「アカシア紀行・俳句」2009年4月28日(火)
連休前のさわやかな日、いつものメンバー7人で鳥羽の答志島に行きました。
近鉄八木駅で集合し特急で鳥羽まで約1時間半の列車の旅です。
答志島は鳥羽から2キロくらいの離島ですが、定期船で40分くらいで、和具港、
答志港、桃取港などへ行けます。
島は東西6キロ、南北2キロくらいで、中世では九鬼水軍の根拠地だったようです。
今は人口2700人くらいとのこと。
我々は11時前に鳥羽に着き、11時半の定期船に乗船しました。
和具港周辺には九鬼水軍の嘉隆の墓などあるようですが、海女小屋などを
見たいので終着の答志港で下船しました。
まず港町の路地にある、ロンク食堂でいきのよい、刺身定食をいただき、
浜に戻りました。
港の北側と南側には漁船の船溜りがあり、青葉の岬を鳶(とび)が舞っていました。
あちこちで蛸壺を干しています。
浜には海女小屋があり、7~8人のお年寄りの海女さん達が、海から上がってきた
ところでした。(海女小屋といっても丈夫なシートをパイプで張った簡単な造りです)
めかぶ(若布の根株)、うに、さざえなどを潜って採るとのことで、小屋の中の
炭火でめかぶを焼いていました。
外には若布干し場があり、張った数本のロープに、洗濯ばさみの親分のような
はさみで、若布を沢山吊って干していました。
干している男の人に聞くと、天日干しでないとおいしい若布にならないとのことです。
色々聞いていたらしまいに若布を沢山いただきました。
また女の人が浜のコンクリートの上に芽鹿尾菜(メヒジキ)を並べて干していました。
その後、魚市場(せりは終っていましたが)に行き、沢山並んでいる大きな生簀
などを見ました。 ここでは生きたままの魚を競るそうです。
しばらく帰港する海女船やくらげなどをみて、浜の南にある岬(八幡鼻)の
八幡神社にお参りしました。
岬へは赤い橋を渡り、神社へは石段を50段以上登ります。
橋を渡ったすぐ右に歌碑があります。
歌碑には、万葉集巻1-41、柿本人麻呂の
釧(くしろ)著(つ)く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
の歌が刻まれていました。
くしろは昔の腕飾り(ブレスレット)だそうで、「くしろ著く」は答志(手節)の枕詞
だそうです。
このとき人麻呂は、持統天皇らが答志島で風光を楽しんでいるとき飛鳥の都で
留守番をしていたとのこと。
すでに持統天皇の頃から観光(?)と若布などの海の幸に恵まれたところだった
ようです。
4時の定期船で鳥羽に戻り、6時前発の特急電車内で小句会の後八木駅で解散しました。
漁師町の路地に明るき柿若葉 常朝
鹿尾菜(ひじき)干すコンクリートに膝つけて 常朝
玄関に蛸壺飾る島の宿 常朝
(答志島:写真はすべてクリックで拡大)
(答志島案内図)
(海女小屋)
(若布干し場)
(弁天鼻への八幡橋)
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