2015年10月24日土曜日

223. 奥明日香・入谷から鹿路

「アカシア紀行・俳句」2015年10月22日( 木)    前へ   次へ

 秋らしい好天の続く10月下旬の一日、いつものメンバー6人で、
奈良・奥明日香の入谷(にゅうだに)から桜井市・鹿路(ろくろ)を訪ねました。

 入谷は、明日香村南東の柏の森(かやのもり)の北側にある山地の集落です。
今年10月9日NHKのバラエティ番組「えぇトコ・昔が生きてる!すごい奈良」で
浅野温子、金子貴俊さんが訪れ、入谷の森本さん夫妻と話していました。

 石舞台から15号線を飛鳥川に沿い柏の森の加夜奈留美神社の南側を左に入ってすぐ
右に坂を登り、急坂のヘアピンカーブを2回過ぎると、入谷の入口の
バス停(跡)の前に出ます。入谷と書いた木札が掛けられてありました。
さらに東へ登り、4回目のヘアピンカーブを左に折れると地蔵寺の下に出たので、
我々はその狭い参道の坂に駐車しました。

 地蔵寺の山門は鍵が掛けられており、「水道栓は上の森川様に」と貼り紙が
ありました。左の地蔵堂(?)の格子戸の障子紙は半分くらい破れており、
ビワの白い花が咲いていました。

 その後、東側の坂を登って大仁保神社を訪ねました。
坂の左側の土手には棗(なつめ)の木が赤茶の実を沢山つけていました。

 神社も猪鹿除けの鉄の網戸が閉められていましたが、参拝者などは鎖を外して
下さいとお知らせ書が掛けられていたので戸を開けて石段を境内まで登リました。
本殿の右側に神武天皇、左側に明治天皇の碑がそれぞれ玉垣に囲まれています。
左側からは、入谷のほぼ全部が見渡され、はるかに葛城山の麓が秋霞の中に
見えました。

 神社の左は浄水場でその前の道には雀瓜の実が沢山ありました。
白い実を食べると通草(あけび)のような味でした。

 入谷はメンバーの父方祖母の里なので、寺の下のお家の人に聞くと、
その家は今は入谷にはないようです。
約100軒あった家が約20軒になったようですので、転居されたのでしょう。
インターネットによると、入谷には昔海人族が住んで、壬申の乱のおり
大海人皇子に協力したようです。

       透きとほるほどの白さよ雀瓜    常朝

       奥明日香の峠に高く棗の実     常朝

         (入谷集落)
         (地蔵寺山門)
         (入谷のナツメの実)
         (大仁保神社の鳥居)
         (大仁保神社本殿)
         (大仁保神社からの眺め)
         (大仁保神社下の道の雀瓜)

 その後、飛鳥駅南の「ペンション飛鳥」で昼食をいただき、桜井市の鹿路(ろくろ)
を訪ねました。

 鹿路は、同じ10月9日NHKの番組で浅野温子さん達が桜井市の艸墓古墳を紹介したあと、
訪ねた天一神社や森本英雄さんの工房のある山間の集落です。

 我々は石舞台から細川沿いに多武峰を通り八井平を南下、鹿路トンネル入口手前を
右へ(南へ)山を登って鹿路に行き、まずトンネル西側の鹿華苑(ろくかえん)を訪ねました。
鹿華苑は地元の奥田さんが自宅の土地に草木を育て無料で開放された植物園です。

 下から見上げるとお城のようなお家で、その谷側約3反が鹿華苑です。
谷を渡った駐車場に駐車しピラカンサの赤い実の下の坂を登ると、幅広い階段状の
土地にさまざまな草木が植えられ名札もつけられています。
秋の花は多くはありませんが、青紫のトリカブトの花、紫苑、サツキの赤い返り花、
紅色のトリトマ、赤白混じりのダリアが咲き、ドウダンツツジなどの紅葉も
綺麗でした。通路のミツバツツジに巻き付いた風車は、ふわふわとした白い綿の渦の
ような大きな実をつけていました。イヌホオヅキの赤い実もありました。

 門前に敷かれたムシロには小豆が干してあり、電力メーターの柱には
山芋の蔓が巻きつき沢山零余子がついていました。


       山野草育てる山家小豆干す     常朝

       風車実のふはふはと風を待つ    常朝

         (鹿華苑入口)
         (トリカブトの花)
         (風車の実)
         (トリトマ(赤熊百合))
         (鹿華苑全景)

 その後、鹿路トンネルの東側の鹿路集落にある天一神社を訪ねました。
神社の下の道の右側にはNHKで紹介された森本工房がありましたがご不在でした。

 10段ほどの石段の上には「桜井100選・パワースポット」という表示板があり、
その上の赤い鳥居の奥の境内は30坪位ですが、割り拝殿の周囲に周囲5メートルほどの
大杉が数本林立し、赤い四角の塀で囲まれた大杉がご神体として祀られています。
 
 ご神体の杉には触れられないので、そばの大きな杉に両手を当てて
元気をもらったあと、拝殿のパンフレット「桜井100選」をいただき鹿路を離れました。

 鹿路の交差点から37号線を北上、八井平交差点北側でしばらく停車し、
本居宣長の菅笠日記にある、彼が松阪から多武峰、飛鳥、吉野へ行くとき
通ったという屋形橋(屋根のある橋・再現)を見てから桜井市内へ戻り165号線の
天平庵で小句会後解散しました。

       神杉はパワースポット秋澄めり   常朝

       屋形橋下は滝つ瀬薄紅葉      常朝

         (天一神社ご神体の大杉)       
         (八井平の屋形橋)

 秋らしいお天気に恵まれ、奥明日香の山中の集落や桜井山中の自然を
満喫できた一日でした。

2015年10月13日火曜日

222. 栗拾いから楠公奉建塔

「アカシア紀行・俳句」2015年10月12日(月)    前へ    次へ

 秋らしい良い天気となった体育の日、いつものメンバー6人で、
富田林市のやまびこ園から千早赤阪村の楠公奉建塔を訪ねました。

 やまびこ園は、富田林市の南の低い山中にあり、栗拾い、みかん狩り、芋掘りなどを楽しめる
200メートル四方ほどの観光農園で、富田林「かんぽの宿」、龍泉寺を目標に進むとすぐ近くです。
我々は、9月中旬からのシーズンで今日が最後と言われた栗拾いを楽しみました。

 栗拾いは、一人500グラムまでは料金(1050円)内ということですが、
超えると100グラム100円で買い取ることができます。
逆に500グラム以上は拾わないと売ってもらえません。

 高いのか安いのかわからないような料金ですが、秋の自然を楽しみながら、
なかなか経験できない栗拾いを楽しめるは、値打ちがあるのでしょう。
我々が山を降りる12時過ぎでも、次から次へと家族連れの車が山を登ってきました。

 山上の事務所で料金を払い、日に焼けた係員から、ルールの説明を受け、
袋に入る貴重品以外は、事務所に預けて、栗山への石段を降り、栗山に入りました。

         (栗拾い説明板:クリックで拡大:以後同じ)

 栗山は、周囲2~3百メートル位の山の斜面で、約100本の比較的大きな栗の木があり、
その下にはすでに沢山の「いが」が落ちています。
しかし、落ちている「いが」はすべて空っぽで、栗の実が「いが」の間に落ちていました。

 栗山は急なので、上の人が触れた栗の実が下へコロコロと落ちてきます。
中には、通草の実も落ちていました。枝に残っている数少ない栗を落として
「いが」をあけようとがんばっている人もいます。
かわいい男の子が拾った栗を父親に得意気に見せていました。

 500グラムぐらいはすぐに拾えたのですが、中身の十分ありそうな、
美味しそうな栗だけ残して、あとは山中に撒いてきました。

 出口では、係の男性が、一人ひとりの袋の栗を測り、500グラム以下なら追加し、
500グラムを越えた分は料金を集めていました。
山中で栗を拾うことは時々ありますが、このように栗拾いを、お客に組織的に
させるシステムは始めてで、それなりによく考えられていて面白いと思いました。


       畑坂を転がり来たる栗拾ふ     常朝

       口あけてひょうけてゐたる栗の毬  常朝


その後、近くの「かんぽの宿」のレストランで昼食をいただき、
千早赤阪村の楠公奉建塔を訪ねました。
場所は千早赤阪村役場の南東500メートル、郷土資料館の南です。

 ここは6年前、弘川寺のあと訪ねましたが、見晴らしの良いところです。
案内板の「まさしげくん」に迎えられ、塔の下までの石段を登ると、
高さ13メートルの塔がそびえるように立っており、黄金色に稔った棚田や畑の柿の木が見えます。
また棚田の上に家が数軒立っています。

 塔の裏側へ歩くと、サツキの苗木畑があり、そのうちの2、3本には返り花が赤く咲いています。
さらにその奥には昭和50年建設とある、農水用の水槽が放置されていました。
おそらく植木の苗木畑のスプリンクラー用の水槽だったのでしょうが、
今は水もなく、配管なども錆びていました。
苗木畑も今は手入れされていないようです。

 塔の下の道に戻り、農婦が藁(わら)を束ねている田のそばで猪垣を補修している
男性に色々お聞きしました。
束ねているのはコンバインで一列分だけ藁を刻まないように操作して残した藁で、
西瓜畑などの敷藁にするそうです。
猪垣はコンバインを田に入れるため一部開いたのを元に戻して、
猪が入って暴れないようにしているとのこと。
世間は狭いものでメンバーの生家と多少縁のあった会社に勤務されているようです。


       楠公碑見上ぐ皐月の返り花     常朝

       家の下に棚田稔れる河内かな    常朝

         (楠公奉建塔案内板)
          (奉建塔説明板)
         (奉建塔)
   奉建塔の文字は正成の旗印「非理法権天」で、非は道理に勝てず、道理は法に勝てず、
法は権力に勝てず、権力は天命に勝てないとの意味らしいです。


       (サツキ返り花)    
         (奉建塔裏側の水槽表示板)
         (水槽跡)
         (敷藁を束ねる農婦)

 その後、170号線の「ガスト」富田林店で小句会後解散しました。
暑からず寒からず心地よい風が吹くなか、秋の味覚の栗を十分拾って
意気揚々(?)と帰ったさわやかな一日でした。