2019年12月17日火曜日

288. 奈良・生駒宝山寺から春日若宮 

 「アカシア紀行・俳句」2019年12月16日(月)    前へ   

 師走の雲ひとつない快晴の月曜日、いつものメンバー3人で奈良・生駒山の宝山寺などを訪ねました。

 16日は宝山寺の大鳥居に大きい注連縄を奉納する、注連縄奉納会です。
10時前宝山寺に着くと、満杯のため上の第2駐車場に駐車しました。
すでに鳥居の前には200~300人があつまり、2本ずつ6組の50メートル位の綱を手に持って並んでいました。

 鳥居の下には、長さ7メートル程の注連縄が置かれて、6組の綱に結ばれています。
10時過ぎ7人の僧侶が2人の楽人の笛と笙の音楽とともに、上の本殿の方から降りて来られ、鳥居の下、注連縄の(石段)下側にならび、般若心経や真言を唱えて法要後、僧侶の合図で、総代らしき人の号令により、六根清淨と声を上げながら、ゆっくり注連縄が引き上げられていきました。

 鳥居の上の石梁に着くと、注連縄の上に付けられた散華台が回転して、上から散華(5色の切弊)を降らしました。その後、参列者に餅の入った御供袋が配られ、奉納会が無事終わりました。この餅は注連縄のための稲から作られたようです。

 我々はその後、上の歓喜天(聖天)のお堂に参拝し、屋台の枇杷などを買いお寺を出ました。

      (宝山寺鳥居)                 (注連縄)         


     (注連縄を引く人々)                (上げられた注連縄)     


     (散華された切幣)                 (歓喜天のお堂)      


        注連縄上ぐ鳥居の脇に残り柿      常朝


        大注連縄上げて五色の幣降らす     常朝  

 
 11時半頃、富雄・三碓・黒谷橋西詰の紀玄で昼食をいただいたあと、奈良・春日大社若宮を訪ねました。

 春日大社若宮では明日の「おん祭」の宵まつりとして、様々な宵宮の行事が行われます。我々は、春日大社の駐車場の奥に駐車し、若宮で、鳥の声を聞きながら儀式を待ちました。

 周囲の観光客も中国人らしい家族づれや団体客が多く、聞こえるのはほとんど中国語でした。境内の鹿は中国人にもゆっくりお辞儀していました。
そばの夫婦大黒の縁結びの絵馬にも、中国語で縁結びの祈願らしい文字が見えました。
勿論、英語、ドイツ語のほか、何語かわからない絵馬もありました。

 2時頃、やっと若宮本殿でおん祭の流鏑馬・稚児や行列の大和士の人々による「宵祭詣で」が神官のもとで行われました。その以後も、田楽奉納や、神饌(お供え)奉納などの宵宮祭が行われるのですが、待ちきれず、駐車場の中の喫茶店で「ぜんざい」や「ソフトクリームセット」などをいただき、解散しました。

     (春日若宮)                    (宵宮詣での稚児達)


        冬の鹿異国の人にお辞儀する      常朝

        おん祭宵宮の杜に鳥の声        常朝 

12月にしては暖かい快晴の日、新年を迎える準備としての注連縄奉納会や、伝統あるおん祭の宵宮に少しだけですが参加できたのは幸いでした。

2019年11月25日月曜日

287. 奈良・大宇陀大観寺から阿紀神社

「アカシア紀行・俳句」2019年11月24日(日)    前へ   

 深まる秋の曇りの日曜日、いつものメンバー3人で奈良・大宇陀町の大観寺などを訪ねました。 

 今回は、奈良から水間峠・針をとおり、榛原の西の国道170号線で大宇陀に入りました。
最初は織田家ゆかりの徳源寺を訪ねようとしましたが、寺への道が狭く車では行けなかったのであきらめて、拾生の大観寺を訪ねました。

 大願寺はこの夏薬膳料理で訪ねましたが、今は冬紅葉の季節で、静かな趣きがあります。
まず、裸木となったハンカチの木を見上げました。高さ7メートル位の木の枝に鈴懸の実のような丸い実がいくつもぶら下がっていました。下には高さ1メートル程の石の五重塔があります。
左の冬紅葉の木からは、きれいな紅葉が一葉ずつゆっくり散っていました。

 本堂の左には、虎の像が狛犬のように守る毘沙門堂があり、大きなもみの木の下には仏足石のお堂があり、あたりを綿虫がゆっくり飛んでいました。 

     (大願寺)                   (ハンカチノ木)


     (お茶目庚申像)              (あきのの湯レストラン)  




        一葉ずつゆっくり散れリ冬紅葉     常朝

        綿虫のつきくる宇陀の寺の庭      常朝  

 南の「あきのの湯」のレストラン「しゃもじ」で昼食をいただいた後、阿紀神社を訪ねました。
地図によって大宇陀高校の南の信号のすぐ北側を西に入りましたが、神社がわからず、西の又兵衛桜まで
いきすぎ、戻って狭い坂道で近所の女性に教えてもらい、やっとビニールハウスの南側の狭い道を
曲がって、神社に着きました。

 阿紀神社は説明板によると、崇神天皇の頃、天照大神のご遷座地を探す途中、倭姫が宇陀のこの地に
4年間、神を祀り、地元の人々が采女、田など寄進したので、この地を神戸(かんべ)とよんだようです。
その後天正年間に今の迫間地区本郷川のそばに移転して神戸神宮から阿紀神社になったようです。

 境内には橋がかりのあるの能舞台もある、古式豊かな神社です。
奥には神門と本殿、左手には社務所のような建物(当屋?)があり、大きなかりんの木が黄葉をつけていました。右奥の草地には三重の蓋が載せられた古井戸があり、枯れ葉が散っていました。
社務所左奥(南)の石垣には本郷川が南からぶちあたり右に曲がって、きれいな冬の水が流れています。


     (阿紀神社)         (阿紀神社境内)


       (説明板)          (能舞台)  


       (社務所とかりんの木)     (本郷川) 


        ハンカチノ木の冬の芽の硬さかな   常朝

        産土に雲透く薄日神の留守      常朝  

        三重の蓋ある古井戸散る紅葉     常朝  

 その後、大宇陀高校の北の、森野葛本舗の「葛の館」で葛湯、葛餅をいただき奈良へ戻りました。

一日中曇り空でしたが、雲を透く薄日が山や野を照らし、深みゆく宇陀の秋を楽しめました。

2019年9月29日日曜日

286. 奈良・梨山から阿田峰神社 

「アカシア紀行・俳句」2019年9月26日(木)    前へ   

 千葉に大停電を与えた台風15号が去って、秋らしい好天の日、いつものメンバー4人で7年ぶりに奈良・大淀町の阿田の梨山の直売店・明生園を訪ねました。(参照:アカシア紀行157) 

 奈良からは、吉野への国道169号線で大淀町桧垣本交差点を右折、車坂峠を超え花吉野カントリークラブを横切って約500メートルの梨店・青玉園の先の三叉路を左へ西南約500メートルほどの梨店(山の家)です。

 店前4、5台の駐車場に駐車させてもらい、梨山の中を見せてもらいました。
数十年ぶりに入る梨山は、昔と違い、散水用のホースが、約50センチ間隔の針金棚に沿ってめぐらされており、蝉は飛んでおらず、梨の木にあった雀の担桶(スズメノタゴ:イラガの繭)も見えません。刈られていない場所には、ヌスビトハギ、ネコジャラシなどが生えて蝶が飛んでいました。

 お店に戻って、梨を頂いてから、ご主人Hさん(86才、母の従兄弟の子)と久しぶりに話しました。
私の祖父は雷を恐れて避雷針を山の家(この店の数10メートル東にあった)に立てたのですが、若い頃Hさんが梨を手伝いに来ていて雷が近づき、部屋の真ん中に叔父達と3、4人集まって避難していたら、避雷針に落雷し、ものすごい音と光とショックで皆が倒れたそうです。怪我も被害もなかったようですが、避雷針があるとかえって落雷しやすいそうです。

 梨山にいたら、昔母から、祖母が結婚前の若い頃梨山の藪でツチノコを見たと聞いた話を思い出しました。今もその藪は梨山の北側にあります。太い蛇を見間違えたのかもしれませんが。

 注文していた梨のうち2箱を車に積んで、西へ進みました。
途中、阿田出身の童話作家・花岡大学の童話碑を見学して、海軍飛行場のあった新田に行き、阿田峰神社を訪ねました。

     (梨山)            (梨山の道)


     (梨山の家)          (梨山の道路)  


        梨園の針金枠に秋の空       常朝  

        つちのこの出しといふ藪葛嵐    常朝  

 小さい本殿の右脇に、モグラの掘り返した土、土竜塚が3,4個あり、サンゴジュが咲いていました。万葉歌碑のそばでは萩の花がきれいに咲いて風にゆれており、金剛山が黒々と稜線をくっきりとさせていました。境内の内外にはメナモミが棘のある青実をいっぱいつけていました。

     (花岡大学童話碑)       (童話碑説明板)


     (阿田峰神社)         (万葉歌碑)  



        めなもみの実に囲まれて阿田の杜   常朝  

        金剛山稜線強し秋の雲        常朝  

しばらく境内と近くを散策のあと、桧垣本の寿司店和好で遅い昼食をいただき、橿原神宮駅で解散しました。

 秋らしい天気に恵まれ、秋風の梨山と阿田の高原をゆっくり楽しめた一日でした。

2019年8月29日木曜日

285. 奈良・九品寺から一言主神社

「アカシア紀行・俳句」2019年8月28日(水)    前へ   次へ  

 猛暑が去って天気予報が一日中雨の日、11年ぶりにいつものメンバー4人で奈良葛城の九品寺を訊ねました。
奈良からは、天理街道(169)-中和幹線-葛本町東-165号線高架-大田南-山麓線南約5.5キロです。

 雨模様だったので寺には入らず、法師蝉の鳴く九品寺道の広場から番水時計を訪ねました。
東大寺管長だった清水公照(沙波)の歌碑もあります。
寺のすぐ下を通る九品寺道は葛城古道であり、一言主神社へ歩けるようです。
田の水を公平に配分するための番水時計は道の駐車場の北側約30メートルにあります。
すぐ下に、田への水を南北に振り分ける分水堰があり、そばには土嚢が2つ置いてあります。
時計の下に書いてある時間がくれば、土嚢を堰の一方に置いて水の流れを変えるのでしょう。

 番水時計のやや下には無花果の青い実や柘榴の赤い実も見えます。
数メートル下にも分水堰があり、その間の田には稲の花が咲いています。
蓮田にはピンクの蓮が咲き、実が沢山付いていました。
麓を眺めると大和三山が見え、右には吉野の山々が美しく見えました。

     (九品寺道の広場)                (そばの小川)


     (清水公照歌碑)                  (番水時計)  


        蓮の実や九品寺道に風来たる     常朝  

        稲の花番水時計に時間表       常朝  


 九品寺道の眺めを堪能してから、1キロほど南の一言主神社を訪ねました。
ここもほぼ10年ぶりです。杉並木のの参道を通り、石段を登ると大きな銀杏があります。
庭にはムクロジの木が少しですが実を落としていました。

 本殿の左手奥には、芭蕉句碑 

        なほ見たし花に明けゆく神の顔      があります。

 一言主神は顔の醜い神様とのことで、芭蕉が見たかったのでしょう。
また仁徳天皇の皇后「磐之媛」の父襲津彦(神功皇后時代、新羅に派遣された)にちなんだ
万葉歌碑

 葛木の其津彦真弓荒木にも 憑めや君がわが名告りけむ   万葉集巻11

もあります。
 本殿の瓦が悼んだので、9月9日ご遷座して屋根の葺き替えをするため
高い足場が本殿の右に建てられています。後の高い木々から法師蝉が聞こえます。
ムクロジの黒い実をひとつ拾いました。

      (一言主神社)                  (足場と無患子の木)  


(大銀杏)                        (芭蕉句碑)


(碑歌せつひこ)                     (一言主神社説明板)


        無患子の実に想ひたり神の顔     常朝  

        ご遷座の足場高高つくつくし     常朝  

その後橿原観光ホテルで昼食をいただき解散しました。
雨模様の一日でしたが我々が外にいる間はほとんど傘が要らないほどでした。
久しぶりに葛城の山麓を楽しんだ一日でした。


2019年7月16日火曜日

284. 奈良・奥田の蓮池(捨篠池)   

「アカシア紀行・俳句」2019年7月15日(月)    前へ   次へ 

 梅雨の合間の曇りの日、いつものメンバー4人で奈良・大和高田市奥田の蓮池を訪ねました。
奈良からは、天理街道(169)-中和幹線-165号線-高田市から24号線の新庄町・南花内交差点の東1.5キロです。

 この蓮池は吉野金峰山寺・蔵王堂の蓮華会に供えられる、蓮の花を摘み取り送る行事が毎年7月7日に行われ、我々も10年前、3年前に訪ねました。  参照:アカシア紀行89
今回はメンバーの都合もあり、行事後の池とその周囲を訪ねました。

 地元の人に教えてもらい池のそばの駐在所の北側の防災倉庫前に駐車し、池の周囲を散策しました。蓮取り行事の旗があちこち残る池は100メートル四方ほどで、その東半分は蓮ばかりで青々としています。まだ花がぽつぽつ残り、いくつかの青い蓮の実は光る露を載せ、若葉は緑の阿闍梨笠のように長く巻いて心地よい風にゆれていました。
 
 この池には役行者の母(刀良売)が池の蛙に篠を投げると蛙の目に当たって一つ目蛙になり、それを気に病んで亡くなったので、後に役行者が供養のお堂を建てたなどの言い伝えがあるようです。役行者はこの池の南西100メートル位の福田行者堂のそばで生まれたとのこと。

 蓮の実のお守りを買おうと近くの善教寺を訪ねましたが、行事の日と違って庭には誰もいず、本堂のお経が聞こえるだけでした。そばの小川では以前見た大田螺は見あたりませんでした。

 寺から戻ると、他のメンバーが、捨篠神社(弁天神社)の御手洗石にボウフラ(孑孑)がいると教えてくれ、しばらくボウフラを見ていました。
帰り道に、池から北西250メートルほどの刀良売の墓を車から拝見しました。

     (捨篠池)                       (蓮取り説明板)


     (捨篠神社(弁天神社))               (民話伝承碑)  
 


     (善教寺)                      (刀良売の墓)



        蓮の花ぽつぽつとある青世界     常朝  

        蓮若葉風に緑の阿闍梨笠       常朝  

        手を振りて孑孑ここと教へらる    常朝  


 その後、京奈和自動車道のある24号線を北上、165号線から橿原観光ホテルで昼食とコーヒーをいただき、2時すぎ、橿原神宮駅で解散し、奈良へ戻りました。

 梅雨の合間の曇り空で暑さはなく、池には蓮の青葉の風もあり、のんびり静かな一日でした。

2019年6月15日土曜日

283. 奈良・弘仁寺のちまき会式   

「アカシア紀行・俳句」2019年6月13日(木)    前へ   次へ  

 梅雨が近い晴天の日、いつものメンバー3人で奈良市・虚空蔵町の弘仁寺・ちまき会式を訪ねました。奈良からは、天理街道(169)の天理ICの北、窪之庄南を東へ左折して数キロです。
昼前だったので、桜井市の千寿庵でそうめん定食を頂いてからお寺を訪ねました。

  弘仁寺は平安時代の弘仁6年(615年)嵯峨天皇が建立されたという話と、弘法大師がこの山に落ちた流星:明星を見て建立したという話があるようです。
本堂右手には、本尊虚空蔵菩薩の化身「明星菩薩」を祀る明星堂があります。
寺山である虚空蔵山に少し登ると深い青葉の木立で、ホタルノオバサンという茶色の蛍が飛んできました。

 ちまき会式は毎年この頃、弘仁寺の本尊・虚空蔵菩薩に地元で作った粽(ちまき)を供え、自然の恵み、家内安全などを祈る行事です。

 13年前粽会式を訪ねたときは、地元の女性が集まり粽を作っているのを拝見できましたが、今回は、すでに出来上がった粽(束になった黄金粽)が、納屋の軒の青竹に並べて掛けてありました。
それを拝見に、庫裏の裏庭に入らせてもらいましたが、以前2、3度訪ねているので、
納屋や寺畑の風景がなんとなく懐かしく、昔庭と畑のあった母の生家を訪ねたような気持でした。

    (弘仁寺)                                       (護摩の忌竹)


     (黄金ちまき)                                        (明星堂)  


      (明星堂の奉額)                                               (虚空蔵山の山中)

   本堂を見上げる寺庭にはすでに結界の竹に囲まれた護摩壇が作られていました。
我々が着いた1時頃は、参拝者はまだ3,4人しか見えず、午後2時から護摩法要が始まっても、参拝者は10数人とカメラマン5.6人だけでした。
13年前訪ねた時は人が一杯で、粽の追加が必要だったのとは大違いです。
護摩法要を待つ間に、厄払いの黄金粽とは別の本物の粽をいただきました。

 本堂で虚空蔵菩薩に粽を供える法要、読経のあと、僧が2人庭に降りて護摩壇を囲む忌竹に入ったあと、一人の僧が、本堂から火を点けた竹竿を運んできて、護摩壇に点火しました。

 護摩壇の前に坐ったご住職が、虚空蔵菩薩への願文を読み上げました。
家内安全、無病息災、五穀豊穣などの祈願のようでした。
最後の日付を読んだ時、平成元年6月13日と読まれましたが、誰も気がついていないようでした。まさか元の願文に令和を平成と書くはずがないだろうと思います。

 そのあと、2人の僧の般若心経読経のなか、ご住職が呪文を唱えながら、順次、両手に護摩木を数本ずつ持って、頭の上から護摩壇へ勢いよく投げあげました。
別の寺男らしい人が、檀家が持参した古い粽の束などを護摩壇に投げ入れていました。

 護摩法要が終わったあと、ご住職が挨拶を兼ねて短い法話をされました。
以前と比べて参列者が少なくなったこと、檀家などを訪ねたときも、お経だけでなく
本を沢山読んでその中から関連する短い法話をするようにしているとのお話でした。

 その話の中には前の戦争の話もあり、海軍の殆どの空母や戦艦が撃沈されたなかで、
駆逐艦「雪風」が最後まで無事で終戦を迎えたとのことでした。
平和を願うご住職の心が、若い世代にどのように伝わるかは多少心配ですが。

  (護摩の願文奉読)                                             (護摩壇の法要)


      (桜井の千寿亭)                                       (植村牧場の喫茶店いちづ)



        庫裏の庭どこかなつかし青葉かな    常朝  

        粽会式頭の上から護摩木投ぐ       常朝  

        夏の法話駆逐艦雪風も出て        常朝  


 3時ころ、奈良へ戻り、奈良坂の植村牧場の喫茶店でケーキとコーホーをいただき解散しました。
6月にしては天気に恵まれ、虚空蔵山の深い青葉のなか伝統ある行事をゆっくり拝見できました。

ただ、伝統ある宗教行事に参列者が減っているのと、戦争を知らない政治家たちが威勢よく武力で領海・領土を守れというのとは、どこかでつながっているような気もします。