2013年2月24日日曜日

167.吉野・国栖奏

「アカシア紀行・俳句」2013年2月23日(土)             前へ  次へ

  雨水の頃の朝晴れの日、いつものメンバー6人で
奈良県吉野町の国栖(くず)で行われる「国栖奏」を見学に訪ねました。
国栖は近鉄上市駅から国道370を東へ約12キロの吉野川沿いの集落です。
便数は少ないですが上市駅からバス便もあるようです。
また今回は訪ねませんでしたが紙漉きの家もあります。

 「国栖奏」は、応神天皇が19年10月1日吉野の宮(宮滝)に来られた時、
国栖の人びとが一夜酒を作り、歌舞を見せたのが始まりとされています。

 また、壬申の乱の折、国栖の人々は大海人皇子に味方して、皇子をかくまい、
慰めのために一夜酒やうぐい(腹赤魚)を供して歌舞を奏しました。
 皇子はとても喜ばれて国栖の翁よと呼ばれたので翁舞と言うように
なったとのことです。

 代々受け継がれて毎年旧正月14日に天武天皇を祭る浄見原神社で、
舞が奉納され、国栖奏として奈良県無形文化財にしてされています。
(吉野町観光課:浄見原神社の掲示板より)

 壬申の乱のとき、裏返した舟に隠れた大海人皇子を探しに犬が
2匹来たので、村人は赤石で犬を殺し皇子を助けたそうです。
それ以来国栖の人は犬を飼わないようになり、
地元の神社にも狛犬がないそうです。

 神社は、吉野川北岸の切り立った岸壁のすき間に建てられています。
下の吉野川は深い渕になっており、天皇渕と呼ばれています。

       早春の水の青さよ天皇渕         常朝

              (天皇渕:クリックで拡大:以後同じ)

 我々の車は10時半ごろ駐車場に着きましたが、神社の境内は狭くて
遅れると13時から始まる舞などを見られないため、早めの昼食をとる
ことにしました。
 親切な係の人が携帯電話でお店の営業を確認してくれたので、
1キロほど東の東吉野村に入ったすぐの「やんちゃ庵」で昼食を
いただきました。

 11時頃神社に戻って、舞殿のすぐ横に立って、開式を待ちました。
すでに、見学者は50人くらい来ていましたが、さらに数10人増えて、
狭い境内は一杯になりました。

 舞殿の端には祭壇が作られ供物が三方に載せられていました。
左から、もみ(赤蛙)、くにつもの(土毛、根芹)、腹赤魚(うぐい)、
こざけ(一夜酒)、山菓(くり)でした。
下の段には、それぞれ三方の上に、鈴2つ、笛4本、鼓1個が、
置かれていました。赤蛙とうぐいはまだ生きているようで、
ぴくぴく動いていました。

 昼前は天皇渕の川面から春日が照り返して、舞殿の天井に
「水かげろう」がゆらいでいました。

       水かげろうゆらぐ舞殿国栖の奏    常朝

              (国栖奏伝習所)
               (国栖奏説明板:クリックで拡大:以後同じ)
              (舞殿)
              (神饌の供物台)

 13時すぎ、人を押し分けて、神主、舞人達11人が舞殿に登り、
祝詞に続いて翁舞が始まりました。

 奏歌は「世にいでば腹赤の魚の片割れも国栖の翁が渕にすむ月」

など優雅な歌が3曲続き、そのあと「エンエイ」とはやしながら、
正月から12月を読み上げ、それに合わせて二人の翁が鈴と榊を持って
ゆっくりと舞いました。

 最後の4曲目の歌は、聞いた時はまったく意味がわかりませんでしたが、
日本書紀第十巻の応神天皇の項を読むと、

 橿の生(ふ)に よくす(横臼)を作り よくすにか(醸)める
 おほみき(大神酒)うまらに きこ(聞)し 持ちを(食)せ
 まろがち(父)                  でした。

 派手さはありませんが、さすがに古代を彷彿とさせる典雅な舞でした。
1300年前に書かれた歌が今もそのまま祭で歌われているのは驚きです。

 その後、御巡楽として祈祷料を納めた人の名が「エンエイ」という
掛け声と共に順次よみあげられました。

              (舞人)
              (正月エンエイの舞)

 閉式後の撤饌は赤蛙から順次下げられ、境内の別の台に載せられたので、
写真を撮ることができました。
人々が神社から戻る2時頃、雪が降って来ました。

       翁舞果てし川の辺春の雪      常朝

              (供物の赤蛙)
               (ぜんざいのサービス)

 駐車場に帰る途中にある国栖奏伝習所前のテントではぜんざいが
200円でサービスされていたので、我々も焚き火に当たりながら
いただきました。
3時半から餅まきとのことでしたが、待たずに車で橿原観光ホテルへ戻り、
小句会後解散しました。
年一度の天武天皇祭である国栖奏を守り盛り立てていこうとする、
吉野町や国栖の人々の心が感じられる一日でした。

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