「アカシア紀行・俳句」2012年2月26日(日)
2月の寒い日曜日、梅の花を見ようと、いつものメンバー6人で
城陽市・青谷梅林から水度神社龍福寺などを訪ねました。
青谷梅林は城陽市の市辺(いちべ)にあるはずですが、
10時前国道307号線から西生寺方面に入ると、
それらしい梅まつりの旗がありません。
通る人から場所はもっと北だと教えていただき、
昔ながらの家並みの中の狭い道を折れ曲がって、
やっと梅林の駐車場に着きました。
場所は南城陽中学の北東300メートルほどですが、
車では、307号線青谷橋を左折北上すると青谷小学校と
南城陽中学の間位に梅まつりの旗と案内板があります。
梅林入り口の農家の庭も駐車場だったので、500円で駐車させてもらい、
前庭で売っている梅干、白菜、人参、ごぼうなどを皆で山程買いました。
すべて新鮮で安いので梅見などはどうでもよいといった感じです。
人参などは我々が裏の畑で適当に引き抜くので畑直売です。
梅祭の会場は駐車場から東へ歩いて5,600メートルほどで、
途中笹原に添う地道で、鶯の初鳴きを聞きました。
梅祭着くなり山程野菜買ふ 常朝
初鶯地道ゆっくり踏みゆけば 常朝
(農家の直売:クリックすると拡大:以下すべて)
(青谷梅林の紅梅)
会場には大きな売店が3つあり、着ぐるみのプラムちゃんが子供達と
写真を撮ったりしています。
自転車の紙芝居屋さんも来ていますが、まだ寒いので、
客もいず、手持ち無沙汰のようです。
薪割りをして焚火をしたり、餅つきの準備をしていました。
肝心の梅はまだ殆ど蕾で、数本の紅梅、白梅が1分咲き
といった感じでした。例年より2週間ほど遅いそうです。
甘酒で少し身体を温めてから、駐車場へ戻りました。
南側の道を戻る途中、鉢巣箱や白菜、壬生菜畑があり、
三の口という樫林の中に高さ1メートル程の竹の祭壇を組んで
山神を祀っていました。多分カラスのしわざでしょう、
供えた皿の米があたりに散らかっていました。
戻る途中の白梅に日が差してきました。
日当たれば風止みにけり梅の花 常朝
土竜威音快き壬生菜畑 常朝
(梅祭の売店1)
(梅祭の売店2)
(紙芝居屋)
(山神:三の口)
24号線を北上して、城陽市役所北の「さと」で昼食をいただいた後、
市役所東の水度(みと)神社に参拝しました。
高い木々に囲まれた参道を600メートルほど進むと
鴻ノ巣山のふもと駐車場があります。
由緒書きによると旧寺田村の産土神社で、祭神は
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
高御産靈神 (たかみむすびのかみ)
少童豐玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)
とのことです。
白鶴、城陽などの酒樽を積んだ立派な拝殿の左、唐門の奥に
朱塗りの本殿があります。
裏手には榊の若木を植えた神籬(ひもろぎ:神域)があり、
境内には紅梅が咲いて、珍しい3本の葉の松「ダイオウショウ」の
三針葉が枝に掛かっていました。
三針葉掛かってゐたる神の梅 常朝
(水度神社の拝殿)
(水度神社の本殿唐門)
その後参道を戻る途中、JR踏切を西へ渡ったすぐそばの「玉池」を見ました。
この池には夜叉婆さんの伝説があり、
昔庄屋の娘が何度も婚家から返され、夜叉といわれたり
したのを悲観してこの池に身をなげたそうです。
以来この道は嫁入り行列は通らないとか。
今は護岸され噴水が並んでいます。
参道の北側に人面の瘤がある椋の木があり、
夜叉ばあさんの木というそうです。
人面の瘤ある椋の芽吹きかな 常朝
(夜叉婆さんの木)
再び市辺に戻り、中天神社のそばに車をとめ、龍福寺を訪ねました。
龍福寺は浄土宗の寺ですが、本堂には涅槃図が掛かっており、
左の7、8段もある雛壇にひな土鈴が沢山飾られていました。
本堂にも庫裏にも人がいないようでしたが、お賽銭を入れて、
3色豆のようなお下がりをいただきました。
境内右手の坂の祠には歯痛地蔵が左手をほおに当てていました。
境内には三椏の花が咲いていました。
隣の中天神社の拝殿にはおかげ参りの奉額が、牛若丸の額の横にあり、
道真公の「東風ふかば・・・」の歌碑がありました。
涅槃図の掛る御堂の暗さかな 常朝
(龍福寺本堂)
(龍福寺の涅槃図)
(龍福寺のひな土鈴)
3時すぎお寺を辞して梅谷口青葉台ゴルフ場の杏樹で小句会後
解散しました。
2012年2月27日月曜日
2012年2月12日日曜日
143.桜井市・江包の綱掛祭から長谷寺
「アカシア紀行・俳句」2012年2月11日(土)
建国記念日の土曜日、いつものメンバー7人で奈良桜井市の
江包(えつみ)での綱掛祭から長谷寺に吟行しました。
江包の綱掛祭は、素盞鳴(すさのお)神社の由緒書きによると、
素盞鳴命と稲田姫(いなだひめ)命の結婚式で、
江包地区から素盞鳴命の男綱、大西地区から稲田姫の女綱を運び寄り、
牛頭神社(素盞鳴神社)の神前で夫婦の契りを結ぶ神事とのこと。
入船の式ともいい、無形民俗文化財に指定されています。
ここは名の通り川に包まれているため、昔から水害が多かったため、
水害と疫病を治め、豊作と子宝を祈願する祭とのこと。
また祭の間に泥相撲をし、豊作を祈るそうです。
地区には駐車場がないので9時頃大三輪神社で集合し、タクシーで
約3キロほど北西の江包に行き、雄綱の出発地の春日神社まで歩きました。
江包の春日神社は20メートル四方位の神社ですが、9時半頃着くと
すでに男綱が境内に置かれて、20人位の男達に担がれ「よいそれ」の
掛け声で神社の周囲を巡り神社に戻りました。
男綱は直径1.5メートル、長さ約3メートルの円推形(釣鐘状)で、
尻尾約60メートル、重さ600キロくらい、わらは2000束程で、前々日に
つくるそうです。
神社の南0メートルほどの田が泥相撲の場所で畦道で待っていると、
地区の人がホースで田に水を入れ始めました。
大きな田の北隅8メートル四方位を泥田にして、土俵とします。
しばらくすると再び男綱が担がれてきて、田の中に入り、
泥田のすぐ西側に置かれました。
素盞鳴命に相撲をお見せするのでしょうか。
11時前、作業服を着た男たちが10人位と軍配のうちわを持った行司が
田に入り、二人ずつ相撲が始まりました。
周囲はカメラマンなど100人位の人が土俵を囲み、声援を送りました。
そのうち、相撲の二人が行司を捕まえて泥田に転がしたりするので、
無茶苦茶な泥仕合となりました。皆大笑いと拍手です。
田遊びの行司も転ぶ泥相撲 常朝
(春日神社:クリックすると拡大:以下すべて)
(泥相撲)
(行司も倒された)
11時すぎ、西の初瀬川(大和川)の対岸の道を、神主と大勢に担がれた
女綱が掛け声と共に綱掛橋を渡って、素盞鳴神社につきました。
女綱も男綱と同様、藁2000束分600キロ以上あるという、
直径1.5メートル、長さ6-7メートルの円筒形で、尻尾約100メートルも
あり、龍の形を模しています。
我々も、田から100メートル程西の素盞鳴神社に移動して、
入船儀式の準備である、神社の「ひょうもく」という木(椋の木?)に
女綱を掛けるのを見物しました。ハシゴを3本も使い、
やっとのことで、11時半頃女綱をかけ終わると、羽織姿の仲人が
田んぼで休んでいる男綱も迎えに行きます。
何度も仲人が神社と男綱を往復しました。7回半往復したそうです。
女綱が掛けられた頃から泥ずもうが再開されました。
その後相撲は終わり、12時半頃神主と男綱が田んぼの中を突っ切って、
素盞鳴神社にきて入船儀式が始まりました。
挨拶もそこそこに、男綱が女綱の下部の輪に差し込まれると、
男綱も慎重に別の木に掛けられ、儀式が終わりました。
泥はねて春田突っきる男綱かな 常朝
女綱には色気ありけり春祭 常朝
綱掛けの藁屑飛び来春祭 常朝
(素盞鳴神社)
(綱掛橋を渡る女綱)
(男綱を待つ女綱)
(田から出た男綱)
(結婚式が終わった綱)
その後、神社で祝詞が上げられますが、すでに1時頃となり
お腹もすいたので、我々はタクシーで大三輪神社に戻り、
大鳥居の脇の山和で昼食をいただきました。
2時すぎ、車で東へ約8キロの長谷寺へ寒牡丹を見に行きました。
暦ではすでに春ですが、長谷寺の長い登廊の右側には、
藁苞に包まれた牡丹が、10数株大きな花をつけていました。
すでに多くは花びらが散りかけですが、蕾もありました。
さらに山上の本堂を参拝後、左の石段を降りて、本坊前の
寒牡丹を拝見しました。ここも10株位ですが大きな花でした。
出合う坊さまは皆若くてやや華奢で丁寧に挨拶されました。
また山門右下の駐車場からは足の弱い人を山上の本堂前まで
車の送迎サービスがありメンバーの一人がお世話になりました。
登廊の休み休みに寒牡丹 常朝
若僧の歩みは華奢よ寒牡丹 常朝
(長谷寺山門)
(寒牡丹)
(本堂舞台から本坊を望む)
(本坊から本堂を望む)
3時半頃お寺を辞して、桜井165号線沿いの天平庵で
小句会後5時半すぎ解散しました。
風はやや寒かったですが良い天気に恵まれた吟行でした。
建国記念日の土曜日、いつものメンバー7人で奈良桜井市の
江包(えつみ)での綱掛祭から長谷寺に吟行しました。
江包の綱掛祭は、素盞鳴(すさのお)神社の由緒書きによると、
素盞鳴命と稲田姫(いなだひめ)命の結婚式で、
江包地区から素盞鳴命の男綱、大西地区から稲田姫の女綱を運び寄り、
牛頭神社(素盞鳴神社)の神前で夫婦の契りを結ぶ神事とのこと。
入船の式ともいい、無形民俗文化財に指定されています。
ここは名の通り川に包まれているため、昔から水害が多かったため、
水害と疫病を治め、豊作と子宝を祈願する祭とのこと。
また祭の間に泥相撲をし、豊作を祈るそうです。
地区には駐車場がないので9時頃大三輪神社で集合し、タクシーで
約3キロほど北西の江包に行き、雄綱の出発地の春日神社まで歩きました。
江包の春日神社は20メートル四方位の神社ですが、9時半頃着くと
すでに男綱が境内に置かれて、20人位の男達に担がれ「よいそれ」の
掛け声で神社の周囲を巡り神社に戻りました。
男綱は直径1.5メートル、長さ約3メートルの円推形(釣鐘状)で、
尻尾約60メートル、重さ600キロくらい、わらは2000束程で、前々日に
つくるそうです。
神社の南0メートルほどの田が泥相撲の場所で畦道で待っていると、
地区の人がホースで田に水を入れ始めました。
大きな田の北隅8メートル四方位を泥田にして、土俵とします。
しばらくすると再び男綱が担がれてきて、田の中に入り、
泥田のすぐ西側に置かれました。
素盞鳴命に相撲をお見せするのでしょうか。
11時前、作業服を着た男たちが10人位と軍配のうちわを持った行司が
田に入り、二人ずつ相撲が始まりました。
周囲はカメラマンなど100人位の人が土俵を囲み、声援を送りました。
そのうち、相撲の二人が行司を捕まえて泥田に転がしたりするので、
無茶苦茶な泥仕合となりました。皆大笑いと拍手です。
田遊びの行司も転ぶ泥相撲 常朝
(春日神社:クリックすると拡大:以下すべて)
(泥相撲)
(行司も倒された)
11時すぎ、西の初瀬川(大和川)の対岸の道を、神主と大勢に担がれた
女綱が掛け声と共に綱掛橋を渡って、素盞鳴神社につきました。
女綱も男綱と同様、藁2000束分600キロ以上あるという、
直径1.5メートル、長さ6-7メートルの円筒形で、尻尾約100メートルも
あり、龍の形を模しています。
我々も、田から100メートル程西の素盞鳴神社に移動して、
入船儀式の準備である、神社の「ひょうもく」という木(椋の木?)に
女綱を掛けるのを見物しました。ハシゴを3本も使い、
やっとのことで、11時半頃女綱をかけ終わると、羽織姿の仲人が
田んぼで休んでいる男綱も迎えに行きます。
何度も仲人が神社と男綱を往復しました。7回半往復したそうです。
女綱が掛けられた頃から泥ずもうが再開されました。
その後相撲は終わり、12時半頃神主と男綱が田んぼの中を突っ切って、
素盞鳴神社にきて入船儀式が始まりました。
挨拶もそこそこに、男綱が女綱の下部の輪に差し込まれると、
男綱も慎重に別の木に掛けられ、儀式が終わりました。
泥はねて春田突っきる男綱かな 常朝
女綱には色気ありけり春祭 常朝
綱掛けの藁屑飛び来春祭 常朝
(素盞鳴神社)
(綱掛橋を渡る女綱)
(男綱を待つ女綱)
(田から出た男綱)
(結婚式が終わった綱)
その後、神社で祝詞が上げられますが、すでに1時頃となり
お腹もすいたので、我々はタクシーで大三輪神社に戻り、
大鳥居の脇の山和で昼食をいただきました。
2時すぎ、車で東へ約8キロの長谷寺へ寒牡丹を見に行きました。
暦ではすでに春ですが、長谷寺の長い登廊の右側には、
藁苞に包まれた牡丹が、10数株大きな花をつけていました。
すでに多くは花びらが散りかけですが、蕾もありました。
さらに山上の本堂を参拝後、左の石段を降りて、本坊前の
寒牡丹を拝見しました。ここも10株位ですが大きな花でした。
出合う坊さまは皆若くてやや華奢で丁寧に挨拶されました。
また山門右下の駐車場からは足の弱い人を山上の本堂前まで
車の送迎サービスがありメンバーの一人がお世話になりました。
登廊の休み休みに寒牡丹 常朝
若僧の歩みは華奢よ寒牡丹 常朝
(長谷寺山門)
(寒牡丹)
(本堂舞台から本坊を望む)
(本坊から本堂を望む)
3時半頃お寺を辞して、桜井165号線沿いの天平庵で
小句会後5時半すぎ解散しました。
風はやや寒かったですが良い天気に恵まれた吟行でした。