2016年2月7日日曜日

229. 奈良・登弥神社の粥占

「アカシア紀行・俳句」2016年2月1日(木)    前へ    次へ

  先月末から比べて やや寒くなった立春前の曇り空の日、 大和郡山市石木町の
登弥神社(とみじんじゃ)の粥占(かゆうら)を訪ねました。

 登弥神社は、物部氏の始祖と言われる ニギハヤヒのミコト(饒速日尊)をはじめ、
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と誉田別命(ほむだわけのみこと)ほかを祀る古い神社です。

  神社に着いた6時半頃、まだ境内は暗かったですが、すでに30~40人位の人が集まり
神官と数人が境内の焚き火にあたっていました。 筒粥祭と書いた旗が数本立てられ、
境内の左側には 大きな釜を3~4人の女性が囲み、小豆粥が炊かれていました。 

 拝殿には祭壇が組まれて、中央に占いの竹の束(筒竹)と、さまざまなお供え物が置かれています。
竹は長さ20センチ位で、37本が束ねられており、中にはすでに5時頃から釜で炊かれた
小豆粥が入っています。

 粥占は、炊かれている小豆粥の中に筒竹を入れて、その中に入る米や小豆の量で、
農作物の豊凶を占うようです。一本ずつ農作物に対応していますが、筒には農作物の名前が
記入されず、束の竹の順番で決まっているようです。

 7時、宮司を含め5人の神官と、郡山市長はじめこの地域の農業関係者15人の参列者が
拝殿に上がり、太鼓の音と共に神事が始まりました。

 その頃には境内はほの明るくなってきましたが、少し雨がぱらつきすぐ止みました。
祝詞のあと参列者それぞれが玉串奉奠(たまぐしほうてん)をして、約20分位で神事が終わり、
拝殿に長い机が置かれて、占いの竹を切り割って、それぞれの農作物の豊凶を占いました。
占いの吉凶は竹の中の粥と小豆の量によるようです。

 神官の一人が竹束から一本ずつ竹を渡し、別の神官が細長い包丁で割って占いをし、
コシヒカリ「下(げ)」などと読み上げ、書記担当の神官が記入していきます。
占いの豊凶に関係なく淡々と結果が読み上げれている中、書記は時々脇の火鉢に手を
かざしていました。

 20分位で農作物に対応する37本の竹が割られて占いが終わり、
結果が拝殿の右に掲示された紙に記入されました。

 その後、参加者全員に釜の小豆粥がふるまわれました。
行列の最後の方にならび小豆粥をいただきましたが、見かけより量が多く、寒い身体が
温まりました。 運転担当の妻にすすめられ笹酒のお神酒もいただきました。
焚き火で温めた1.5メートル程の青竹4,5本に入れたお神酒を、直径3センチほどの竹の杯
でいただきました。

 その後、焚き火にあたって毎年参加されているらしい参列者の男性、女性と話しました。
神社北東の新県立病院など周囲が大きく開発され、年々自然が減っていくのが気がかりで、
子供達にも自然も行事も残したいといった話でした。


       参道に夜明けの光粥占す      常朝

       粥占の竹音立てて割られけり    常朝

       粥占の平気な声で出来は下と   常朝

         (登弥神社拝殿:クリックで拡大:以下同じ)
          (祭壇の筒竹)
         (明るくなった境内)
         (筒竹を割る神官)
         (割られた占いの筒竹)
         (小豆粥のふるまい)
         (粥占の結果表)
         (粥占の説明板)

 神社の西に占い用の竹藪がありますが、やや寒いので今回は見ずに帰宅しました。
テレビなどでは時々粥占を見ますが、本物を見るのは始めてで、
とても科学的とは思えない占いですが、昔の人々の神仏に頼る気持も想像できました。
また数百年もこの行事を続ける地元の人々の努力にも感銘を受けました。

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