「アカシア紀行・俳句」2014年4月17日(木) 前へ 次へ
曇りながらも暖かい春の日、いつものメンバー5人で、
京田辺市の観音寺、酒屋神社から京都府立大公園を訪ねました。
観音寺は近鉄京都線・三山木駅の西約2キロにある、今は真言宗のお寺です。
2007年にも訪ねましたが、奈良時代に創建された、法相宗などの寺で、
毎年2月東大寺二月堂のお水取りの松明のために竹送りをしています。
今回は参拝ついでに、菜の花まつりとして、参道周囲の田を埋め尽くす
菜の花などを拝見しました。
今年は19日(土)から農作業のため、菜の花を見られるのはあと2日のみ
という時期でしたが、花はまだまだ沢山咲いていました。
気のせいか花の黄色の強さは少し弱くなっていましたが。
参道には、日本タンポポ、トキワソウも咲き、ノビルもでています。
鶯の声の合間に本堂からは参拝客へのご住職の話し声が漏れ聞こえました。
境内には池が2つ、本堂周囲には幅1メートル程の濠があり、大鯉が
泳いでいます。小さな溝のそばには「地獄の釜の蓋」ともいわれる、
紫の「きらん草」も咲いていました。
左手には、地祇神社があり、神社の右手には、塔心跡の標識がありました。
菜の花の包む参道一歩ずつ 常朝
菜の花や笑顔に見ゆる鬼瓦 常朝
(観音寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
(菜の花畑)
(きらん草)
(説明板)
その後、同志社大学田辺キャンパスの中の道を通って、
興戸地区の酒屋神社を訪ねました。
神社は、説明板によると、神功皇后の三韓征伐の際、山中に酒壺を埋めて、
(戦勝を祈り)無事帰国したので、建立したとのこと。
藤原氏の先祖中臣の一族が、ここで酒(あるいは酒器)を作ったので、
祖先を神として祀ったともあります。
境内はさほど広くないですが、拝殿の奥に本殿が山に接するように立ち、
参道右の水の抜かれた池に若草が伸び、左手には神具などの物置でしょうか、
倉庫があり、広場の右手は児童公園のように遊具が幾つか置かれています。
拝殿は割り拝殿で、中の通路の両側に長椅子が置かれて、
男性が一人座っていたので、話をしました。
拝殿には出征軍人名を列挙した奉額もありました。
ときどき歴史好きの男性や歴女達が団体で訪ねて来るそうです。
樹齢200年という大きな栂の木が、小さな松かさのような実を落としていました。
数年前一人で訪ねたとき、キビタキが美しい声を聞かせてくれたので、
あわよくば、また聞けるかもとも思いましたが今回は鶯だけでした。
奉額に出征人名春の風 常朝
(酒屋神社)
(説明板)
(参道)
三山木に戻り、二又交差点の西のこぶや亭で昼食をいただいたあと、
南西5キロほどの京都府立大学の精華キャンパスの公園を訪ねました。
ここは、2009年までは、京都府のフラワーパーク「花空間けいはんな」
でしたが、今は、府立大学の付属公園となっています。
我々が着いたときは、係員数人のほかは誰も園内にいませんでした。
広大な園内には、チューリップや芍薬などの花壇のほか、
しだれ桜、桃、桜、ハナミズキ、などは花がありましたが、
藤棚はまだ蕾で、楠の木などがポツンポツンと立つ、やや閑散とした
感じでした。温室などの建物も今は入室できません。
奥の林から鶯の声がときおり聞こえ、四阿(あずまや)のそばの池に
真鴨が一羽いるだけでした。
予算の問題でしょうが、花壇の手入れもあまりされていないようです。
しばらくして、車いすに奥様を載せて老夫婦が入園し、
園内をゆっくり散歩しはじめました。
藤棚の空まだ見せて蕾揺る 常朝
チューリップ撒水ホースのたうたせ 常朝
(京都府大公園の花時計)
(しだれ桜)
(桃の花)
(公園の庭園)
我々は園内を散策後、奈良の自宅へ戻り小句会後解散しました。
そよ風の吹く洛南のお寺や神社、菜の花畑などをのんびりと楽しんだ1日でした。
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