「アカシア紀行・俳句」2011年7月6日(水)
梅雨晴れ間の最高気温33度の日、涼しさを狙って、
いつもより少ない4人で、奈良・東吉野村の天好園、七滝八壺から
隠れ里のような日裏を訪ねました。
東吉野の天好園は、国道166の榛原街道を榛原から南下、鷲家から
伊勢街道166号線を東へ4キロの木津(こつ)の松本大橋で左折、3キロほど
北上した「たかすみ温泉」の北側にある料理旅館です。
ここは俳句結社「運河」の人々が吟行・記念会などでよく利用しており、
日野草城、右城暮石、茨木和生などの句碑があります。
また、大山蓮華、ハンカチの木、なんじゃもんじゃの木など珍しい樹や草花が
多く植えられています。
暮石先生の句碑の左の夏椿は白い花がいくつか散っていました。
我々は10時半頃着きましたが、しばらく渓流の音と青葉に包まれて庭園を
散歩したのち昼食をいただき、涼しい時間を過ごしました。
夏椿句碑の上より風来たる 常朝
女将指す大山蓮華終わりしと 常朝
(天好園:クリックで拡大:以下すべて)
(右城暮石句碑:鷹舞へり青嶺に隠れ現れて)
そのあと、前登志夫の「朴の花」の歌碑のある、新木津トンネルの東側から、
右へ入り、山道の221号線を南下して、丹生川上神社中社を訪ね、
茨木和生先生の新句碑「こつぽりの子が衝羽根の實を拾ふ」を拝見しました。
そばには衝羽根の樹と百合のつぼみがありました。
夏祓えの茅の輪が残されていたので、くぐった後、220号線を約6キロ東の
「七滝八壺」を訪ねました。
夏祓過ぎたる茅の輪くぐりけり 常朝
(丹生川上神社中社)
(茨木和生先生句碑:こつぽりの子が衝羽根の實を拾ふ)
七滝八壺は2006年にも訪ね、ナナフシなどをみたのですが、
何故かアカシア紀行には記入もれでした。
狭い谷道に駐車して、鉄製の吊り橋を渡るとすぐ7番目の滝のしぶきがかかる
程の瀧壺が見えます。
外人を含む男性3人がランニング姿で滝にきて、あっと言う間に滝道を登り降り
して、谷道を下っていきました。キャンプ場にきている人達のようです。
急な坂を鎖を持って登ると、頂上から4つの滝を見上げることができます。
瀧水が連れてきた山の空気が風となり、瀧壺に立つと風圧を感じるほどでした。
吊橋の下にはお歯黒トンボが数匹ゆっくり飛んでいます。
吊橋の脇には「クマシデ」の木がホップのような白緑の花を提げていました。
今回は木製の橋が鉄製の吊橋になっていたためか、ナナフシも尺取虫も見え
ませんでした。
滝下に風圧受けてしぶき受く 常朝
吊橋の下をはなれず川蜻蛉 常朝
(七滝八壺)
(七滝八壺の上の滝)
221号線の谷道を西へ戻って、キャンプ場のそばから、北へ山道を5キロほど
登ると、日裏地区です。
ここは、もとは10軒位の山中の集落ですが、いまは、常時は3軒しか住んで
いないようです。
集落の手前に産土神でしょう「天一神社」が道の右側にあったので、駐車して
参拝、散策しました。
狭い境内に大きな杉が2本あり、小さな社ながら大切に管理されているようです。
このどちらかの杉の下で、昔赤ちゃんが生まれたので、安産の神としても
お参りされているとのことです。
男性一人が山歩きの途中で、神社に立ち寄りすこし話をしました。
こんな神社があるのは知らなかったとのことです。
小さな御手洗は引いた谷水を流しっぱなしで溢れていました。
社殿の手前右手の屋根付きの塀に「ミヤマクワガタ」が一匹いました。
また道路の谷側の崖に70センチくらいのよく肥えた蛇がいて崖の隙間に隠れました。
御手洗にあふるる谷水蛾の寄れり 常朝
安産の神の社に蛇肥えて 常朝
(天一神社:榊にとまる鶏:クリックで拡大:以下すべて)
(天一神社の大杉)
集落への道は狭く、やっと小型車が通れるほどの崖道で、行止りの集会所の
庭に駐車させてもらいまいた。
ここは以前は小学校の分校だったようですが、廃校後集会所になったようです。
ガラス戸越しに見ると教室はひとつだけの小さな学校跡で、玄関左に小さな鐘が
掛り、裏には朴の木が青葉を茂らせていました。
砂利を敷いた庭には園芸種らしい菫があちこち咲いています。
桜の木は黒紫の実がついていました。
集落は山のほぼ頂上にありますが、裏側はまだ急な山で、表側も急な谷で、
山々が迫っていました。
廃校の鐘見てをればほととぎす 常朝
桜の実苦味は大人の味なると 常朝
(日裏集会所・旧分校)
(日裏の廃屋)
しばらく涼しい山の空気を味わってから、下界へ降り、166号線の宇陀の道の駅
「宇陀路大宇陀」でケーキセットなどいただいて5時頃解散しました。
帰り道は梅雨の雨に戻っていました。
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