「アカシア紀行・俳句」2016年1月7日(木) 前へ 次へ
雨模様の正月七草の日、いつものメンバー6人で、
奈良・富雄の霊山寺などを訪ねました。
霊山寺は、奈良時代聖武天皇の勅命で行基菩薩が建立したと伝わる、
法相宗、真言宗兼学の寺ですが、もとは遣隋使小野妹子の子小野富人が
開いた薬草の湯屋から始まったとされています。
10時前寺の駐車場に集合して、冬薔薇の咲くバラ園を少し覗いたあと、
谷に沿った境内の坂道を登ると、すぐに行基菩薩の像があり、
鏡餅と梅の花もまじえて種々の花が供えてありました。
鏡餅の橙が下の泉水に落ちていたので元に戻して、本堂へ登りました。
本堂の中へ入ると、正面に阿弥陀三尊の掛仏があり、左には
阿弥陀如来と菩提僊那像がありました。
その後、弁天堂に入り、5、60人の人々とともに、初弁天の法要に参列しました。
8人の僧に唱和してほとんどの人々が観音経や般若心経などを唱えました。
法要は11時から約45分間で終わり、その後、一人の僧が宝銭を沢山つけた笹を振って
人々に宝銭を撒きました。 拾えなかった人にはお盆に載せた宝銭を配っていました。
我々は弁天講のメンバーでないのですが、一般にもお雑煮の接待があると
聞いたので、別の天龍閣に移動してお雑煮をいただきました。
天龍閣を出る時、同時に出た男性が空を見上げてくれたので、
メンバーが忘れそうになった傘立の傘を思い出しました。
これも弁天様のご利益と喜びました。
大寺の薄日の中の冬薔薇 常朝
扇雀飴も供物のひとつ初弁天 常朝
笹枝より飛び来し宝銭初弁天 常朝
(行基菩薩像:クリックで拡大:以下同じ)
(霊山寺本堂)
(弁天堂)
(初弁天法要)
(宝銭撒き)
その後、富雄の添神社(添御縣坐神社)を訪ねました。
(奈良にはもう一つの添神社が歌姫にあります)
神社のすぐ下に根聖院というお寺があり、境内にある岩の臼を拝見しました。
このあたりの地名「三碓(みつがらす)」の由来だそうで、
長さ1メートル以上の岩に3つの臼穴があり、聖武天皇がこの辺りにこられたおり、
見られて三碓(3つの唐臼:みつがらす)という地名をつけられたとのこと。
境内のツツジの返り花の咲く石段を登ると添神社(添御縣坐神社)で、
境内摂社の恵比寿神社に2月3日の戎祭の旗が立っており、
本殿には前売り券の掲示がありました。
坂を登ると龍王池がありますが、今回は登らずに戻りました。
縣社の前売り券売る初戎 常朝
龍王の池に登らず初詣 常朝
(根聖院)
(三碓の石臼)
(添御縣坐神社)
その後、奈良の自宅で小句会を楽しみ、夕方解散しました。
午後は青空も見え、お雑煮もいただいた正月らしい初吟行でした。
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