「アカシア紀行・俳句」2011年2月3日(木)
久しぶりに快晴で暖かくなった節分の日、いつものメンバー6人で
信貴山の節分会などに参拝しました。
信貴山の節分会は夕方なので、午後3時に竜田大社で集合しましたが、
たまたま、竜田大社でも節分祭だったのでしばらく参拝しました。
境内には1.5メートル四方くらいの大きな護摩壇があり、100人くらいの人が境内
の護摩の前に行列してそれぞれ玉串をささげていました。
竜田大社は7月の風鎮祭という風祭で有名ですが、拝殿右には高橋虫麻呂の
「山おろしの風な吹きそな 打ち越えて名に負へる杜に 風祭せな」
の万葉歌碑(万葉集1751)があります。
玉串奉奠(ほうてん)が終わると、神官が本殿で斎火(いみび)を点火し、
蔭灯(かげとう)に入れて、護摩壇まで捧げ来て、別の神官が護摩に点火しました。
斎火は火打石で点火したとのことですが、巫女の舞や護摩に気をとられて
見落としました。
太鼓と般若心経の声の中、護摩の煙はもうもうと立ちあがり、そのうち炎が斎竹
(いみだけ)を超えるほど高く燃えました。
参拝を終え、火が下火になった頃、拝殿の前で餅まきがあり、5,6人の男女
が100人位の人々の上に紅白の餅を撒きました。
我々も餅を数個ずつ拾うことができました。
甘酒をいただいた後、若い神官に斎火のことなどをお聞きしたあと、
信貴山に向かいました。
餅まきの終わった大社の駐車場は早くもがらすきでした。
護摩の火の斎竹越せり節分会 常朝
風祭る竜田の杜に春立てり 常朝
(竜田大社節分祭の護摩:クリックで拡大:以下すべて)
(燃えた護摩壇)
信貴山の寺は朝護孫子寺といい、聖徳太子が蘇我氏と共に物部守屋を討った
とき、寅の年、日、時にこの山で毘沙門天が現れ加護があったので建立された
とされ、境内のあちこちに虎の像があります。
お寺のある信貴山は生駒山系の南にある高さ430メートル程の山ですが、
お寺へは奈良側からは近鉄信貴山下駅、大阪側からは、近鉄信貴山口から
タクシーやケーブルがあります。
車では、国道25号線の三室から西へ県道236号線を約5キロです。
我々は駐車場で500円を払って、奥の駐車場まで行きました。
山中には、本坊のほか、千手院、毘沙門堂、成福院、玉蔵院など多くの塔頭が
ありますが、大寅の像のある赤門から樹齢1500年のかやの木稲荷、成福院、
虚空蔵堂、経蔵堂をへて、本堂に登りました。
経蔵堂には回転する経厨子がありますが、子供たちが回そうと押しても動かず、
父親も入り一家総出でやっと回りました。
本堂の前は狭いながらも高い舞台で、王寺町の街並みなどを見下ろせます。
本堂の中に入って青シートの上に座って待っていると、5時過ぎからの法要が
始まり、10人くらいの僧が太鼓と共に般若心経や観音経を上げました。
その後、豆袋を持った烏帽子狩衣姿の人が数人本堂内に入ると、本堂前の賽銭箱
を乗り越えて、青鬼、赤鬼が3、4人(?)本堂内に乱入しました。
100人位の参拝者がいる狭い本堂内で、鬼たちに向かって、烏帽子組が豆を
打ち、大騒ぎとなりました。
私は豆を拾うのに気をとられて鬼たちの動作をよく見ませんでしたが、そのうち
毘沙門天が現れ、鬼達を本堂から追い出しました。
そのあと、お福さまという吉祥天が現れ、競って手を出す人々に福豆を配りました。
大騒ぎが終わった後、本堂の外の篝火のそばで毘沙門天やお福さまと記念写真を
撮る人たちもいました。
山上の塔に陽光春立てり 常朝
賽銭箱超えて鬼来し節分会 常朝
本堂の鬼ともみ合ひ鬼やらひ 常朝
(信貴山の大寅:クリックで拡大:以下すべて)
(本堂への石段)
(本堂の舞台より)
(お福さま:吉祥天)
(毘沙門天と赤鬼)
6時すぎ、車で25号線に戻り、「さと」で夕食と小句会後8時半頃解散しました。
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