「アカシア紀行・俳句」2012年4月8(日)
4月のすばらしい天気の花祭りの日、いつものメンバー7人で、
奈良・飛鳥の花祭りに参加、蹴鞠も見学しました。
9時半飛鳥夢販売所で集合し、まず橘寺の花祭りにお参りしました。
夢販売所の軒では燕が巣作りをしていました。
橘寺は、聖徳太子誕生の寺として知られていますが、
さらに昔垂仁天皇の命により不老不死の果物を求めた田道間守が持ち帰った
橘の実をこの地に植えたため地名となったようです。
8日はお釈迦様のお誕生日を祝う祭で、花祭り、花会式、潅仏会などとして、
全国の大きな寺で行われます。
橘寺では本堂の中に、お寺の敷地内で採られたという
様々な花をお堂の屋根に載せた「花御堂」を安置していました。
中の灌仏盤というお皿の中にまるまる太った誕生仏が立っておられ、
甘茶を小さな杓でおかけしました。
その後紙カップの甘茶をいただきました。
本堂の裏庭には「二面石」があり、左が泣き怒っているような顔、
右は笑っているような顔ですがどちらも石が摩耗していました。
裏庭の池には、錦鯉が数匹泳ぎ、紅色の春落葉が風に流れています。
奥の広い庭には中門跡、五重塔跡などがあり、桜などを見て散策しました。
直売の店へまっすぐ初燕 常朝
み仏のおなかぽっこり花御堂 常朝
花の上に御堂見えたる飛鳥かな 常朝
(飛鳥夢販売所の燕の巣:クリックすると拡大:以下すべて)
(橘寺本堂)
(橘寺の花御堂)
(橘寺の二面石)
その後、飛鳥寺北の「膳」店に行きましたが満席だったので、
石舞台の駐車場に車を置き、夢市茶店で、古代米御膳をいただき、
石舞台南の芝生広場で飛鳥蹴鞠を見学しました。
飛鳥蹴鞠は、数年前蹴鞠保存会が飛鳥時代に宮中などで
行われた中国伝来の蹴鞠を再現したとのことです。
紫(衣装)組と白組に5人ずつに分かれて、7X14メートル位の
斎竹で囲まれた芝生を2つに分けてそれぞれチームが入り、
直径20センチ位の鹿皮のボールを落とさないよう代るがわる蹴ります。
地面に落としたら審判役の鞠司が相手チームにボールを渡し、
互いに相手チームの後方の斎竹の縄を蹴って越えさせると1点が入るという、
割合勇壮な競技です。(優雅な平安時代の蹴鞠とは違い)
風向きも勝負に影響するのでコートチェンジもあるようです。
今回は25分位のゲームで白組が3対1で勝ちました。
周囲の桜が徐々に色を濃くする飛鳥の芝生の上で、
春の空高く鞠が上がるのはなかなか気持ちの良いものです。
練習中に白蝶が蹴鞠場に迷い飛んできました。
斎竹を越え飛ぶ蹴鞠山笑ふ 常朝
初蝶の覗きにきたる蹴鞠かな 常朝
(飛鳥蹴鞠:アイヤーと声掛けて蹴る)
その後、飛鳥寺に移動し、2時からの花会式に参加しました。
飛鳥寺は日本最古のお寺で、本堂では飛鳥大仏が古代的な微笑を
今も見せておられます。
開始まで時間があったので、本堂前に置かれた
小さな花御堂の、さらに小さな誕生仏に甘茶をお掛けし、
甘茶をふたたびいただきました。
こちらの花御堂は、橘寺と違いかわいい花ばかりが屋根に敷かれて
いました。本堂内にも花のない小さな御堂と誕生仏がありました。
寺の外の田んぼでは画家があちこちにキャンパスを立てていました。
境内の松瀬青々の句碑などを見てから西門跡から数十メートル西の
入鹿の首塚を訪ねました。
首塚は、西暦645年の大化の改新のとき、
中大兄皇子と藤原鎌足(当時中臣)によって討たれた蘇我入鹿の
首が飛んできたという所にある供養の5輪塔です。
昔は周囲は田のぬかるみのようでしたが、今は塚までの通路が
きれいに舗装されています。
入鹿への供花のように一畝の菜の花が見事に満開でした。
花会式は御詠歌と住職と他の4人位の僧侶による声明から始まりました。
村長代理の方の祝辞や招待客の灌仏などなど式は続きましたが、
我々は3時前に寺を辞して、橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
大庇の日差ゆたかに花御堂 常朝
飛鳥路の時ゆったりと花祭 常朝
(飛鳥寺本堂)
(飛鳥大仏)
(飛鳥寺の花御堂大仏)
(青々句碑:ましまして斗帳に花の主かな)
(入鹿首塚)
今日は今年始めての春らしい天気に恵まれて、古都飛鳥の花祭りや
蹴鞠を楽しめました。
その割には良い句はできませんでしたが。
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