「アカシア紀行・俳句」2015年12月9日(水) 前へ 次へ
師走上旬の暖かい快晴の日、いつものメンバー6人で、
久しぶりに東吉野の石鼎庵などを訪ねました。
宇陀市拾生(ひろお)の道の駅大宇陀で集合し、鷲家口から高見川に沿って走り、
小(おむら)入口の畑や草地に霜が降りていたので、駐車して霜や冬の川などを見ました。
そばの廃屋に新聞受けを15軒分まとめた大きな板や、崖崩れ危険の表示板があり、
川の向こう岸には冬紅葉がまだきれいな紅色を映していました。
新聞受け十五軒分霜の村 常朝
高見川岩に映えゐる冬紅葉 常朝
(高見川:クリックで拡大:以下同じ)
その後「小」(おむら)集落に入り、四辻になっている左の道を北へ登って、
今は民俗資料館になっている小学校廃校跡の校庭に駐車しました。
すぐ東側が石鼎庵で、その東に天照寺の藁葺の薬師堂があります。
周囲の庭や宇多喜代子の句碑などを拝見し、
鍵の掛っていない戸を開けて中に入り、句額や石鼎の写真、着物などを
拝見しました。俳人「原石鼎」は島根出身ですが26才の頃ここに滞在した頃から、
虚子のホトトギスで活躍、多くの名句を残しました。
前の庭を見ていると、地元の70才位の男性がこられて、色々説明をしてくれました。
その方は鍵を持って建物を管理されており、見学者がありそうな日は鍵を開けて
おられるそうです。
日当たりの良い縁側の前の庭に足跡が沢山あるので聞くと、鹿の足跡だそうで、
先日奥様が家で干していた大根の葉も全部鹿に食べられたそうです。
そのあと、その方の案内で、小学校跡の民俗資料館を見学しました。
小学校は廃校後昭和58年以後資料館として利用されているようですが、
その割には建物はしっかり保存されているようです。
図書室には数百冊以上の句集がありました。
資料館は2階に4教室分あり、昭和初期の家具や農機具の他に、植林の仕事の説明図や
山仕事の道具、材木の刻印用のコテや、いかだの模型まで展示されています。
正月8日に二本の棒を叩く祈祷「おこない」行事の写真もありました。
庭砂に鹿の足跡石鼎庵 常朝
半天の下まで冬日石鼎庵 常朝
(資料館-廃校跡)
(石鼎庵)
(のれん: 鮎の背に一抹の朱のあるごとし 石鼎)
(原石鼎説明額:クリックで拡大:以下同じ)
(民俗資料館の一室)
その後、石鼎の句碑があると教えられて、少し東の神社を訪ねました。
神社の名を聞かなかったので、別の神社かと思っていたら、
以前2,3度訪ねた丹生川上神社中社でした。
それでも茨木和生先生の「こっぽりの」の句碑や、石鼎の
「頂上や殊に野菊の吹かれをり」の句碑をみて、記憶を新たにしました。
石鼎の句碑は苔が覆っていて説明板がないと読めない程でした。
つくばねの木も一つだけ羽二つ付いた実を残してくれていました。
深吉野の雲は動かず石鼎忌 常朝
風の詩の句碑に苔むす石鼎忌 常朝
(丹生川上神社中社)
(茨木和生先生の句碑: こつぽりの子が衝羽根の実を拾ふ)
(石鼎句碑:頂上や殊に野菊の吹かれ居り)
社務所に誰もいない神社を後にして、東吉野村役場の前で
女性に教えてもらった鷲家口のレストラン「あしびき」で昼食後、
宇陀に戻り、大宇陀小学校北の葛味庵で葛湯をいただきながら、
小句会を楽しみました。
石鼎庵訪ねしあとの葛湯かな 常朝
ふうと吹けばとろうりしずく葛湯かな 常朝
(葛味庵)
一日中冬とは思えない日差のなか、東吉野の俳人の住居跡、
神々しい神社の庭などとともに、暖かい葛湯を楽しめた一日でした。
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