「アカシア紀行・俳句」2018年4月4日(水) 前へ 次へ
4月初旬の最高気温24度の暑いくらいの日、四條畷市の田原城跡を訪ねました。
田原城は、戦国時代河内の国と大和の国の境界に近い田原庄の田原対馬守が築城し、
後に三好長慶の飯盛山城の支城となった山城で、四條畷市北谷公園の東、約300メートルにあります。
田原城跡への入口は2ヶ所あり、私は四條畷市住吉神社から西へ月泉寺の前の道を川沿いに西へ行き、
城跡の北側から、左の山の上に田原城跡と大きな看板のある森への狭い橋を南へ渡り、案内版に沿って城跡へ登りました。
もう一つは月泉寺の南150メートル程へ南下する道から右折れして、南側の家の脇から山へ登る道があります。
南北どちらも広い道には、案内板などないので、多少わかりにくいかもしれません。
城跡は30メートル四方位の広場があり、南側には古びた小さな神社・住吉神社があり、覆屋は瓦葺きですが左右に斜めの支柱があります。
北側と東側は見晴らしが良く、北には介護センターや月泉寺、東には川と田園が見えます。
北側の矢の石の説明板には、ここから殿様が下の石を的に弓の矢を練習をしたとあります。
神社に参拝してから城跡を少し歩きましたが、石垣や堀のあとなどは見えず、
広場には桜の花びらと桧の実が、きれいに散らばっていました。
城跡を降りる時は、南側の坂を降りましたが、途中の坂道には説明板2つと矢印の案内板があります。城主はキリシタンだったとあります。
道路へ降りてから北側に戻り、矢の石のあるお家まで行き、門の外から庭にある矢の石を拝見しました。左右2メートル、高さ1.5メートルほどの大きな石で、そばには椿が咲いていました。
城跡の神社古びて春落葉 常朝
殿練習の的とせし石落椿 常朝
(田原城跡の看板:クリックで拡大、以下同じ)
(城跡の住吉神社)
(田原城跡の碑)
(田原城跡碑の裏側)
(田原城跡)
(矢の石の説明板)
(南の坂の説明板1)
(南の坂の説明板2)
(南の坂の登り口)
(矢の石のある家)
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