「アカシア紀行・俳句」2015年1月31日(土) 前へ 次へ
1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。
10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。
神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。
素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。
石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。
宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。
鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。
風花や杜の大樫見上ぐれば 常朝
行事表貼り替ふ宮司春近し 常朝
(素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
(舞殿)
(説明板)
(行事表)
(賽の神)
その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。
風冴ゆる分水堰に水あらず 常朝
三面に割木積む小屋日足伸ぶ 常朝
(分水筒)
(池と畑小屋)
分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。
ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。
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