2016年4月26日火曜日

235. 葛城・乗馬クラブから高鴨神社など

「アカシア紀行・俳句」2016年4月24日(日)    前へ    次へ

  4月下旬の暖かい日、 いつものメンバー5人で奈良・葛城市の屋敷山公園駐車場で集合し
御所市の乗馬クラブ・クレイン奈良から高鴨神社などを訪ねました。
  
 クレイン奈良は乗馬クラブ「クレイン」(本社羽曳野市)の葛城山麓にある奈良支部ですが、
春の馬などの句材を求めて見学をさせてもらいました。

 山麓線(30号)の櫛羅(くじら)交差点を西へ葛城山ロープウエイへの道を登り、
案内板に沿って北へ登ると左に駐車場があります。
そこからフロントで見学を依頼して山の上下にある馬場の下側の観覧席に案内されました。
下側には円形の馬場が3つと小さな馬場が1つあります。

 下の馬場は初心者用で上の馬場は上級者用と分かれているようでしたが、
我々は下の馬場だけを見学しました。

 説明によると約80頭のサラブレッドが収容されており、ホームページによると2500円から
乗馬体験などができるそうです。
10時前馬場に到着すると、20人位の若い人々が、10人位の馬丁の若い男性にそれぞれ手綱を
取られた馬に乗って、3つの円形の馬場をそれぞれぐるぐる回っていました。
騎手は若い女性が多く、凛々しい姿勢で馬のリズムに合わせています。
馬場の向こう側の山には藤の花が掛っていました。

 数分で乗馬練習が終わり、馬たちはそばの厩舎に入り、馬場は円形の土だけになり、
鴉が馬場の端に降りてきました。

 観覧席には我々以外に夫婦や家族連れらしい数人がいました。
しばらく馬たちが休んでから、10時半頃ふたたび練習が始まり、
上と下の馬場にそれぞれ10頭位の馬達が手綱を持たれて入り、練習の人々が乗馬しました。

鶯の声に元気づけられたように、手前の馬場で乗馬の練習が始まり、教師の男性の説明のあと、
円形の馬場をふたたび反時計方向に回り始めました。 

 左手の小さな馬場では小学生位の男の子が男性の教師に乗馬を教わっていました。
馬が好きな子のようで、緊張しながらも笑顔を絶やさず、じきに馬に慣れていくようでした。

       若き娘の乗馬姿に掛かり藤        常朝

       たてがみに日差やはらか春の馬    常朝

        (乗馬クラブ・クレイン:クリックで拡大:以下同じ)       
         (乗馬クラブの馬場)
        (馬・サラブレッド)
        (厩舎)
        (厩舎の馬の紹介板)

 しばらく見学後乗馬クラブを出て、名柄の東のレストラン「わだきん」で早い目の昼食をいただいた後、
約5キロ南の高鴨神社を訪ねました。

 高鴨神社は昭和35年頃より3代の宮司が蒐集し育てられた500種以上の日本桜草で有名ですが、
例年4月下旬から5月上旬が桜草の美しい季節です。20年以上前から何度か訪ねて拝見しました。
今回のこの日は境内の4段の棚に約50~60鉢の桜草がならべられていました。
ときおりかすかな風にいくつかの桜草がゆれていました。
また別の台では数十の鉢が菖蒲苗と共に販売用に展示されていました。

  大阪から来たという宮司の桜草作りを手伝っておられる男性によると、
展示されているのはまだピークの3分の一位で、29日くらいが(品種の)最大の日だそうです。

 桜草は種からふやすと別の品種(原種?)になるので、株分けで増やして育てるため、
また気温など環境に左右され易いので手間ひまがかかるようです。

 桜草やトキソウ、菖蒲苗などを拝見後、本殿に参拝し、池の浮舞台に登って、池の鯉や若葉を見ました。
本殿への石段の右には運河の右城暮石先生の句碑

       天の神地の神々に植田澄む     暮石     

があり、美しく苔むしていました。


       桜草かすかな風をよろこべり       常朝

       なめらかな波に映りて池若葉     常朝

        (高鴨神社の桜草)       
         (桜草の説明板)
        (浮舞台)
        (高鴨神社本殿)
        (右城暮石先生の句碑)


 その後、少し北側の山中の高天彦神社をたずねました。
ここは2年前の5月下旬、菩提寺のあと、高天山草園「野草の里」を訪ねた時以来です。

 駐車場のそばの鶯宿梅はすでに若葉になっていました。
大きな杉の参道にはドウダンツツジが白い花を鈴のようにつけています。
境内手前の御手洗には金剛山の湧水でしょうか、冷たい水が蛇口から
ほとばしっていました。

 左手の郵便道(旧登山道)の入口には土砂崩れで通行止めの看板があり、
道沿いの小川で男性が登山靴を洗っていました。
本殿を参拝してしばらく散策後、田の中の畦道を通って蜘蛛窟へ歩きました。
ホオジロらしい短い鳥の声を聞きながら急な坂を登ると、単に蜘蛛窟と書いた
石碑がありました。ビニールで包まれた説明書がそばの木に貼ってあり、
それによると、神武天皇の頃、このあたりに手足の長い土蜘蛛(族?)が害をなしたので、
皇軍が、葛蔓の網でとらえて土中に埋めたとのこと、この地方の先住民を
土蜘蛛族とか長脛族と呼んだそうです。

       葛城の若葉の水のほとばしる      常朝

       蜘蛛窟へは畦道ばかり若葉風       常朝

        (高天彦神社の鶯宿梅)       
         (高天彦神社)
        (高天彦神社休憩所)
        (郵便道への入口)
        (高天彦神社説明板)
        (蜘蛛窟の石碑)

 その後、24号線の新庄町北花内の「さと」で小句会後解散しました。
九州では熊本地震の余震が続くなか、近畿地方は地震もなく、穏やかな天気に
恵まれた一日でした。

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