「アカシア紀行・俳句」2018年6月30日(土) 前へ 次へ
梅雨空の6月末、奈良・田原本町・村屋神社の夏越(なごし)の大祓式(夏祓)に参列しました。
村屋神社は4年前秋祭に訪ねましたが、説明板によると彌富津比売(みふつひめ)神社といい、日本書紀の天武天皇元年(672)の項に、壬申の乱に「村屋神、祝に着りて曰く・・と」天武天皇方に味方したとあるように奈良時代前からあった古い神社です。
(巻28には「村屋神、祝(神官)に神懸かりして、今吾が社の中道より軍衆至らむ・・」とあります)(参照:アカシア紀行199)
3時半前に神社の南側の駐車場(3台分)に駐車し、境内に入ると、すでに結界の忌竹、茅の輪が立てられていましたが、まだ人は数人しかいなくて屋台ひとつリサイクルの食器などを売っているだけでした。店主の主婦の男の子が、1枚おまけだよ、と元気な声をだしていました。
あとで調べたら駐車場(20台位)とトイレは神社のすぐ東の初瀬川(大和川)の西岸にありました。
(村屋神社:クリックで拡大、以下同じ)
(リサイクルの屋台)
(社務所)
(神社の説明板)
しばらく境内や南側の梅畑などを見て戻ると,30人位の人が集まり、神主、神官がお祓いの茅束、お供えなどを祭壇に準備していました。
4時前に祝詞があり、4時から神官、町内の役員、参列者が順に茅の輪を本殿の方向にくぐりました。遅れてきた2,3組の親子連れも茅の輪くぐりを終えた頃、神主の祓えの祝詞がありました。その頃には参列者はカメラマンも含め50人位になりました。
祝詞の途中、遠くで雷の音がしました。
祝詞が終ったのち神官が紙の人形(ひとがた)を参列者に配りました。神主の指示の通り、人形に3度息を吹きかけて、神官の箱に入れなした。
1才位の男の子を背負った母が、人形を男の子の口に寄せて息を掛けさせていました。
その後、神官が紙の幣をつけた茅を一本ずつ参列者に配った後、神主の指示のように、その茅で各自が自身を払い、3たび配られた1.5センチ四方の切り幣(ぬさ)を、各自、左からと右から自分かけて自身を祓いました。
切幣は50枚位を同じ幅の紙で丁寧に包んでありました。
(人:ひとがた)
(幣つきの茅を配る神官)
夏祓の祝詞に応へ日雷 常朝
人形に嬰も息かけ夏祓 常朝
すべての祓えの神事が終わった後、神官は結界の縄(恵方の南南東)と茅の輪の縄をカッターで切り、子供たちに茅の輪を初瀬川(大和川)まで運ばせました。
(茅の輪を運ぶ子供たち)
(茅の輪を落とす子供たち)
(流れ行く茅の輪)
夏祓終へ結界の恵方切る 常朝
茅の輪流る初瀬の川の夕風に 常朝
橋の上から茅の輪、茅束、紙幣などを川に落とすと、それらは、夕方の大和の景色の中をゆっくりと流れて行きました。昔遣隋使などの船が大阪湾から飛鳥の方へ通った川と思えば、また趣きがありました。
数百年も続いているだろう夏越の神事は、梅雨雲の下、大和国中(くんなか)の川ほとりで無事終りました。
少しむせる感じはありましたが梅雨雲のおかげで暑すぎず、のんびりとした集落の夏祭を経験できました。
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