2011年1月15日土曜日

116.御所市吉祥草寺、子嶋寺、明日香・柏の森など

「アカシア紀行・俳句」2011年1月13日(木)

 松の内最後の日、いつものメンバー7人で奈良、御所市の
吉祥草寺、子嶋寺などを参詣しました。

吉祥草寺は、茅原(ちわら)の大とんどで有名な寺です。
634年役行者の誕生地で、舒明天皇創建、役行者が開基だそうです。
2度にわたり諸堂を消失、現在の本堂は1349年再建されたとのこと。
当時は東西4キロ、南北5キロの広大な寺だったそうです。
寺への途中城山など奈良の東の山には雪雲がかかり、
西の生駒は青空が見えていました。

国道24号線を奈良方面から南下し、御所市南の三室で右折、川沿いを
北東へ600メートル程の豊年橋を渡り、東へ1キロほどの、玉手交差点の
手前を左折すると吉祥草寺の参道で3、4台の駐車スペースが山門前に
あります。車を降りて、境内に入ると、本堂の前にすでに、
明日14日の大とんどの準備が一部できていました。

境内に、それぞれ直径1メートルほどのとんどの基礎が二つ組まれて
います。
それぞれ、太さ30センチほどの丸太が3本ずつ半分土地に埋められ、
太い藤蔓で縛られています。
この上に立てられる、高さ12尺(4Mほど)のジョウロ形の竹の大束が
そばに置かれていました。
広がった先には藁と茅(かや)の束がすでに埋めこまれています。

 住職が我々を本堂に案内し、本尊と4体の不動明王を参拝させて
くれました。
また小学校の講堂を移築した別堂に案内され、役行者や家来の鬼、
母の白専女(しらとおめ)、ここで勉学されたという弘法大師の
お像などを拝見しました。

お堂を出ると、大とんどの手伝いに来ている一人の80才位の地元の男性が、
色々説明してくれました。本堂に向かって右側が茅原地区の雌とんど、
左側が玉手地区の雄とんどだそうです。
昔、東寺田地区が雌とんどを維持できなくなったので、40年位前から
茅原地区が行うようになったとのこと。(星野さんのコメントにより一部修正)

 観音堂の縁にはまだ組まれていない茅原地区のとんどの藁が積まれ、
薬の石碑の前に沢山の青竹などが置いてありました。
役行者の産湯の井戸、腰掛け石、弁天池のほか、戦没の馬の塔や、
乳牛の碑、大椋の白龍大神の社などもあります。
筆塚には造花と生花の菊が供えてありました。


        城山に雪雲生駒は晴れてゐて     常朝

        筆塚の造花に混ぜて冬の菊      常朝

       (吉祥草寺山門:クリックで拡大:以下すべて)
       (本堂ととんど台)

       (五不動明王像)

       (とんどの写真:北谷氏寄贈)


 その後、御所市内のすし店「夢宗庵」で昼食をいただき、明日香の南、
高取町の子嶋寺に参拝しました。
子嶋寺は近鉄壺阪山駅の北東300メートルほどです。
奈良時代創建、現在は真言宗の寺ですが、国宝の両曼荼羅で有名です。
本物は国立博物館に保管され、本堂には複製の銅板がありました。
お寺の大黒さんと思われる女性が、本尊の大日如来や曼荼羅、
重要文化財の千手観音(今は博物館所蔵)などを説明してくれました。
山門は高取城の城門を移築したそうです。
庭にはすでに紅梅のつぼみが沢山ついており,山門外の冬木には
小鳥の古巣があったので取り下ろして見ました。

        香盤の灰整へて冬の寺       常朝

        山門は城門なりし梅ふふむ     常朝

       (子嶋寺山門)

       (子嶋寺本堂)

       (子嶋寺観音像)


 その後、明日香の栢の森へいき、地区で組まれたとんどを見ました。
勧請縄の雄綱、雌綱の先のやや広い谷で、左が田に所の凹みに
高さ5メートル程のとんどが組まれて先に注連縄がありました。
田の奥には猪垣があり、坂を登ると残雪がありました。

        組み上げしとんどの竹によき日差   常朝

       (柏の森のとんど)


 その後、栢の森の奥の加夜奈留美神社を参拝しました。
加夜奈留美の命は出雲の大穴持命の子女だったらしいですが、
訪れる人も少ないようで、本殿屋根に檜の実生があったり、
賽銭箱の屋根が苔むしていました。
おおきなカリンの木がありますが今は冬木です。
神社の脇の坂を登ると、棚田を見下ろす丘にでます。
九年母の実があったり、枇杷の花が咲き、土手には早くも犬ふぐりが
咲いていました。日陰の棚田には斑雪(はだらゆき)がありました。
帰りに飛鳥川勧請縄の男綱に立ち寄りました。
川には白い幣が落ちていました。

        飛鳥路の奥の棚田に斑雪      常朝

       (加夜奈留美命神社)

       (勧請縄の男綱)


3時半頃橿原に戻り橿原ロイヤルホテルの喫茶コーナーで
小句会後5時頃解散しました。