2018年12月14日金曜日

275. 京都・祇園の事始め

「アカシア紀行・俳句」2018年12月13日(木)    前へ   次へ

 青空の見える師走の中旬:事始めの日、いつものメンバー4人で京都祇園を訪ねました。
目的は年末の祇園の舞妓・芸妓さん達の行事「事始め」を見学するためです。
祇園は2009年節分祭で八坂神社、建仁寺を訪ねて以来9年ぶりです。(参照:アカシア紀行82
 奈良から24号線を北上、阪神高速京都線の鴨川西ICの北側をさらに北上、九条河原町を右折して東大路・清水通りの北の高台寺駐車場に10時半頃駐車し、タクシーで祇園:新門前通りの片山家能楽・京舞保存財団の表札のある井上八千代邸を訪ねました。
片山家や近所の家の門の左右には青竹を曲げた柵:犬矢来(駒寄せ)が置かれていかにも京の古い家並みでした。

 狭い通りの門前には大勢(5、60人?)のカメラマンや見学の人々が道の右側(北側)に並んでいました。
しばらくすると5、6人の舞妓や芸妓さん達が、東側から片山家に入りました。
その後も数分おきに、1人あるいは4、5人と門内に入る一方、時々門から白い箱や袋を抱いて
芸妓さん達がでてきました。 中にはカメラマンの要望があったのか、門前で並んで写真を撮らせたグループもありました。

 邸内の様子はわかりませんが、おそらく舞妓さん達が師匠の井上八千代さん(5世)に挨拶をして、扇をいただいているのでしょう。
たまたま警戒のパトカーが来ましたが、マイクですみませんと断ってゆっくり門前を通り過ぎました。
11時すぎには邸内から報道カメラマン達が大きなカメラを持って出てきました。

 その後、西側の角でタクシーに乗り高台寺に戻って車で花見小路・一力亭の前まで移動し、歌舞練場に駐車しました。
一力亭から挨拶をして出てくる芸妓さん達を花見小路で拝見してから、南側の料亭西坂で昼食をいただきました。昼は以前入った十二段家を訪ねましたが工事中とかで2020年5月まで休業と張り紙がありました。
西坂のお店の人たちは皆和服姿が決まっていました。

 その後建仁寺前を通って 八坂神社南の東大路から奈良へもどりました。

              (師匠宅へ歩く舞妓さん達)           
                (門前の舞妓さん達)
              (片山家)
              (門を出た芸妓さん達)
              (花見小路一力の前)
           
       赤草履音も軽やか事始      常朝

       事始めジェット機高き京の空   常朝


今回は、お天気に恵まれ、久しぶりの祇園の年末行事を楽しむことができました。

 たまたま帰宅後、NHKテレビの「花街の青春」という番組で、祇園の舞妓さんの新入生「仕込みさん」が1年以上も厳しい修業をしてやっと舞妓としてデビューするまでを見ました。祇園言葉、畳に手をついてお辞儀、歩き方など舞のほかにも修業すべきことが沢山あるようです。舞妓になってからもさらに修業して襟替え後、芸妓として活躍するそうです。

2018年11月22日木曜日

274. 京都・木津川市の浄瑠璃寺から沈水橋

「アカシア紀行・俳句」2018年11月21日(水)    前へ  次へ

 秋も深まった11月下旬、久しぶりのメンバー4人で紅葉狩りを兼ねて京都・木津川市の浄瑠璃寺などを訪ねました。
浄瑠璃寺は3年前5月にも訪ねています。(参照:アカシア紀行212

 今回はもともと新そばを味わいたいと、桜井市の「笠そば処」を訪ねる予定でしたが、
水曜日レストランが休みとわかったので、門前の吉祥庵の新そばを目的に浄瑠璃寺を訪ね、10時半ころ門前駐車場に着きました。
ところが吉祥庵もたまたまお休みで、昼食は境内の「あしびの店」ということにして、境内を散策しました。

 紅葉で美しい宝池(ほうち)をはさんで、九体仏を安置する本堂と薬師如来の三重塔が緑の山を背に立っています。

池には紅葉の落ち葉が池面を敷きつめるほど浮いており、鯉が紅葉を押しわけて顔をだしています。岸辺には野紺菊が咲き、万両が赤い実を沢山提げていました。
本堂右の紫色の実をつけた豊国柿の下あたりに子猫が3~4匹いたので頭をなでても嫌がらずに平気でした。

 受付で拝観料400円を収めて、九体仏と特別開扉中の吉祥天女像などを拝観しました。
九体仏のうち二仏は、現在修復中で本堂にはお留守でした。今年夏から5年かけて九体仏を順次修復するようです。
世田谷の九品仏には仏様の名前札がありましたがこの寺の九体仏には、上品上生、中品中生、下品下生などの名札がないのでどの仏様が修復中かはわかりませんが、左端と右から二体目がお留守なのでおそらく下品仏でしょう。

 彼岸の本堂から反対の此岸へ歩き、三重塔を拝観しました。池の周囲の紅葉は日を受けて見事でした。
境内の「あしびの店」でそば定食などをいただき、岩船寺下までドライブしました。

                 (浄瑠璃寺の紅葉)           
                (浄瑠璃寺の本堂)
                 (九体仏:寺の説明書より)
                 (吉祥天女像:寺の説明書より)
                 (三重塔)
              (浄瑠璃寺の境内:寺の説明書より)
                 (あしびの店)
             
       紅葉明かり吉祥天の頬白し      常朝

       日を透かす色こそよけれ冬紅葉     常朝


 そのあと、当尾(とうの)の山中を走り、加茂駅そばから木津川沿い163号線を東へ遡上し、笠置大橋の東3キロの沈水橋を訪ねました。この橋も3年前の出水のあと訪ねました。(参照:アカシア紀行220
今回は水も少なく、低い橋の下のさらに低い川底の石がはっきり見え、橋のたもとには冬芒がまっすぐゆれていました。
上流の水面には冬紅葉が映っていました。橋の南詰を登ると東海自然歩道の案内図がありました。

                 (木津川枕水橋)           
                (枕水橋案内図)             

       沈下橋の底石覗く冬の川      常朝

       沈下橋近き川面に冬紅葉      常朝

 
 しばらく橋の上から川面や山を眺めたあと、奈良に戻り、夢風広場のレストラン「幡Inoue」でケーキセットをいただいたあと、JR奈良駅で解散しました。
深秋の良い天気に恵まれ、加茂山中の美しい古寺や紅葉、木津川の景色などをゆっくり楽しむことができました。

2018年8月5日日曜日

273. 奈良・洞川の龍泉寺

「アカシア紀行・俳句」2018年8月4日(土)    前へ   次へ 

 猛暑続きの8月初旬、いつものメンバー4人で避暑を兼ねて奈良・天川村・洞川の龍泉寺などを訪ねました。洞川は3年前の7月末にも訪ねています。(参照:アカシア紀行218
今回は橿原神宮西口で10時集合し、雲ひとつない8月の青空のもと下市、丹生、黒滝から11時半頃洞川・龍泉寺の駐車場に着きました。
すでにお寺の境内の駐車場は空きが2台しかない状態でした。

 龍泉寺は大峰山修行者のための行者寺ですが、さすがに行者祭の翌日は行者らしい人はすくなく、境内は静かでした。役行者像のある水行場も今回は誰もいませんが、立っていると涼しい風がたえず吹いてきて、さすが海抜820メートルの行者寺です。

 龍の口という湧き水から出る山の清水が境内のあちこちの池を美しく潤しています。
駐車場に近い南側の池には藻の花が咲いており、大鯉が底の砂に影をくっきりと落としてゆっくり泳いでいます。
見ていると、藻の下から大鯉がぬーっと顔を出して驚かされました。
龍の口の岩の説明書では、男の子を生んだ母親が白蛇の化身であると知らされ、自分の目を子に与えて、岩から湧き出る龍の口の泉に消えて、朝夕の鐘を合図に泉から出てきて乳をあげたとのこと。

 また境内には、なでると軽くなり、叩くと重くなるという「なで石」があります。
試しになでてから両手で持つとなんとか上がりましたが、叩くと重くなるというのは、心臓に悪い気がしてやめました。

              (龍泉寺山門-修験門:クリックで拡大、以下同じ)           
                (竜泉寺の前の橋(山上川))
              (龍泉寺前のトイレ)
              (洞川案内図)
              (役行者像と水行場)
              (龍の口伝説の説明板)
              (なで石説明板)
              (なで石(おもかる石))
              (藻の花の咲く寺の池)
              (藻の花)
             
       藻の花の下より大鯉行者寺      常朝

       白蛇の消えしてふ岩清水湧く     常朝

 しばらく境内を散策してから、400メートル程南の「とり長」で鮎の塩焼き定食をいただきました。
混んでおり、7組分待ちましたが、その間下を流れる山上川をのニジマスの群れや鮎を見ました。
1時頃机に坐ってからも30分待ちましたが、充分お腹が空いて鮎も美味しかったです。
窓から道をみていたら、下山したのでしょう、頭襟(ときん)、結袈裟(ゆいげさ)姿で錫杖(しゃくじょう)を持った正装の行者が一人通りました。

 3年前と同じく、洞川の旅館街で胃腸の薬「陀羅尼」と羊羹を買い、東の女人結界を訪ねました。
洞川温泉の旅館街の皿徳旅館のような行者宿は、夏休み中なので、中学生らしい子供たちがおそらく林間学校として、座敷や縁側で楽しそうに話していました。

 結界では絶えず涼しい風が吹く中、父親が男の子に門を見せて子供の写真を撮っていました。

              (とり長のメニュー)                       
               (女人結界)
              (黒滝・道の駅)

       結界の湧き水旨し青葉風      常朝

       行者宿は林間学舎子等の声    常朝

 帰りに駐車料500円を収めて山の湧き水「ごろごろ水」をタンク一杯、ペットボトル3本分もらい、街で豆腐を買い、3時すぎ洞川を出ました。

 途中黒滝の道の駅でソフトクリームをいただき、5時頃橿原神宮西口で解散しました。
下界は最高温度38℃の暑さだったようですが、おかげで暑さ知らずの一日を山の行者町で過ごすことができました。

2018年7月1日日曜日

272. 奈良・村屋神社の夏祓(なつばらへ)

「アカシア紀行・俳句」2018年6月30日(土)    前へ   次へ

 梅雨空の6月末、奈良・田原本町・村屋神社の夏越(なごし)の大祓式(夏祓)に参列しました。
村屋神社は4年前秋祭に訪ねましたが、説明板によると彌富津比売(みふつひめ)神社といい、日本書紀の天武天皇元年(672)の項に、壬申の乱に「村屋神、祝に着りて曰く・・と」天武天皇方に味方したとあるように奈良時代前からあった古い神社です。
(巻28には「村屋神、祝(神官)に神懸かりして、今吾が社の中道より軍衆至らむ・・」とあります)(参照:アカシア紀行199

 3時半前に神社の南側の駐車場(3台分)に駐車し、境内に入ると、すでに結界の忌竹、茅の輪が立てられていましたが、まだ人は数人しかいなくて屋台ひとつリサイクルの食器などを売っているだけでした。店主の主婦の男の子が、1枚おまけだよ、と元気な声をだしていました。
あとで調べたら駐車場(20台位)とトイレは神社のすぐ東の初瀬川(大和川)の西岸にありました。


              (村屋神社:クリックで拡大、以下同じ)         
               (リサイクルの屋台)
              (社務所)
              (神社の説明板)
             

 しばらく境内や南側の梅畑などを見て戻ると,30人位の人が集まり、神主、神官がお祓いの茅束、お供えなどを祭壇に準備していました。

 4時前に祝詞があり、4時から神官、町内の役員、参列者が順に茅の輪を本殿の方向にくぐりました。遅れてきた2,3組の親子連れも茅の輪くぐりを終えた頃、神主の祓えの祝詞がありました。その頃には参列者はカメラマンも含め50人位になりました。

 祝詞の途中、遠くで雷の音がしました。
祝詞が終ったのち神官が紙の人形(ひとがた)を参列者に配りました。神主の指示の通り、人形に3度息を吹きかけて、神官の箱に入れなした。
1才位の男の子を背負った母が、人形を男の子の口に寄せて息を掛けさせていました。

 その後、神官が紙の幣をつけた茅を一本ずつ参列者に配った後、神主の指示のように、その茅で各自が自身を払い、3たび配られた1.5センチ四方の切り幣(ぬさ)を、各自、左からと右から自分かけて自身を祓いました。
切幣は50枚位を同じ幅の紙で丁寧に包んでありました。

              (人:ひとがた)         
              (幣つきの茅を配る神官)

       夏祓の祝詞に応へ日雷      常朝

       人形に嬰も息かけ夏祓      常朝


 すべての祓えの神事が終わった後、神官は結界の縄(恵方の南南東)と茅の輪の縄をカッターで切り、子供たちに茅の輪を初瀬川(大和川)まで運ばせました。


              (茅の輪を運ぶ子供たち)         
               (茅の輪を落とす子供たち)
              (流れ行く茅の輪)

       夏祓終へ結界の恵方切る      常朝

       茅の輪流る初瀬の川の夕風に   常朝


 橋の上から茅の輪、茅束、紙幣などを川に落とすと、それらは、夕方の大和の景色の中をゆっくりと流れて行きました。昔遣隋使などの船が大阪湾から飛鳥の方へ通った川と思えば、また趣きがありました。

 数百年も続いているだろう夏越の神事は、梅雨雲の下、大和国中(くんなか)の川ほとりで無事終りました。
少しむせる感じはありましたが梅雨雲のおかげで暑すぎず、のんびりとした集落の夏祭を経験できました。

2018年6月6日水曜日

271. 奈良・橿原市のシャカシャカ祭

「アカシア紀行・俳句」2018年6月5日(火)    前へ   次へ

 6月初旬の梅雨入り直前の火曜日、奈良・橿原市上品寺町(じょうほんじ)の「シャカシャカ祭」を訪ねました。

 シャカシャカ祭は、五穀豊穣を祈るため、大蛇を神として祀るために、子供たちが藁で編んだ、7メートルもの大蛇を担いで町中を歩く地域の祭です。
昔、人身御供をせまる大蛇がおり、それを村人と若者が退治したので、その霊を慰めるためにはじまったという言い伝えで、大蛇が竹藪を進むとき「シャカシャカ」と音がしたので、シャカシャカ祭と呼ぶようです。

 午後1時半頃、中和幹線(105)と24号線の交差点「葛井町」の北側のアイフル駐車場に駐車し、10分程歩いて、上品寺町の当屋(祭担当の家)の上田さん宅を訪ねました。
上品寺という寺は今はなく、お宅の西隣が浄正寺です。

 長屋門のような立派な門を入ると、すでに100平米ほどの庭に、カメラマン4-5人を含む14,5人が集まっており、2-3人の男性が、筵に坐って、藁束で大蛇を編んでいました。
蛇の口は、1尺ほどの舌となる赤布を咥えており、頭から順に、藁束を差し込み、差し込んだ部分を細縄で順に縛っていきます。30数束をつないで、約7メートル、後ろに2-3メートルの縄をつけて完成です。
担い手の子供たちが昔の20人位から減ったので、大蛇の長さも少し短くしたようです。

              (当屋の上田さん宅:クリックで拡大、以下同じ)         
              (シャカシャカ祭の案内書)
              (大蛇を編む)
              (大蛇を編む2)

  30分ほど休憩後午後3時から、男性(当屋の主?)が庭の机の上で、米粉とお湯で「ちまき」の餅を練り始めました。熱すぎるのでと水を加えたためか、練り上げるのに少し時間がかかりました。
大きな2つの餅を作り、それぞれ3-4枚のハラン(葉蘭)の葉でくるんで紐で縛り、大きなちまきが2つできました。
ちまき作業中、当屋の1才位の坊やが机の前で眺めたりハランの葉で叩いたりして皆の笑いを誘っていました。

 そのちまきを、大蛇の前に置いて撮影後、当屋の坊やと主(祖父?)が、大蛇にまたがり写真を撮ってもらっていました。

             (ちまきを作る)
              (大蛇完成)

 学校の放課後になるまで40分以上、当屋の庭と門前で待ちましたが、4時ころから母親に連れられた幼稚園位の法被姿の子供が数人集まり、近所の人達も合わせて20人以上になりました。中には立派な黒い賢いシェパードを連れた人もいて、行列にも参加していました。
4時15分頃、3才から10才位の法被姿の子供たち12人位が集合したので、大蛇の行列を始めました。

 まず、北側の中和幹線の葛本町西あたりまで大蛇を約150メートルほど進ませ、水を飲ませて休憩後、南約250メートルの上品寺町集会所まで行進しました。途中遅れてきた小学生の2人が行列に加わり、14人となりました。
集会所に到着後、南の大きなエノキの木に、梯子をかけて、大蛇を巻き付け、ちまきを頭の部分にかけて完成です。拍手と子供たちの記念撮影が終わった頃、ぽつりぽつりと雨が降り出して解散しました。

              (子らを待つ人々)
              (いよいよ出発)
              (蛇の行列)
              (榎に巻き付いた大蛇)

       蛇祭子らに大蛇の長さかな    常朝

       蛇祭木に巻く蛇の藁飛ばし     常朝


 帰りは、行きと同じく、車で葛本町から土橋南交差点、京奈和道路、郡山南のルートで、奈良へ戻る途中、やや本格的に雨が降ってきました。

 地域の人たちによる、主人公が子供たちの祭ですが、お天気にも恵まれ、
来訪者の我々にも和やかな気分にさせてくれる、のんびりとした良い夏祭りでした。

2018年5月13日日曜日

270. 京都府・和束の茶畑

「アカシア紀行・俳句」2018年5月9日(水)    前へ   次へ

 立夏後の雨が上がった水曜日、いつものメンバー4人で茶どころの京都府相楽郡の和束を訪ねました。

 9時半頃JR奈良駅で集合し、163号線を東へ、府道5号線を川沿いに北上、白栖橋を左折して、10時半頃まず和束茶カフェを訪ねました。
お茶や菓子など和束の特産品などの売店があり、お店に入るなり小さな紙コップで新茶をいただきました。
新茶や茶団子などを買い、茶摘みなどの見られる茶畑を聞くと、車で行ける場所として石寺茶畑を教えてもらいました。

              (和束の案内図:クリックで拡大、以下同じ)           
               (和束茶カフェ)
              (茶カフェの入口)
              (お店の商品)
              (たくみの寿司-季節の巻物)
              (新茶)

 北側と南の川沿いの道がありますが、通ってきた川沿いの道を通り、和束高橋から北へ500メートル程登り、ベンチのある石寺茶畑の展望所に駐車しました。

 道の東側は大きな丘で一面が見事な茶畑です。除霜ファンがあちこちに立ってゆっくり回っています。
ベンチのそばには矢車草が咲き、手前の土手には、桐、油桐、シュロなどが見えます。
茶畑は、既に一番茶の刈取りが終わっているようで、右奥に刈取機の音がするだけで、茶摘みの人は見えませんでした。丘の左右に鶯の鳴き声が聞こえました。少し歩くと軒にアルミ缶の風鈴?を釣る家があり、茶畑の端には廃屋もありました。

              (石寺の茶畑)           
               (石寺茶畑南側)
              (石寺茶畑の説明板)
              (近くの家のアルミ缶風鈴?)

       老鶯や視界いっぱい茶の畑    常朝

       茶畑の端に廃屋風香る      常朝

 12時頃白栖橋へ戻り、運動公園のそばのレストラン「たくみ」 に行き、茶カフェの店で見た筍寿司を
注文しました。筍寿司といってもほとんどは新鮮な魚や卵の寿司でしたが、一つだけ筍が載った寿司が
旬の香りがして柔らかくおいしかったです。
 
 1時半頃、お店を出て白栖橋の北東、約1キロの和束中学校の北東300メートルほどの八坂神社を訪ねました。
海洋センターの前を通って東へ最初の四つ角を右へ登るのですが、道が狭く急坂でした。
神社は小さい社2つですが、樹齢1300年、高さ31メートル、幹周り13メートルもの巨大な八本杉が立っています。

 一台分がやっとの坂の駐車場に駐車できました。たまたま一人の男性が草刈りをしていたので聞くと、地区の区長さんで、一人で神社と神域を守っておられるようです。
小さい草がぎっしり生えているのでこれ以上は除草剤を使うしかないと言っていました。
鶯が数羽、八本杉のあちこちで鳴いていました。

              (八坂神社と大杉)           
               (大杉の説明板)

       老鶯の四五羽ゐるらし巨大杉    常朝

       草刈りて区長の守る八岐杉     常朝

 その後、奈良へ戻って喫茶店を探しましたが、あいにく水曜は休みの店が多く、結局お茶なしで3時頃解散しました。午後は天気も良くなり、お茶の香りがいっぱいの爽やかな皐月の一日でした。