2015年12月10日木曜日

226. 東吉野石鼎庵から丹生川上神社中社

「アカシア紀行・俳句」2015年12月9日(水)    前へ   次へ

 師走上旬の暖かい快晴の日、いつものメンバー6人で、
久しぶりに東吉野の石鼎庵などを訪ねました。

 宇陀市拾生(ひろお)の道の駅大宇陀で集合し、鷲家口から高見川に沿って走り、
小(おむら)入口の畑や草地に霜が降りていたので、駐車して霜や冬の川などを見ました。
そばの廃屋に新聞受けを15軒分まとめた大きな板や、崖崩れ危険の表示板があり、
川の向こう岸には冬紅葉がまだきれいな紅色を映していました。

       新聞受け十五軒分霜の村      常朝

       高見川岩に映えゐる冬紅葉     常朝

         (高見川:クリックで拡大:以下同じ)       

  その後「小」(おむら)集落に入り、四辻になっている左の道を北へ登って、
今は民俗資料館になっている小学校廃校跡の校庭に駐車しました。
すぐ東側が石鼎庵で、その東に天照寺の藁葺の薬師堂があります。

 周囲の庭や宇多喜代子の句碑などを拝見し、
鍵の掛っていない戸を開けて中に入り、句額や石鼎の写真、着物などを
拝見しました。俳人「原石鼎」は島根出身ですが26才の頃ここに滞在した頃から、
虚子のホトトギスで活躍、多くの名句を残しました。

 前の庭を見ていると、地元の70才位の男性がこられて、色々説明をしてくれました。
その方は鍵を持って建物を管理されており、見学者がありそうな日は鍵を開けて
おられるそうです。

 日当たりの良い縁側の前の庭に足跡が沢山あるので聞くと、鹿の足跡だそうで、
先日奥様が家で干していた大根の葉も全部鹿に食べられたそうです。

 そのあと、その方の案内で、小学校跡の民俗資料館を見学しました。
小学校は廃校後昭和58年以後資料館として利用されているようですが、
その割には建物はしっかり保存されているようです。
図書室には数百冊以上の句集がありました。

 資料館は2階に4教室分あり、昭和初期の家具や農機具の他に、植林の仕事の説明図や
山仕事の道具、材木の刻印用のコテや、いかだの模型まで展示されています。
正月8日に二本の棒を叩く祈祷「おこない」行事の写真もありました。

       庭砂に鹿の足跡石鼎庵      常朝

       半天の下まで冬日石鼎庵     常朝

         (資料館-廃校跡)    
         (石鼎庵)
         (のれん: 鮎の背に一抹の朱のあるごとし 石鼎)
         (原石鼎説明額:クリックで拡大:以下同じ)
         (民俗資料館の一室)
その後、石鼎の句碑があると教えられて、少し東の神社を訪ねました。
神社の名を聞かなかったので、別の神社かと思っていたら、
以前2,3度訪ねた丹生川上神社中社でした。

 それでも茨木和生先生の「こっぽりの」の句碑や、石鼎の
「頂上や殊に野菊の吹かれをり」の句碑をみて、記憶を新たにしました。
石鼎の句碑は苔が覆っていて説明板がないと読めない程でした。
つくばねの木も一つだけ羽二つ付いた実を残してくれていました。

       深吉野の雲は動かず石鼎忌    常朝

       風の詩の句碑に苔むす石鼎忌   常朝

         (丹生川上神社中社)       
          (茨木和生先生の句碑: こつぽりの子が衝羽根の実を拾ふ)    
         (石鼎句碑:頂上や殊に野菊の吹かれ居り)
社務所に誰もいない神社を後にして、東吉野村役場の前で
女性に教えてもらった鷲家口のレストラン「あしびき」で昼食後、
宇陀に戻り、大宇陀小学校北の葛味庵で葛湯をいただきながら、
小句会を楽しみました。

       石鼎庵訪ねしあとの葛湯かな      常朝

       ふうと吹けばとろうりしずく葛湯かな  常朝
     
         (葛味庵)

 一日中冬とは思えない日差のなか、東吉野の俳人の住居跡、
神々しい神社の庭などとともに、暖かい葛湯を楽しめた一日でした。

2015年11月21日土曜日

225. 桜井市吉隠、鳥見山から仏教伝来の地

「アカシア紀行・俳句」 2015年11月19日(木)    前へ   次へ

 数日続いた雨模様が止んだ11月下旬の一日、いつものメンバー6人で、
初冬の景色などを訪ねて、桜井市の吉隠(よなばり)などに行きました。

 吉隠は、桜井市北東部の地区で、天武天皇の皇子、穂積皇子の歌、

  降る雪は あはにな降りそ 吉隠の
            猪養(いかい)の岡の 寒からまくに

 で万葉集(巻2-203)に出てくる古くからの土地です。

 (但馬皇女が和銅元年(708)6月に亡くなってから、幾月か経た雪の降る日に、
  皇女が眠るお墓を遥かに見て悲しみ泣きながら詠んだ歌)

 国道165号線の長谷の東の吉隠交差点を北上、坂の集落を800メートル程登ると
小さな無住寺「極楽寺」があります。
ただそのお寺は、道路の右へ(南へ)降りる坂道にあるため車で行けなくて、
坂で迷っていたら、地元の70才位の男性がたまたま来られて、
境内入口を教えていただきました。(実生の楓を探しに来たとのこと)

 境内に入ると小さな本堂があり、猪のもぐら探しの跡でしょうか、地面のあちこちに
泥土がめくれていました。

         (吉隠の極楽寺:クリックで拡大:以後同じ)     

 男性によると、極楽寺は10年位前に無住寺となり、本堂の東にあった庫裏は
撤去されたとのこと。 吉隠は48軒位に減り、人口も170人位になったようです。
お墓は昔は山の上の墓地に土葬し、本堂の左手、裏手にある石塔は、
お参りするための場所(卵塔場(らんとうば))だそうです。
土地の人々は次第に墓地を集落外に移しているようです。 

 本堂右の阿弥陀堂に2つの石仏、左の石塔群の前の庚申堂に、6手の観音のような
お像が祀ってあります。 

 昔は10位の庚申講があり、それぞれお祀りをしていたが今は一つか二つの
庚申講が年一回お祀りするだけだそうで、お堂の屋根の下の隙間にあった
葉付きの木の枝に祈願文のような文字が書かれていました、

 男性が、本堂裏の軒にある葬儀用の輿2台を見せてくれました。
今は使われない、お棺を山上の土葬地に4人位で運ぶための長い輿です。

 男性が帰られたあと、本堂の外から合掌し、境内の大きな楠や楓紅葉などを見て、
お寺を辞しました。
但馬皇女のお墓の場所は今は不明ですが、男性に推定地などを聞くのを忘れました。

       吉隠の寺に一樹の冬紅葉     常朝

       吉隠の姫墓いずこ冬の風     常朝

         (極楽寺の紅葉)
         (庚申堂)

 その後男性から「紅葉と見晴らしが良い」と教えてもらった鳥見山公園を訪ねました。
吉隠からは一旦165号線に降りて、約2キロ東の西峠を北上、警察署の先を左折して、
鳥見山に登ります。標高750メートルもある山の公園で、広場の西に神武天皇ゆかりの
鳥見霊畤(とりみれいじ:天皇の祀りの場所)や、神社の鳥居と池、南に展望台があり、
池の周囲では紅葉が見事でした。

 鳥居の先に鳥見霊畤の石碑があり、近くのベンチのそばなどに
サツキやツツジの返り花が咲いていました。

 また展望台からは、墨絵のような冬の雲の下に、宇陀や吉野の山並みと、
眼下の榛原の市街がみえました。

       鳥見霊畤の丘に皐月の返り花   常朝

       宇陀の山墨絵のごとき冬の雲   常朝

         (鳥見山公園の休憩所)        
         (鳥居)
         (鳥見山中霊畤の石碑)
         (鳥見霊畤の説明板)
         (展望台から榛原の市街)

 その後、桜井市のココスで昼食をいただいたあと、
JR三輪駅の南東1キロ、大和川(初瀬川)の岸にある仏教伝来の地を訪ねました。

 最初計画した中和幹線の側道からの道は車では行けず、
川の北側の199号線を東へ進み、井戸建設の向かいの道に右折して川岸にでました。

 4台位の駐車スペースがあり、大きな「仏教伝来の地」の石碑があります。
下流側は堰があり、音を立てて落ちる水の先にアオサギが一羽立っていました。
上流側は公園になっており、小野妹子が裴世清(はいせいせい)と共に帰国したとき、
大和川をさかのぼってきた船から降りた二人が、75頭の儀仗隊の馬で迎えられた
ことにちなみ、陶製のかわいい飾り馬(子馬)が10頭ほど、並んでいます。 
土手に万葉集の歌(歌垣など)の説明陶板もあります。

 葦やすすきが美しい堰上のゆるい流れに、カルガモやマガモが数羽ゆったり泳いでいました。
 
       仏教の着きし川の辺鴨来たる    常朝

       子馬像並ぶ川の辺冬紅葉      常朝

         (仏教伝来地の碑)        
          (仏教伝来地の説明板)
         (仏教伝来地公園の馬)
         (仏教伝来地公園の飾り馬)
         (仏教伝来地公園)
         (仏教伝来地公園の堰)

 川岸の桜紅葉やハナミズキの赤い実などを見て、再び桜井市街に戻り、
天平庵で小句会後解散しました。

結局太陽は見えないままでしたが、深まる秋の古い大和の地や珍しい
仏教伝来地の公園などを楽しめた一日でした。

2015年11月7日土曜日

224. 笠置寺、夜支布山口神社から円成寺

「アカシア紀行・俳句」2015年11月6日(金)    前へ   次へ

 秋も深まりゆく11月上旬の一日、いつものメンバー6人で、
紅葉狩として奈良・笠置寺から柳生の夜支布(やぎう)山口神社、円成寺を訪ねました。

 笠置寺は、奈良時代から大岩の磨崖仏を本尊にし、東大寺二月堂の
お水取り行事の起源にもなった実忠和尚ほか高僧の修行の場、信仰の寺として
栄えたが、1331年元弘の変で御所を脱出した後醍醐天皇と鎌倉幕府軍との戦いで
全山焼亡後、明治に丈英和尚により再興されたとのことです。

 寺へは笠置町の郵便局の南約200メートルに登山口の門のある急な坂道を登ると、
30台位の駐車場(駐車料500円)があります。
そこからさらに100メートルほど登ると旅館・松本亭の前の石段から笠置寺の境内で、
受付で入山料300円を納めて、磨崖仏のある岩場へ歩きました。

 正面奥には正月堂があり、その左側に高さ15メートル程の大岩の弥勒菩薩の
磨崖仏があります。お堂のそばには大きな楓紅葉が一樹あり、白い岩肌に映えていました。
しかし弥勒菩薩のお顔は火災などで剥がれて殆ど見えなくなっており、X線撮影で
復元塗布した像を撮影した写真が正月堂に祀られていました。

 さらに下へ降りるとお顔がはっきりわかる虚空蔵菩薩の磨崖仏や
実忠和尚が修行したという千手の屈やが岩のすきまを潜る胎内くぐりの岩場があります。

 受付奥の右手には、木に取り付けたコウモリの巣箱があったようですが、
私は気が付きませんでした。

 境内の紅葉の程度はまだ半分くらいでしたが、周囲の岩や木々の緑に映えて
爽やかな美しさを見せていました。

       磨崖仏高し笠置の紅葉かな     常朝

       雉飯もありし笠置の薬喰      常朝

         (笠置寺入口:クリックで拡大:以後同じ)    
          (笠置寺受付)
         (笠置寺本坊)
         (弥勒菩薩の磨崖仏)
         (正月堂)
         (復元された弥勒磨崖仏の写真)
         (虚空蔵菩薩の磨崖仏)
         (松本亭レストラン-かさぎ「鹿鷺」)

 その後、松本邸でキジ釜飯をいただいたあと、柳生へ戻り、夜支布山口神社を
訪ねました。
大柳生交差点の少し北の消防署分署から東側の道を1キロ程南下した
山懐にある神々しい雰囲気の神社です。
楓は数本ありましたが、まだ青葉か薄紅葉で、南天の実が赤く輝いていました。

 社務所の軒には後醍醐天皇の御製遺蹟の額が掛かり、薄れて読みにくいですが、
笠置山から宇治方面へ落ちられたとき、近くの一本松で休まれてつくられたとされる
御製の短歌が、古蹟図と共に書かれています。

  さして行く 笠置の山を 出でしより 天が下には 隠れ家もなし  後醍醐天皇

  いかにせん たのむ陰とて 立ちよれば なお袖ぬらす 松の下露  万里小路藤房

 同じ絵馬の続きに牛若丸誕生の古蹟とありますが、薄れて字が読めないので
インターネットで調べると、この神社の北西300メートルほどの川沿い遊歩道に
道を覆う小さな「常磐の森」があり、そこで常盤御前が産気づいて、土地の長谷川金右衛門の
援助で牛若丸を産んだとのこと。後に義経からもらった棒術の流儀が柳生藩の長谷川棒術の
始まりだそうです。

 数年前訪ねたときイモリのいた池は落ち葉や芥で動いているものが見えません。
境内の青木の実はまだ青く、葉に雨蛙が一匹止まっていました。
 
       御製額社務所の軒に冬隣      常朝

       裾のまだ青き紅葉の見事なる    常朝

         (夜支布山口神社:やぎうやまぐちじんじゃ)  
          (イモリのいた神社の池)
         (御製と古蹟の奉額)

 その後、369号線に戻り、円成寺を訪ねました。
ここは5年前の早春、月ヶ瀬へ行く途中立ち寄りましたが、今回は紅葉のおかげで
境内は華やかです。(参照:アカシア紀行98

 楓の紅葉が進み、ウメモドキの実と共に緋鯉が遊ぶ池に映えていました。
特に裾のほうがまだ青葉なのに上の枝が紅葉している木は、
紅葉の度合いが程よくて見事な美しさです。

 池の小さな中の島には草雲雀が高い声で鳴いていました。
境内の売店では餅などと共に松茸(3本5000円)を売っていました。
店の右手の「ばったんこ」が、音と共に日に光る水を落としていました。

       中の島はここよと鳴けり草雲雀   常朝

       山寺の光も落しばつたんこ     常朝

         (円成寺の庭園)    
         (円成寺の山門)

 奈良への帰り道にある植村牧場の「いちづ」に立ち寄り、小句会後解散しました。
深まる秋の笠置・柳生の紅葉と自然をゆっくり楽しめた一日でした。

2015年10月24日土曜日

223. 奥明日香・入谷から鹿路

「アカシア紀行・俳句」2015年10月22日( 木)    前へ   次へ

 秋らしい好天の続く10月下旬の一日、いつものメンバー6人で、
奈良・奥明日香の入谷(にゅうだに)から桜井市・鹿路(ろくろ)を訪ねました。

 入谷は、明日香村南東の柏の森(かやのもり)の北側にある山地の集落です。
今年10月9日NHKのバラエティ番組「えぇトコ・昔が生きてる!すごい奈良」で
浅野温子、金子貴俊さんが訪れ、入谷の森本さん夫妻と話していました。

 石舞台から15号線を飛鳥川に沿い柏の森の加夜奈留美神社の南側を左に入ってすぐ
右に坂を登り、急坂のヘアピンカーブを2回過ぎると、入谷の入口の
バス停(跡)の前に出ます。入谷と書いた木札が掛けられてありました。
さらに東へ登り、4回目のヘアピンカーブを左に折れると地蔵寺の下に出たので、
我々はその狭い参道の坂に駐車しました。

 地蔵寺の山門は鍵が掛けられており、「水道栓は上の森川様に」と貼り紙が
ありました。左の地蔵堂(?)の格子戸の障子紙は半分くらい破れており、
ビワの白い花が咲いていました。

 その後、東側の坂を登って大仁保神社を訪ねました。
坂の左側の土手には棗(なつめ)の木が赤茶の実を沢山つけていました。

 神社も猪鹿除けの鉄の網戸が閉められていましたが、参拝者などは鎖を外して
下さいとお知らせ書が掛けられていたので戸を開けて石段を境内まで登リました。
本殿の右側に神武天皇、左側に明治天皇の碑がそれぞれ玉垣に囲まれています。
左側からは、入谷のほぼ全部が見渡され、はるかに葛城山の麓が秋霞の中に
見えました。

 神社の左は浄水場でその前の道には雀瓜の実が沢山ありました。
白い実を食べると通草(あけび)のような味でした。

 入谷はメンバーの父方祖母の里なので、寺の下のお家の人に聞くと、
その家は今は入谷にはないようです。
約100軒あった家が約20軒になったようですので、転居されたのでしょう。
インターネットによると、入谷には昔海人族が住んで、壬申の乱のおり
大海人皇子に協力したようです。

       透きとほるほどの白さよ雀瓜    常朝

       奥明日香の峠に高く棗の実     常朝

         (入谷集落)
         (地蔵寺山門)
         (入谷のナツメの実)
         (大仁保神社の鳥居)
         (大仁保神社本殿)
         (大仁保神社からの眺め)
         (大仁保神社下の道の雀瓜)

 その後、飛鳥駅南の「ペンション飛鳥」で昼食をいただき、桜井市の鹿路(ろくろ)
を訪ねました。

 鹿路は、同じ10月9日NHKの番組で浅野温子さん達が桜井市の艸墓古墳を紹介したあと、
訪ねた天一神社や森本英雄さんの工房のある山間の集落です。

 我々は石舞台から細川沿いに多武峰を通り八井平を南下、鹿路トンネル入口手前を
右へ(南へ)山を登って鹿路に行き、まずトンネル西側の鹿華苑(ろくかえん)を訪ねました。
鹿華苑は地元の奥田さんが自宅の土地に草木を育て無料で開放された植物園です。

 下から見上げるとお城のようなお家で、その谷側約3反が鹿華苑です。
谷を渡った駐車場に駐車しピラカンサの赤い実の下の坂を登ると、幅広い階段状の
土地にさまざまな草木が植えられ名札もつけられています。
秋の花は多くはありませんが、青紫のトリカブトの花、紫苑、サツキの赤い返り花、
紅色のトリトマ、赤白混じりのダリアが咲き、ドウダンツツジなどの紅葉も
綺麗でした。通路のミツバツツジに巻き付いた風車は、ふわふわとした白い綿の渦の
ような大きな実をつけていました。イヌホオヅキの赤い実もありました。

 門前に敷かれたムシロには小豆が干してあり、電力メーターの柱には
山芋の蔓が巻きつき沢山零余子がついていました。


       山野草育てる山家小豆干す     常朝

       風車実のふはふはと風を待つ    常朝

         (鹿華苑入口)
         (トリカブトの花)
         (風車の実)
         (トリトマ(赤熊百合))
         (鹿華苑全景)

 その後、鹿路トンネルの東側の鹿路集落にある天一神社を訪ねました。
神社の下の道の右側にはNHKで紹介された森本工房がありましたがご不在でした。

 10段ほどの石段の上には「桜井100選・パワースポット」という表示板があり、
その上の赤い鳥居の奥の境内は30坪位ですが、割り拝殿の周囲に周囲5メートルほどの
大杉が数本林立し、赤い四角の塀で囲まれた大杉がご神体として祀られています。
 
 ご神体の杉には触れられないので、そばの大きな杉に両手を当てて
元気をもらったあと、拝殿のパンフレット「桜井100選」をいただき鹿路を離れました。

 鹿路の交差点から37号線を北上、八井平交差点北側でしばらく停車し、
本居宣長の菅笠日記にある、彼が松阪から多武峰、飛鳥、吉野へ行くとき
通ったという屋形橋(屋根のある橋・再現)を見てから桜井市内へ戻り165号線の
天平庵で小句会後解散しました。

       神杉はパワースポット秋澄めり   常朝

       屋形橋下は滝つ瀬薄紅葉      常朝

         (天一神社ご神体の大杉)       
         (八井平の屋形橋)

 秋らしいお天気に恵まれ、奥明日香の山中の集落や桜井山中の自然を
満喫できた一日でした。