「アカシア紀行・俳句」2008年12月18日(木)
師走の朝曇りの日、いつものメンバー7人で南山城村の童仙房から野殿の
神社や木津川あたりを吟行しました。
やはり午後は晴れになりました。
童仙房は江戸時代までは京・大和・尾張の三国にはさまれた山地だった
ようですが、明治政府が開拓を勧めたとのことです。
JR関西本線の大河原駅の東から山地へ狭い山道を10キロほど走ると
急に田畑が広がる童仙房につきました。
まず案内板に従い「總神寺」をお参りしました。
ここは日蓮宗の寺で、日譽上人が昭和41年開山されたとのこと。
しかし境内には本堂、釈迦堂、日蓮上人の像などのほかに神社もあり、
八幡大菩薩、素戔鳴尊、のほか、ハワイの火の神女神ペレまで祀っています。
また神馬像や大きな鷲の像もあります。
境内はやや高台にあるので冬霞の山々や村の一部が見えました。
庭の苔には日陰カズラが日差を受けて若緑色を見せていました。
その後東の野殿という所の千体仏があるという福常寺にいきましたが、
小さな無住のお堂があるだけで、中は拝観できませんでした。
庭の土手には龍のひげの青い玉がいくつかありました。
さらに東の六所神社を訪ねました。
せまい道の奥に立派な杉林の参道があり、萱葺きの落ち着いた
覆い屋(本殿)と萱葺きの舞殿があります。
舞殿には「京都の自然二百選」の認定証が掲げられていました。
のち木津川付近へ戻り、「レストランおしはら」で昼食後、
木津川の沈水橋に行きました。
レストランの壁の上の方には女店主が書かれた人生標語が
30枚くらい貼ってあり、その中には私も好きな
「諦めなければ失敗でない」「目に見えないものが一番大事」
などもありました。庭には破芭蕉が数本立っていました。
沈水橋はこのあたりには二つあり、二つとも車を止めて歩きました。
大水が出ると水中に沈みますが流れないよう、コンクリートの低い橋があり、
小型車がやっと通れる狭い巾でした。
歩くとすぐ下を冬の澄んだ川が流れ寒風が吹いてきます。
二つ目の橋では偶然、鮒の放流を見ることができました。
漁業組合の2人が小型トラックで「へら鮒」の小鮒を500キロ運び、
車の水槽のホースから大きなバケツへ何度も小鮒を入れ、
橋のたもとから放流するところを、カメラに撮らせてもらいました。
まだ少し時間があったので、夕方笠置経由で柳生の芳徳寺を訪ねました。
芳徳寺は柳生藩の柳生氏の菩提寺ですが、母が生前、歌人であった
先代の奥様に師事していたので母を乗せて車で何度か訪ねました。
ひさしぶりに訪ねると正木坂道場や学舎が立派になっていました。
寺の落葉の道の奥には柳生家墓所があり上泉伊勢守、石舟斎、
徳川家の剣道指南であった柳生藩初代の宗矩(むねのり)、子の十兵衛三厳
(みつよし)以下、80基ほどの墓石があります。
中には酒好きの人の盃型の傘と徳利型の墓石もありました。
4時頃お寺を辞して、奈良市内の喫茶店で小句会後解散しました。
女神ペレ祀ってゐたる冬の杜 常朝
破芭蕉破りて音を確かめし 常朝
放流の小鮒離れず冬の川 常朝
(總神寺・写真はすべてクリックで拡大)
(六所神社)
(レストランの標語)
(沈水橋)
(鮒の放流)
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