「アカシア紀行・俳句」2016年4月5日(火) 前へ 次へ
桜満開の晴れた日、 いつものメンバー6人で奈良・桜井市の長谷寺を訪ねました。
長谷寺は奈良時代に創建された真言宗豊山派の本山で、十一面観音、長い登廊と牡丹で有名です、
我々は9時半ころ、玉仙閣前の駐車場に駐車し、付近を散策しました。
本堂は以前に何度も参拝しているので今回は、近くの與喜(よき)天満神社周辺を参拝しました。
初瀬川にかかる神社への天神橋からは、満開の桜に包まれた長谷寺の諸堂閣の屋根が見えて
見事な景色でした。
駐車場の柵の外の初瀬川の岸には大きな岩:磐座があり、説明板が立っています。
それによると、昔上流にあった毘沙門天が雷神に空へ運ばれれたとき、手にあった
宝塔が落ちて流れ、この岩に止まったそうで、それ以来この地を「泊瀬」、「初瀬」と
呼んだそうです。
(初瀬の磐座:クリックで拡大:以下同じ)
長い石段を登ると與喜神社ですが、左の細い道は化粧坂(けわいざか)といい、
昔参詣の人が化粧を直した道だそうです。
神社への階段の両脇には数十本の枝垂れ梅が植えられていました。
それぞれの苗木には奉納者の名札がありました。
途中の空地には與喜寺跡と書いた碑があり、境内には数個の苔むした磐座があります。
由緒書きによると、この神社は菅原道真公を祀るため平安時代天暦2年(948)建立された
最古の天神だそうです。 道真公の先祖は土師(はじ)氏の野見宿禰で、初瀬の出雲出身のため、
道真公が太宰府へ左遷される前はよく長谷寺に参詣されていたそうです。
神となった道真公の坐像が重要文化財の高さ1メートル位の木造天神坐像として祀られているとのこと。
社務所の軒の台には小さな撫ぜ牛とともに、恋みくじと通常のおみくじの箱が置かれていました。
メンバーの女性が恋みくじを引くと「小吉」でした。
帰りは北側の裏参道を降りましたが、その入口には連歌会所跡の碑があり、説明によると、
ここには明治維新までは「菅明院」という連歌会所があって、連歌の人々は裏参道の下の
朱塗りの連歌橋を渡ったとのことです。
駐車場へ戻り、参道の餅屋で買った草餅をいただいたあと、長谷をあとにしました。
全山の桜を見上ぐ宮の橋 常朝
初瀬川花びら来るを待ちゐたり 常朝
(天神橋から長谷寺の桜)
(天神橋から與喜神社の石段)
(與喜神社の参道)
(與喜寺跡)
(與喜神社本殿)
(與喜神社の磐座)
(磐座の説明板)
(連歌会所跡)
昼食までは時間があったので、長谷から中和幹線を西に走り、耳成山の北東700メートルほどの
「まほろばキッチン」に駐車し、その東100メートルほどの麦畑を訪ねました。
「まほろばキッチン」はJA奈良の農産物直売所でいくつかのレストランもあります。
ひばりが麦畑や周囲の畑の上空でさえずっています。
畦から見ると、麦は40~50センチほどに伸びて、葉が風にゆらいでいました。
一本だけですが麦の穂も見えました。
麦畑からは大和三山の耳成山、畝傍山、(屋根の上に)香具山が見えました。
中和幹線を通る車の音がうるさいくらいですが、ときおり静かになるとひばりの声などが
聞こえます。 誰かが麦笛を吹くと白蝶が飛んできました。
ひばり鳴く大和三山見下ろして 常朝
麦畑はや穂の見えて風渡る 常朝
(まほろばキッチン)
(麦畑)
(麦の穂)
その後、まほろばキッチンのバイキングレストラン「かぐやま」で昼食をいただき、
桜井の阿部交差点の天平庵で小句会を楽しんだあと、解散しました。
解散後我々3人は、檜原神社の北西の桃畑に車で移動しました。
運良く、桃の花は満開でした。 畑のそばの井寺池の土手には、
万葉の中大兄皇子の歌碑「香具山は畝傍ををしと耳梨と相あらそひき・・・」などがあります。
井寺池のほとりの満開の桜のトンネルを越えて奈良に戻りました。
傾ける日に華やぎて桃の花 常朝
花あかり草にも届き桃の花 常朝
(満開の桃の花)
(檜原神社西の井寺池と三輪山)
春らしいお天気に恵まれた桜満開、桃満開の一日でした。
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