2017年1月11日水曜日

246. 奈良・大和神社の弓始

「アカシア紀行・俳句」2017年1月4日(水)    前へ   次へ

  お正月の曇りにしては暖かい4日、いつものメンバーの都合のつく3人で
奈良・天理市の大和神社(おおやまとじんじゃ)の弓始を訪ねました。

 大和神社の弓始は以前にも見学しましたが、(アカシア紀行4)
今回は初めて中学生の射手や外人の射手を見ました。

 12時過ぎ、たまたま空いた参道入り口の駐車場に駐車し、100メートルほどの並木の参道を
西へ歩き、境内の焚き火のそばに着きました。
焚き火のそばで6、7人の女性と男性が炭火で餅を焼き、ぜんざいを参拝者にふるまっていました。

 我々も、ぜんざいをいただき、順序が逆のようですが、焚き火で温まってから、
本殿に参拝しました。
本殿の手前左手(南側)に、以前にはなかった「戦艦大和展示室」があり、
中に入ると、10坪位の広さで、1.5メートル位の戦艦大和の模型が二台と小さい模型が数台、
艦長などの軍人たちの写真も展示されていました。
もちろん、戦艦大和には大和神社の摂社が祀られていたためです。

         (大和神社参道:クリックで拡大、以下同じ)       
         (戦艦大和展示室)
         (戦艦大和模型)
         (ぜんざいを振舞う人々)

 外で、神社の絵馬や説明板などを見ていたら、参道の北側を、鎌倉時代の装束で着飾った
射手達2、30人の行列が、本殿に入り、弓始の神事が始まりました。
行列には、中学生の男女の射手、外人男性1人を含む男女の弓道連盟の射手がそれぞれ
10人ずついました。中学生は袴姿、大人の男性は烏帽子と直垂(ひたたれ)、
女性は烏帽子と水干(すいかん)の美しい衣装です。

 我々は弓場の見やすい場所に居たので、神事の様子は見えませんが、
2、30分ほどの神事のあと、全員が弓場に出て、弓場の西側に威儀を正して座りました。
弓場の周囲には50~60人位の人が集まり見学していました。
中学生の射手にひ孫がいるので見に来たというおばあさんもいました。

 マイクで弓始の開始が宣言され、弓始の儀式が始まりました。
まず、宮司が弓場に出て、2メートル四方の的布に向かって鏑矢(かぶらや)を射ました。
鏑矢は低い音で飛びましたが、マイクの説明によると、周囲の邪鬼を払うためだそうです。

       大絵馬の鶏の目強し弓始     常朝

       樹々高く鷺飛ぶ杜に弓始     常朝


         (射手の行列)       
         (中学生の行列)
         (弓の的の布)
         (居並んだ射手)

 その後神社役員の方2名の射弓のあと、青幕の前に丸い的を描いた布が貼られ、
中学生(天理南中学の弓道部員)と弓道連盟の射手による弓始が始まりました。
まず男子中学生2人ずつ横に並び、的に向かって右から順次弓を放ち、2人が終わるとまた
右から射弓を順次行います。続いて女子中学生の射弓がありました。
男女とも、1人は的のまん中の円を見事に射抜きました。

 続いて弓道連盟の女性の5名、男性の5名の射弓がありました。
5人ずつ横に並び、それぞれ順次に2回、弓を射ましたが、マイクの説明によると、
小笠原流の百手式(ももてしき)の作法によるそうです。
これも作法でしょうが、男性5名の最後の射弓は、全員わざと的を外しました。
ハンサムな外人男性の射手も堂々としていました。

 その後、射手は脱いだ手袋、地面に置いた扇子と白紙を懐に入れて、ゆっくり退場しました。
我々もその後、境内を少し拝見して、3時頃奈良へ向かいました。


       女射手は紅の水干弓始      常朝

       手袋を外すまで見し弓始     常朝

         (中学生の射弓)
         (女性の射弓)
         (男性の射弓)

 穏やかな天候のもと、由緒ある神社で古式豊かな弓始の儀式を拝見し、
新年を迎えて心が引き締まるような、正月の一日でした。
日本弓道とともに、西洋の弓道(アーチェリー)も中世の服装で奉納したら
もっと面白いかもしれません。

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