「アカシア紀行・俳句」2010年4月16日(金)
やや寒い4月の雨の日、いつものメンバーで河内(大阪府)富田林市の
寺内町(じないまち)へ吟行しました。
集合場所の市役所駐車場に11時頃つき、寺内町見学者向けの
私営第3駐車場に移動しました。
寺内町は近鉄富田林駅の北約400メートルほどにある、
400メートル四方ほどの戦国時代末からの古い町並みで、
第3駐車場は富田林高校のすぐ西側にあります。
いつも天気に強いメンバーにしては珍しい雨でしたが、
春の雨なので傘をさして駐車場から北の寺内町へ歩きました。
江戸時代の町並みの狭い道を200メートルほど歩くと、
吉田松陰が滞在したという仲村家があり、軒の柱には赤い布をつけた
駒つなぎの鉄輪があります。
町角に古い石の道標があり、火の用心のため、「くわへたばこ無用」、
「ひなわひ(火縄火)無用」と彫ってあります。
さらに歩くと左手に旧杉山家住宅があります。
いずれも江戸時代は繁栄した造り酒屋だったようです。
玄関に傘をおいて、我々は杉山家住宅に入りました。(入館料400円)
杉山家住宅は一階だけでも10部屋ほどあり、2階もあります。
広い土間の左の座敷に上がり、ビデオをみせてもらいました。
明治時代短歌雑誌「明星」などで与謝野晶子らと活躍した、
美人の歌人「石上露子(いそのかみつゆこ)」の生家で、庭の蔵には
露子の遺品の琴や手紙などが展示されています。
歌人ですが「小板橋」の詩も展示されています。
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小板橋 ≪石上露子≫
ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
いひしらず沁みて匂ひき
今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
小板橋ひとりゆらめく
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小板橋の詩を読む蔵に春の雨 常朝
道標に火縄火無用花の雨 常朝
(仲村家の駒つなぎ:クリックで拡大:以下すべて)
(杉山家住宅)
(杉山家案内板)
その後、150メートルほど北の八町茶屋でそばをいただき、10キロほど
南の楠公ゆかりの楠妣庵(なんぴあん)観音寺に行きました。
楠妣庵は富田林市の南、府道201号線の甘南備(かんなび)地区の山の
麓にあります。
楠正成公の夫人久子がその子正行(まさつら)が四条畷で戦死後、
晩年を過ごした寺で、甘南備の山の麓にあります。
山門は寺の西と東にありますが、我々は坂を登って西の山門のすぐ前に
駐車し入山しました。
住職に本堂を案内してもらい、楠家の大きい過去帳を拝見しました。
ちょうど翌日17日が夫人の月命日でした。
そのあと崖の上の観音堂も拝観し、両手をなくした大西順教尼が
口で書かれた般若心経を見せてもらいました。
昭和天皇の御座所となった庵(再建)もあります。
東山門の石段下には母子の像(久子と正行)が雨に濡れていました。
午後3時ころ、雨が上がりそうもないので楠妣庵を辞して、
太子町南交差点の西200メートルのパン屋さんサントル・ドゥ・
ヴィラージュで小句会後解散しました。
楠公の過去帳開く花の冷え 常朝
(楠妣庵観音寺の庭)
(楠妣庵観音寺の本堂)
(母子の像:正行と母)
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