「アカシア紀行・俳句」2013年7年13日(土) 前へ 次へ
梅雨明けの猛暑が続く日いつものメンバー7人で、奈良県天川村・洞川
(どろがわ)の龍泉寺から大峰山の女人結界を訪ねました。
9時半頃飛鳥夢販売所を出て、10時半頃寺に着きました。
龍泉寺は、2009年8月のアカシア紀行にも書きましたが、
役行者が開いたとされる大峰山行者の寺です。
役行者が発見したという泉に八大龍王をお祠りする真言宗醍醐派の寺で、
境内には水行場の池のほか、美しい池がいくつかあり、
主なお堂の周囲は清水の流れる溝で囲まれ、まるで「水の寺」です。
バスで参詣にくる大峰講の人達もおり、参詣後行者姿の先達(リーダー)
と共に大峰山登山に向かうようです。
本堂に向かっていると、急に雨が振り出しました。夏のにわか雨です。
本堂の屋根や行者像を大粒の雨が叩きましたが、しばらく休んでいると、
小止みになり、本堂の右から法螺の音が聞こえました。
そこには護摩壇が組まれ、一人の僧侶が座り、別の若い僧侶が般若心経などを
声高らかに唱えながら、護摩の火をつけようとしていました。
10人位の男性が護摩を囲み手を合わせていました。
自分たちの大峰講を解散する儀式だそうで、護摩壇の上に、
講の旗や神具箱のような大きな箱を積んでいました。
雨も上がり、若い僧侶が火を付けると、最初の白い煙が青い透明の煙になり、
護摩壇の旗や箱が勢い良く燃えて、雷が鳴りました。
外人男性も見守る中、解散式は読経の中終りました。
その後水行場などを拝見して、お寺を辞しました。
4年前池に鱒がいたので探しましたが、鱒も他の魚も見えませんでした。
行者像の笈(おい)を叩ける驟雨かな 常朝
護摩壇に炎上がれば山の雷 常朝
(龍泉寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(八大龍王堂)
(本堂)
(水行場)
(講の解散式)
(龍泉寺の池)
お寺の南の「きらく久兵衛」で鮎焼き定食をいただいたあと、
女人結界へ車を進めました。
大峯山は今も女人禁制の修験の山で、結界があります。
我々は母公堂の先の清浄大橋結界の手前の駐車場に車を留めました。
(洞川温泉町から東へ約3.5キロ)
駐車場に食堂があり、そのそばにいた行者さんによると、
大峰山には(吉野方面からは)結界が3ケ所(清浄大橋、レンゲ辻、五番関)
あり、稲村岳からのレンゲ辻からが一番険しいそうです。
橋を渡ると、女人結界門と書いた大きな門があります。
鶯やホトトギスを聞きながら、門の手前の石垣に腰掛けていると、
2、3人ずつ下山の行者が門を出て来ました。
中には大人に連れられた小学生の子もいました。
食堂の東側と西のトイレの東側からは、行場の「西の覗き」の崖を
見上げることができました。
帰りに山の清水(軟水)をもらうために、「ごろごろ水」採水場に
駐車料300円を払って、車を留め、10ヶ所くらいある蛇口の
一つからクーラーボックスに水を汲みました。
老鶯や童降り来る結界門 常朝
杉梢走る夏雲結界門 常朝
(発菩提心門と清浄大橋)
(女人結界門)
(結界の石像)
(西の覗きの山々)
(西の覗きの説明板)
その後、飛鳥のぶどう園の直売店でデラウェアのぶどうを買い、
橿原観光ホテルで小句会後7時頃解散しました。
日が当たるとやや暑いですが、下界の暑さを忘れて、天川村の山の涼気を
楽しむことができました。
2013年7月14日日曜日
2013年7月1日月曜日
175.天理市・夜都岐神社から石上神宮でんでん祭
「アカシア紀行・俳句」2013年6年30日(日) 前へ 次へ
6月最後の梅雨晴れ間の、いつものメンバー6人で、 奈良・天理市の
夜都岐神社から石上神宮を訪ねました。
夜都岐神社(夜都伎:ヤトギ、あるいはヤツキ)は、天理市乙木地区の氏神
ですが武甕槌(たけみかづち)の神など6神を祀る本殿の前に、
古い藁屋根の拝殿があります。
我々が神社に着いた10時前は他に誰もいず、神社の池から牛蛙の鳴き声が
聞こえるだけでした。
説明板によると、乙木地区にあった2社を統合した神社で、
昔は奈良の春日神社の寺領だったためか縁が深いようです。
拝殿の藁屋根の左の一部はやや新しく、葺き直したようですが、
残りの屋根には苔が生えています。格子戸から覗くと、藁屋根の骨組みが見え、
数枚の奉額の一つの七福神を描いた布が垂れ下がっていました。
そのうち、5、6人の男女のハイカーがやってきて、しばらく拝殿などを
興味深かそうに見た後戻りました。
境内の蹲居(つくばい)にはボウフラが沢山元気に泳いでいました。
左手には古い井戸があり夏落ち葉が木蓋にかかっています。
北側の池の土手には、ワルナスビやシロツメグサ(クローバー)が
咲いて、よく見ると4つ葉や5つ葉のクローバーが数茎ありました。
神社の周囲の畑道には青い紫陽花が咲き、綿畑に綿が2尺位に育っていました。
神池の暗きに鳴けり牛蛙 常朝
ひとところ藁葺き新た青楓 常朝
(夜都岐神社:クリックで拡大:以後同じ)
(夜都岐神社説明板)
(拝殿の中)
(神社の池)
(四つ葉五つ葉のクローバー)
その後、169号線の景行天皇陵まえの「まほろば」で昼食をいただき、
石上神宮を訪ねました。
今日は「でんでん祭」、「神剣渡御祭」ともいわれる夏越の祭です。
我々が神宮の末社である神田(こうだ)神社北の駐車場に着くと、
まだ12時半でしたが、神宮には縄で閉じられた「茅の輪」が見え、
ツーリスト社に案内された人も含め多くの人が神宮の境内に集まっていました。
境内では神鶏が数羽、砂利や土の上に寝ていました。
門から入って右側の鎧櫃の上には、お田植の早苗束が、竹籠とともに置かれて
います。
茅の輪の右手、ワタカという魚がいる鏡池のそばの休憩所の軒には茅の輪の
残りの萱束が積んであり、虫がきていました。
神剣渡御では石上神宮に古くから伝わる神剣(4世紀百済から贈られた七枝刀)
を行列で200メートル西の末社「神田神社」へ送ります。
夏越の神事は、1時ころから神宮拝殿で、行列後2時ころから神田神社でも
行なわれ、2時半頃から、神田神社で「お田植祭」が行われました。
我々は二手に別れ、一方は神宮での神事から行列について歩き、
他方の組は、神田神社の境内に斎竹で囲まれ、神剣(本物は国宝のため
レプリカ)を立てたお田植の田(盛土)のそばで行列と儀式を待ちました。
神宮から神社への行列は30人位で、錫杖を持った先導、太鼓、榊、
花つきの槍2本、早苗籠、早乙女3人、楽人(伶人:笛と笙)、櫃(神具?)、
弊つきの竿先に布で包まれた神剣、それぞれ赤と黄の旗と花つきの槍二本、
でした。
笛を吹きながら歩くので、楽人以降は遅れて、行列がとぎれたり、
道路を横切るのに車を止めたり、進行係は色々大変な様子でした。
神社での神事のあと、お祓い後、お田植祭が始まりました。
畦を鍬でならしたあと、若い牛役が、年老いた作男に、「早く歩け」など
言われながら、田をたがやします。途中、牛が早乙女に握手しました。
その後、早乙女が3人神剣の前に進み拝礼後、早苗を一茎ずつ土に挿す仕草の
あと、置いて行きました。
無事、お田植えが終わったあと、宮司の挨拶があり、参拝者らが、
残った苗を拾って帰りました。多く拾った人は他の人に苗を分けていました。
茅の輪編み余りし茅に虫きたる 常朝
行列の伶人遅る夏越祭 常朝
早乙女に牛握手してお田植祭 常朝
(石上神宮の茅の輪)
(石上神宮の拝殿)
(鎧櫃の上の早苗籠と太鼓)
(行列の出発前)
(神剣渡御行列)
(お田植祭の牛)
(お田植祭神事)
(神宮へ戻る早乙女)
その後169号線の勾田南の「さと」で小句会後解散しました。
運良く梅雨晴れ間になったので、大和の国中(くんなか)の夏越の祭に参拝、
楽しむことができました。
6月最後の梅雨晴れ間の、いつものメンバー6人で、 奈良・天理市の
夜都岐神社から石上神宮を訪ねました。
夜都岐神社(夜都伎:ヤトギ、あるいはヤツキ)は、天理市乙木地区の氏神
ですが武甕槌(たけみかづち)の神など6神を祀る本殿の前に、
古い藁屋根の拝殿があります。
我々が神社に着いた10時前は他に誰もいず、神社の池から牛蛙の鳴き声が
聞こえるだけでした。
説明板によると、乙木地区にあった2社を統合した神社で、
昔は奈良の春日神社の寺領だったためか縁が深いようです。
拝殿の藁屋根の左の一部はやや新しく、葺き直したようですが、
残りの屋根には苔が生えています。格子戸から覗くと、藁屋根の骨組みが見え、
数枚の奉額の一つの七福神を描いた布が垂れ下がっていました。
そのうち、5、6人の男女のハイカーがやってきて、しばらく拝殿などを
興味深かそうに見た後戻りました。
境内の蹲居(つくばい)にはボウフラが沢山元気に泳いでいました。
左手には古い井戸があり夏落ち葉が木蓋にかかっています。
北側の池の土手には、ワルナスビやシロツメグサ(クローバー)が
咲いて、よく見ると4つ葉や5つ葉のクローバーが数茎ありました。
神社の周囲の畑道には青い紫陽花が咲き、綿畑に綿が2尺位に育っていました。
神池の暗きに鳴けり牛蛙 常朝
ひとところ藁葺き新た青楓 常朝
(夜都岐神社:クリックで拡大:以後同じ)
(夜都岐神社説明板)
(拝殿の中)
(神社の池)
(四つ葉五つ葉のクローバー)
その後、169号線の景行天皇陵まえの「まほろば」で昼食をいただき、
石上神宮を訪ねました。
今日は「でんでん祭」、「神剣渡御祭」ともいわれる夏越の祭です。
我々が神宮の末社である神田(こうだ)神社北の駐車場に着くと、
まだ12時半でしたが、神宮には縄で閉じられた「茅の輪」が見え、
ツーリスト社に案内された人も含め多くの人が神宮の境内に集まっていました。
境内では神鶏が数羽、砂利や土の上に寝ていました。
門から入って右側の鎧櫃の上には、お田植の早苗束が、竹籠とともに置かれて
います。
茅の輪の右手、ワタカという魚がいる鏡池のそばの休憩所の軒には茅の輪の
残りの萱束が積んであり、虫がきていました。
神剣渡御では石上神宮に古くから伝わる神剣(4世紀百済から贈られた七枝刀)
を行列で200メートル西の末社「神田神社」へ送ります。
夏越の神事は、1時ころから神宮拝殿で、行列後2時ころから神田神社でも
行なわれ、2時半頃から、神田神社で「お田植祭」が行われました。
我々は二手に別れ、一方は神宮での神事から行列について歩き、
他方の組は、神田神社の境内に斎竹で囲まれ、神剣(本物は国宝のため
レプリカ)を立てたお田植の田(盛土)のそばで行列と儀式を待ちました。
神宮から神社への行列は30人位で、錫杖を持った先導、太鼓、榊、
花つきの槍2本、早苗籠、早乙女3人、楽人(伶人:笛と笙)、櫃(神具?)、
弊つきの竿先に布で包まれた神剣、それぞれ赤と黄の旗と花つきの槍二本、
でした。
笛を吹きながら歩くので、楽人以降は遅れて、行列がとぎれたり、
道路を横切るのに車を止めたり、進行係は色々大変な様子でした。
神社での神事のあと、お祓い後、お田植祭が始まりました。
畦を鍬でならしたあと、若い牛役が、年老いた作男に、「早く歩け」など
言われながら、田をたがやします。途中、牛が早乙女に握手しました。
その後、早乙女が3人神剣の前に進み拝礼後、早苗を一茎ずつ土に挿す仕草の
あと、置いて行きました。
無事、お田植えが終わったあと、宮司の挨拶があり、参拝者らが、
残った苗を拾って帰りました。多く拾った人は他の人に苗を分けていました。
茅の輪編み余りし茅に虫きたる 常朝
行列の伶人遅る夏越祭 常朝
早乙女に牛握手してお田植祭 常朝
(石上神宮の茅の輪)
(石上神宮の拝殿)
(鎧櫃の上の早苗籠と太鼓)
(行列の出発前)
(神剣渡御行列)
(お田植祭の牛)
(お田植祭神事)
(神宮へ戻る早乙女)
その後169号線の勾田南の「さと」で小句会後解散しました。
運良く梅雨晴れ間になったので、大和の国中(くんなか)の夏越の祭に参拝、
楽しむことができました。