「アカシア紀行・俳句」2008年2月22日(金)
2月の暖かい日、妻、妻の友人、義兄姉らと奈良・押熊王子旧跡、
常光寺などをを訪ねたあと、押熊王子らの敵でもあった神功皇后
(と宮内庁により指定・管理されている)の御陵を訪ね参拝しました。
神功皇后陵は、奈良市北部の佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群のひとつで、
押熊の南東約2キロにある、大きな全長275メートルもある前方後円墳です。
近鉄京都線の平城駅の北約500メートル位のところにり、佐紀盾列池上陵、
五社神古墳とも言うそうです。
今日は偶然、日本考古学協会が宮内庁から初めて認められた立入調査の日でした。
12時すぎに皇后陵の参拝所にいくと、20人以上のマスメデイア関係の人らが
集まり、調査団の到着を待っていました。
12時40分ころ、調査団の人たち10人位が到着したらすぐに、右翼らしい3人が
日の丸の旗を持って、立ち入り調査反対と声を上げ、調査団長に会わせろなどと
騒ぎましたが、そのうち、調査反対の声を上げながら参拝所を立ち去りました。
その後、団長らしき人が代表で、杉葉の桶の上で両手をすすぎ清めて、参拝所の
白砂の上の茣蓙で参拝したあと、宮内庁の担当者と調査団が、前方墓の
左側から、御陵にはいりました。
翌朝23日の朝日新聞によると、調査団は西谷正(九州大名誉教授、考古学
協会長)ら16人で、宮内庁との窓口は、高橋浩二富山大準教授だったそうです。
御陵の周辺部を1キロ歩いただけで、堀に外側の埴輪群を発見し、前方部は今より
大きかったようだとのことで、さすが専門家はちがうと感心しました。
今回発掘は許可されなかったとのことです。
我々は調査に参加できないので、調査開始後、私の自宅にあつまり、
闇汁会のあと、句会を楽しみました。
闇汁会は各自が鍋料理の材料を秘密のまま持ち寄り、部屋を真っ暗にして
鍋に材料を入れて食べる食事会で、誰が入れたのか、バナナや食べられない
バランや紙が入っていました。昔はわらじを入れたりしたらしいです。
ほぼ食べ終わって明かりをつけたら、自分が味わっていない物もあったので
食べ直しました。
皇后陵調査始まる木の芽晴 常朝
闇鍋の外は青空鳥声も 常朝
(註:闇汁の明かりをつけて食べなほす は
運河同人勝井良雄氏の 既発表の御句
闇汁会電気をつけて食ひ直す
の類想句だったので削除しました。2008年3月2日)
(神功皇后陵)
(神功皇后陵調査団)
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