「アカシア紀行・俳句」2012年2月11日(土)
建国記念日の土曜日、いつものメンバー7人で奈良桜井市の
江包(えつみ)での綱掛祭から長谷寺に吟行しました。
江包の綱掛祭は、素盞鳴(すさのお)神社の由緒書きによると、
素盞鳴命と稲田姫(いなだひめ)命の結婚式で、
江包地区から素盞鳴命の男綱、大西地区から稲田姫の女綱を運び寄り、
牛頭神社(素盞鳴神社)の神前で夫婦の契りを結ぶ神事とのこと。
入船の式ともいい、無形民俗文化財に指定されています。
ここは名の通り川に包まれているため、昔から水害が多かったため、
水害と疫病を治め、豊作と子宝を祈願する祭とのこと。
また祭の間に泥相撲をし、豊作を祈るそうです。
地区には駐車場がないので9時頃大三輪神社で集合し、タクシーで
約3キロほど北西の江包に行き、雄綱の出発地の春日神社まで歩きました。
江包の春日神社は20メートル四方位の神社ですが、9時半頃着くと
すでに男綱が境内に置かれて、20人位の男達に担がれ「よいそれ」の
掛け声で神社の周囲を巡り神社に戻りました。
男綱は直径1.5メートル、長さ約3メートルの円推形(釣鐘状)で、
尻尾約60メートル、重さ600キロくらい、わらは2000束程で、前々日に
つくるそうです。
神社の南0メートルほどの田が泥相撲の場所で畦道で待っていると、
地区の人がホースで田に水を入れ始めました。
大きな田の北隅8メートル四方位を泥田にして、土俵とします。
しばらくすると再び男綱が担がれてきて、田の中に入り、
泥田のすぐ西側に置かれました。
素盞鳴命に相撲をお見せするのでしょうか。
11時前、作業服を着た男たちが10人位と軍配のうちわを持った行司が
田に入り、二人ずつ相撲が始まりました。
周囲はカメラマンなど100人位の人が土俵を囲み、声援を送りました。
そのうち、相撲の二人が行司を捕まえて泥田に転がしたりするので、
無茶苦茶な泥仕合となりました。皆大笑いと拍手です。
田遊びの行司も転ぶ泥相撲 常朝
(春日神社:クリックすると拡大:以下すべて)
(泥相撲)
(行司も倒された)
11時すぎ、西の初瀬川(大和川)の対岸の道を、神主と大勢に担がれた
女綱が掛け声と共に綱掛橋を渡って、素盞鳴神社につきました。
女綱も男綱と同様、藁2000束分600キロ以上あるという、
直径1.5メートル、長さ6-7メートルの円筒形で、尻尾約100メートルも
あり、龍の形を模しています。
我々も、田から100メートル程西の素盞鳴神社に移動して、
入船儀式の準備である、神社の「ひょうもく」という木(椋の木?)に
女綱を掛けるのを見物しました。ハシゴを3本も使い、
やっとのことで、11時半頃女綱をかけ終わると、羽織姿の仲人が
田んぼで休んでいる男綱も迎えに行きます。
何度も仲人が神社と男綱を往復しました。7回半往復したそうです。
女綱が掛けられた頃から泥ずもうが再開されました。
その後相撲は終わり、12時半頃神主と男綱が田んぼの中を突っ切って、
素盞鳴神社にきて入船儀式が始まりました。
挨拶もそこそこに、男綱が女綱の下部の輪に差し込まれると、
男綱も慎重に別の木に掛けられ、儀式が終わりました。
泥はねて春田突っきる男綱かな 常朝
女綱には色気ありけり春祭 常朝
綱掛けの藁屑飛び来春祭 常朝
(素盞鳴神社)
(綱掛橋を渡る女綱)
(男綱を待つ女綱)
(田から出た男綱)
(結婚式が終わった綱)
その後、神社で祝詞が上げられますが、すでに1時頃となり
お腹もすいたので、我々はタクシーで大三輪神社に戻り、
大鳥居の脇の山和で昼食をいただきました。
2時すぎ、車で東へ約8キロの長谷寺へ寒牡丹を見に行きました。
暦ではすでに春ですが、長谷寺の長い登廊の右側には、
藁苞に包まれた牡丹が、10数株大きな花をつけていました。
すでに多くは花びらが散りかけですが、蕾もありました。
さらに山上の本堂を参拝後、左の石段を降りて、本坊前の
寒牡丹を拝見しました。ここも10株位ですが大きな花でした。
出合う坊さまは皆若くてやや華奢で丁寧に挨拶されました。
また山門右下の駐車場からは足の弱い人を山上の本堂前まで
車の送迎サービスがありメンバーの一人がお世話になりました。
登廊の休み休みに寒牡丹 常朝
若僧の歩みは華奢よ寒牡丹 常朝
(長谷寺山門)
(寒牡丹)
(本堂舞台から本坊を望む)
(本坊から本堂を望む)
3時半頃お寺を辞して、桜井165号線沿いの天平庵で
小句会後5時半すぎ解散しました。
風はやや寒かったですが良い天気に恵まれた吟行でした。
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