2013年8月24日土曜日

178.天理市・桃尾の滝から大親寺

「アカシア紀行・俳句」2013年8年22日(木)     前へ   次へ

  8月の処暑前日といっても盆前からずっと続く猛暑の日、
いつものメンバー6人で、奈良県天理の桃尾の滝から大親寺を訪ねました。

 桃尾の滝は、天理市の国道169号線から国道25号線を東へ約4キロの
左側に入口案内板のある細い山道を500メートルほど登った谷にあります。

 10時前滝の下の駐車場につくと、数人の人が、四阿(あずまや)や
滝の前で涼んでおり、3人の小学生くらいの男の子が半裸で、
浅い流れの岩場で遊んでいました。
若い母親らしき人が二人そばで見守っています。
その一人がメンバーの一人を岩場まで手を引いてくれました。

 滝下の岩に行くと、上から風が吹き、しぶきが掛かるくらいで、
下界の暑さを忘れるほど涼しくなりました。
滝からパイプの樋(筧)が引かれて、コンクリートの箱に
谷水を貯めており、その上を黒揚羽が飛んでいました。

 滝の右の大きな岩に南無妙法蓮華経の金字が彫られ、
小さな祠に不動明王がろうそくを立てて祀られ、
滝岩のほぼまん中にも小さな不動明王像が置かれています。
滝水をかきまぜると雲母の粉が光りながら舞い上がりました。
滝の左手にも不動堂があります。

       谷水の筧の上を黒揚羽      常朝

       滝水に雲母の粉の煌めけり    常朝

            (桃尾の滝:クリックで拡大:以後同じ)        
            (滝で遊ぶ子等)
            (滝の不動堂)

 その後、谷道を約500メートル登って、大親寺を訪ねました。
山道の右手に庫裏があり、右手に登ると、本堂と不動堂があり、
周囲には石仏が沢山あります。

 本堂前で汗を拭いて涼んでいたら、住職が庫裏から出てこられ、
本堂内に案内されました。

 住職の話では、昔はここに龍福寺という真言宗の寺があったが
明治の廃仏稀釈令で廃寺となったあと、大正時代不動堂が建てられ、
昭和36年、天台宗派として本堂が建てられてたそうです。
龍福寺は奈良時代、行基や道教、良弁の師であった義淵が、
今の岡寺(龍蓋寺)などとともに5ヶ龍寺の一つとして創建したそうです。
(その後弘法大師が真言密教の道場にしたようです)

 さらに近くにある石上神社は石上神宮の元の神社だそうで、
この寺にも石上神宮の奥の院として、本堂内に神様(石上大神?)
を祀っており、住職は同時に神官でもあるとのことです。

 本堂の三方の戸を開けていただいたので、山の涼しい風が堂内を
通りました。

 正面には釈迦如来、左に十一面観音像が祀られ、石上の神様の位牌(?)
もあるそうです。近くに檀家はないようですが、行者の修行の寺として、
ときどき、行者が集まり護摩を焚いたりするようです。
本堂を出ると若い3人の男女が大国山から下りてきました。


       三方の戸を開く本堂風涼し    常朝

       涼風や住職話長けれど      常朝


            (大親寺への山道)
             (大親寺不動堂)
            (大親寺本堂)
            (龍福寺跡説明板)

 169号線に戻り、千寿庵で三輪のそうめん昼食をいただいたあと、
桜井東中学の北の道から白河集落を抜けて、巻向山のリョウセン池に
向かいましたが、山道が急なのであきらめて、戻りました。
途中の田には稲の花が、早稲田には穂が出ていました。
桜井の天平庵で小句会後解散しました。
 
 下界の猛暑を忘れて滝と山寺の涼味を楽しむことができました。

2013年8月2日金曜日

177.三輪・綱越神社のおんぱら祭から桧原神社

「アカシア紀行・俳句」2013年7年31日(水)      前へ   次へ

  7月最後のむし暑い日いつものメンバー6人で、奈良県桜井市の
三輪大社の摂社である綱越神社の夏越祭「おんぱら祭」に参拝しました。

 おんぱら祭の神事は午前中ですが、午後境内の舞台でさまざまな
踊りや演奏などがあり、夜は花火大会と夜店などでにぎわいます。
我々は大社の駐車場に車をとめ、10時前に大鳥居のそばの祭のアーチを
超えて神社に向かって左側の一般席に坐りました。
本殿は小さいですが、拝殿前には、すでに50人位の招待参列者と
100人以上の一般参列者が来ていました。
5、6人の神官、2人の巫女のほか、笛、ひちりき、笙(しょう)、
楽太鼓の4人の楽人も着席しました。

 蝉声の中、雅楽が流れるなか、夏越祭が始まり、
祝詞、お祓いのあと、神饌奉納、巫女の舞、玉串奉納などが
行われました。その間に、神馬が傘をさした神官に曳かれて、本殿、
拝殿を3周しました。

 神事のあと、5人の女性の踊りが披露され、ほぼ全員に
小さな茅の輪のお守りが配られ、境内に2つある茅の輪を、
夏越の祓いの歌を唱えながら3度くぐりました。


       風通し良き席選び夏越祭    常朝

       ひちりきの奏者よく肥え夏越祭  常朝

            (おんぱら祭:クリックで拡大:以後同じ)
            (綱越神社)
            (本殿)
            (茅の輪)
            (形代の台)
            (楽人)
            (茅の輪くぐり)
            (準備中の屋台)

途中小雨がありましたが、11時すぎ無事に夏越祭が終りました。
まだ屋台も準備中なので、我々は参道の「万葉」で昼食をいただき、
山の辺の道の桧原神社を訪ねました。
万葉の入口の鉢には綿の花が咲いていました。

            (「万葉」の綿の花)


 桧原神社に参拝する前に、近くの桃畑の袋掛けなどを見ようとしましたが、
まだ時期が早いのか、袋かけの袋などは見えませんでした。

 いつもは境内の大きな注連柱から二上山が見えますが、今日は空が
夏霞のようにかすんで見えませんでした。
神社の杜は大きく深いのですが蝉の声がうるさい程で、なかに
ときおり短く「かなかな」も聞こえました。

 桧原神社は昔、天照大神を祀っていたので元伊勢とも言われますが、
三重の鳥居で有名です。
天照大神を斎宮としてここにお祀りし、のちに伊勢にお移しした
豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)の小さな社殿も左手にあります。
その鳥居の手前左の石垣にトカゲの子が登ろうとしてあきらめたり、
黒い揚羽蝶が美しい砂紋を飛んでいました。
神社西側の山の辺の道には烏瓜の青い実がありました。

       蜥蜴の子石垣見上げ下りて来し 常朝

       元伊勢の杜の深きに蝉の声   常朝

            (桧原神社)
            (三重の鳥居)
            (境内)
            (青い烏瓜)

 しばらく境内を散策したりときおり吹く涼しい風を受けたあと、
下界に戻り、天理の天平庵で小句会後解散しました。