の藪から鶯の声が聞こえ、燕が一羽飛んできました。おそらく巣作りの土などを探しにきたのでしょう。
土筆の周りには、日本たんぽぽやレンゲが咲いて、まさに日本の春でした。
以前見に来た炭焼窯はありましたが、ここ数年炭は焼いていないようでした。

 その後、三山木駅南のこぶや亭で寿司定食をいただき、観音寺を訪ねました。
観音寺はお水取り・松明用の二月堂への竹送りで有名ですが、今頃は周囲の菜の花畑がほぼ満開で、数十人の家族連れなどが菜の花を見に来ていました。

       (こぶや亭)       
(こぶや亭メニュー)
(観音寺)


       洛南の棚田狭しと初燕        常朝

       土筆あまた峠の道に日と風と     常朝

 お寺の放生池には緋鯉や、錦鯉が数十匹泳いでおり、女の子達が、手を叩いたり、菜の花を振ったりして鯉を呼んでいました。
菜の花は1日から7日までは摘んでもよいようです。

 本堂にお参りしてから、菜の花を見て奈良へ帰り、奈良公園の桜などを車中から見ました。浮見堂のある鷺池を反時計回りに進むと、辛夷の白い花が満開で、桜もほぼ満開でした。そのあと、東大寺南大門の南を右折、水屋神社の西を北上し若草山の麓の道を
南へ進むと麓にも桜があり、ここもほぼ満開でした。
県庁東交差点を北上し押上町の天極堂で「そばきり」をいただいて解散しました。

       (観音寺の桜)              
        (菜の花畑)
(天極堂)


       女童の菜の花振りて鯉を呼ぶ     常朝

       竹送りの寺の参道蕗の花       常朝

 風があって少し寒いでしたが、洛南の棚田の土筆や菜の花畑を楽しめた一日でした。