「アカシア紀行・俳句」2012年11月10日(土) 前へ 次へ
立冬すぎた好天の日、いつものメンバー6人で
五条市金剛寺から和歌山県かつらぎ町の串柿の里を訪ねました。
五条市栄山寺ちかくのレストラン「よしの川」で9:30集合し、
24号線を南下、大川橋を渡って左(東)600メートルほどの金剛寺を
参拝しました。
ここは約800年前平清盛の長男で若くして世を去った重盛公が建てたと
される今は真言宗の寺で、本尊薬師如来を菊の花でお祀りする
菊薬師で有名です。
菊の香りがする山門をくぐり、入山料300円を納めて萱葺きの本堂に
入ると、広い部屋の左側が枯山水の庭で、色とりどりの小菊の懸崖鉢が
沢山並べられ、右手には祭壇がありました。
10月25日から11月8日まで、本堂の薬師如来の右手から紐を祭壇近くまで
伸ばして僧侶が法要(悔過法要)をしたそうです。
庭の菊を拝見していると、大黒さま(住職の奥様)のお母様が
こられて色々話をしてくれました。
平安時代このあたりは平家の所領で、熊野詣での折の宿泊所をかねて
寺を建てたようで、戦前まで寺領も6町歩あったが
農地開放で、学校に貸与していた2反ほどを残して土地はなくなったようです。
その2反を住職と協力して牡丹園にしたそうです。
薬師如来をお参り後、菊薬師、菊枕、菊酒の由来となった中国の菊慈童
(菊の薬効で700年も生きた)の絵を描いた屏風や菊枕を拝見しました。
今は菊酒は安全のためお寺で作っていないとのこと。
またこの寺は唐招提寺の長老が住まれたそうです。
菊薬師野菊も鉢に飾られて 常朝
菊慈童の屏風も飾り菊の寺 常朝
大黒の長き話を菊の寺 常朝
(金剛寺)
(金剛寺山門)
(金剛寺説明板)
(小菊の懸崖)
(青い菊)
(薬師如来)
(菊慈童の屏風)
(菊枕)
(白檀の実)
お寺を辞してから、吉野川(紀ノ川)の大川橋南詰から鮎の簗場跡を
訪ねました。
今は簗場は撤去されていますが、簗場用の木材や竹が置かれていました。
また橋桁の裏側にはイワツバメが沢山巣を作り、数十羽が橋の周囲を
せわしなく飛んでいました。
岩燕簗場跡飛ぶ冬の川 常朝
石原に黄菊咲きたる簗場跡 常朝
(吉野川大川橋の簗場跡)
(大川橋の岩燕の巣)
その後、「よしの川」で昼食をいただき、和歌山県かつらぎ町の
串柿の里を訪ねました。
24号線を南下、穴伏交差点を右折、480号線を10キロほど北上して、
山上の四郷地区に入ると、急な坂のガードレールの上などに
長い干し台(屋根つき)が沢山あり、串柿が何万と吊られていました。
正月飾り用の10個(あるいは5個)の柿の串が水平に一つの吊り縄に縦に
10列ほどずつすだれのように並んで吊られています。
柿の皮は漬物に入れるとおいしいそうで、柿皮も吊り干しされています。
上の家の前ではつるし柿、餅のようなあんぽ柿、金山寺味噌などを
売っています。
左手の作業場には柿皮剥きの機械などが置かれ、
柿に挿す串を木の箱や塗料缶などに沢山立てられていました。
そのうちご主人が作業場に坐り、直径5センチほどの剥いた柿を
串に挿し始めました。
奥様は紐縒り用の機械を使って柿の串をすだれ状にしていました。
ご主人は、退職金を皆奥様に取られて、
今は朝5時から夜11時頃まで串柿を作るだけと笑っていました。
串柿用の柿は四つ溝柿(よつみぞ)というそうです。
2時すぎお土産に蜜柑をいただいて五条市に戻り、野原地区・
五条病院の南隣のコーヒーハウス「ミキ」で小句会後解散しました。
金剛寺で大黒さまが本尊のろうそくに火をつけるとき燭台の覆いの布の
左下から炎が上がってあわてて消す騒ぎがありましたが、
それ以外はトラブルもなく、さわやかな秋の1日でした。
柿簾透かしてきたる山の風 常朝
串柿の里柿皮も干しゐたる 常朝
(串柿)
(つるし柿売り場)
(串柿の作業場)
(柿の皮むき機)
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