2019年6月15日土曜日

283. 奈良・弘仁寺のちまき会式   

「アカシア紀行・俳句」2019年6月13日(木)    前へ   次へ  

 梅雨が近い晴天の日、いつものメンバー3人で奈良市・虚空蔵町の弘仁寺・ちまき会式を訪ねました。奈良からは、天理街道(169)の天理ICの北、窪之庄南を東へ左折して数キロです。
昼前だったので、桜井市の千寿庵でそうめん定食を頂いてからお寺を訪ねました。

  弘仁寺は平安時代の弘仁6年(615年)嵯峨天皇が建立されたという話と、弘法大師がこの山に落ちた流星:明星を見て建立したという話があるようです。
本堂右手には、本尊虚空蔵菩薩の化身「明星菩薩」を祀る明星堂があります。
寺山である虚空蔵山に少し登ると深い青葉の木立で、ホタルノオバサンという茶色の蛍が飛んできました。

 ちまき会式は毎年この頃、弘仁寺の本尊・虚空蔵菩薩に地元で作った粽(ちまき)を供え、自然の恵み、家内安全などを祈る行事です。

 13年前粽会式を訪ねたときは、地元の女性が集まり粽を作っているのを拝見できましたが、今回は、すでに出来上がった粽(束になった黄金粽)が、納屋の軒の青竹に並べて掛けてありました。
それを拝見に、庫裏の裏庭に入らせてもらいましたが、以前2、3度訪ねているので、
納屋や寺畑の風景がなんとなく懐かしく、昔庭と畑のあった母の生家を訪ねたような気持でした。

    (弘仁寺)                                       (護摩の忌竹)


     (黄金ちまき)                                        (明星堂)  


      (明星堂の奉額)                                               (虚空蔵山の山中)

   本堂を見上げる寺庭にはすでに結界の竹に囲まれた護摩壇が作られていました。
我々が着いた1時頃は、参拝者はまだ3,4人しか見えず、午後2時から護摩法要が始まっても、参拝者は10数人とカメラマン5.6人だけでした。
13年前訪ねた時は人が一杯で、粽の追加が必要だったのとは大違いです。
護摩法要を待つ間に、厄払いの黄金粽とは別の本物の粽をいただきました。

 本堂で虚空蔵菩薩に粽を供える法要、読経のあと、僧が2人庭に降りて護摩壇を囲む忌竹に入ったあと、一人の僧が、本堂から火を点けた竹竿を運んできて、護摩壇に点火しました。

 護摩壇の前に坐ったご住職が、虚空蔵菩薩への願文を読み上げました。
家内安全、無病息災、五穀豊穣などの祈願のようでした。
最後の日付を読んだ時、平成元年6月13日と読まれましたが、誰も気がついていないようでした。まさか元の願文に令和を平成と書くはずがないだろうと思います。

 そのあと、2人の僧の般若心経読経のなか、ご住職が呪文を唱えながら、順次、両手に護摩木を数本ずつ持って、頭の上から護摩壇へ勢いよく投げあげました。
別の寺男らしい人が、檀家が持参した古い粽の束などを護摩壇に投げ入れていました。

 護摩法要が終わったあと、ご住職が挨拶を兼ねて短い法話をされました。
以前と比べて参列者が少なくなったこと、檀家などを訪ねたときも、お経だけでなく
本を沢山読んでその中から関連する短い法話をするようにしているとのお話でした。

 その話の中には前の戦争の話もあり、海軍の殆どの空母や戦艦が撃沈されたなかで、
駆逐艦「雪風」が最後まで無事で終戦を迎えたとのことでした。
平和を願うご住職の心が、若い世代にどのように伝わるかは多少心配ですが。

  (護摩の願文奉読)                                             (護摩壇の法要)


      (桜井の千寿亭)                                       (植村牧場の喫茶店いちづ)



        庫裏の庭どこかなつかし青葉かな    常朝  

        粽会式頭の上から護摩木投ぐ       常朝  

        夏の法話駆逐艦雪風も出て        常朝  


 3時ころ、奈良へ戻り、奈良坂の植村牧場の喫茶店でケーキとコーホーをいただき解散しました。
6月にしては天気に恵まれ、虚空蔵山の深い青葉のなか伝統ある行事をゆっくり拝見できました。

ただ、伝統ある宗教行事に参列者が減っているのと、戦争を知らない政治家たちが威勢よく武力で領海・領土を守れというのとは、どこかでつながっているような気もします。