「アカシア紀行・俳句」2008年2月15日(金)
2月の晴れて風の寒い日、妻、義兄姉らと奈良・龍田大社にお参りしました。
龍田大社は風の神を祀る神社で、毎年7月第一日曜の風鎮祭(ふうちんさい)の
手筒花火などで有名で、JR大和路線・三郷駅の北約500メートルほどにあります。
境内は広くて、拝殿の奥には本殿、摂社、末社が6、7棟もあり、
右手に緑の屋根の祈祷参集殿、左手には、白竜神社、恵比寿神社、稲荷神社
などがあります。
境内のあちこちに3月の厄除まいりの幟旗が立って、拝殿の前には
1週間ほど前に降った雪の塊が高さ50センチ位で残っていました。
また、拝殿前左には、祈祷殿の去年の大きな注連縄がとぐろを巻くように
置かれていました。
白竜神社の竜神に水を掛け、境内を巡ったあと、神様が降臨されたという
龍田山の御座峰の場所を社務所の女性にお聞きしましたが、
そこは神社から離れた飛び地にあり、現在の三室山の西、
雁多尾畑(かりんどばた)の東にあり、風鎮祭の翌日神官がお祭を
するとのことでした。
本殿そばには俳句の秋の季語の「龍田姫」もお祀りしてあるようですが、
拝殿奥に進むことはできませんでした。
その後、香芝市今泉の武烈天皇陵を訪ねました。
御陵はJR和歌山線の志都美(しずみ)駅の西約500メートルほどの
香芝市今泉地区にあります。
武烈天皇は、日本書紀には雄略天皇の4代あとの暴逆な天皇と描かれて
いますが、御陵はちょっとした山のような立派な御陵で、衛士小屋の
再築工事中でした。
我々は、御陵の右手から御陵の周囲の細い道を一周しました。
道には犬ふぐりや日本たんぽぽの花が咲いており、御陵は間伐されていました。
ほぼ半周したら広い道に出てさらに進むと、御陵東側の志都美(しずみ)神社に
着きました。
志都美神社は、聖徳太子が飢えた人に食べ物を与えられたという、
ここ片岡の地にある古い神社で、鳥居からの参道も長く、木々はうっそうと
しています。藤原氏の遠祖で、天照大神を岩戸からお招きしたという
天兒屋根命(あめのこやねのみこと)ほか数神をお祀りしているとあります。
拝殿も絵馬堂も古いのですが、氏子の人々が大切に守っているのでしょう。
絵馬堂の中に掃除道具などが積まれてやや物置の感がありましたが。
神社の森、社叢(しゃそう)には周囲2メートル以上のコジイの木などが
あり県の天然記念物らしいですが、木には近づくことはできません。
コレラが流行った明治12年、祈願して死者が一人も出なかったという
神徳を記した記念碑が本殿裏の石垣にありました。
道路脇の石燈籠のそばに三椏(みつまた)の花が咲いていました。
下ろされし注連とぐろ巻く春社 常朝
間伐をされし陵草萌ゆる 常朝
絵馬堂の南京錠に余寒風 常朝
(龍田大社)
(武烈天皇陵)
(志都美神社)
(志都美神社・コレラの碑)
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