2015年9月24日木曜日

221. 月待ちの宴から平城京跡

「アカシア紀行・俳句」2015年9月23日(水)    前へ   次へ

 好天が続いた秋の5連休の最後の日、いつものメンバー6人で、
奈良のメンバーの自宅で月待ち会をしました。
旧暦23日は二十三夜待ちの日で、昔は深夜に出る二十三夜の月を待つため、
集まって供え物をしたり食事を楽しんだとのことです。

 この日は新暦23日なので月齢は9.8、月の出は午後2時で、月を待つ必要はありませんが、
我々も故事にならい、部屋の隅に机を出し、月見団子とススキと萩の代わりの紫苑(よなべばな)
を活けて月に供え、ちょっと早いですが午後3時集まり、雑談と宴会を楽しみました。

 庭の金木犀はまだ蕾ですが秋風が香りを送っていました。
5時頃から宴をゆっくりすすめ、6時半頃お月見のため平城京跡へ移動しました。

       月待ちに寺の後継ぎ話出て      常朝

       よなべばな青磁に活けて月を待つ  常朝


 平城京跡の駐車場は5時で閉まっていたので、道の北側の空き地に駐車し、
草原のなかの道をゆっくり歩きました。

 駐車場入口から歩き始めるとすぐに虫の声があちこちで聞こえ、
なかでも、「チンチロリン」とかわいい声で松虫が鳴いていました。
鉦叩や邯鄲(かんたん)は聞き取れなかったですが、コオロギの色々な声が、
混じりあって虫の合唱コンクールのようでした。

 空の三分の一くらいはうろこ雲がうすくかかって、その中にきれいな半月(十日月)が見え、
待っていると雲から完全に出て明るくなりました。

 西のほうの木の間には 大極殿がライトアップされて美しく見え、
南側には、イトーヨーカドーや朱雀門らしい建物が明るくみえます。
時おり、機灯を美しく点滅しながらジェット機が西から東へ飛んでいきます。
夜7時前から平城京跡の夜の大空と半月、虫の声を楽しんで8時前解散しました。


       文字通りチンチロリンと虫鳴けり  常朝

       うろこ雲出し月照らす大極殿    常朝


 この時期の夕刻平城京跡に数千羽集まったはずの燕達は、もうすでに草の中で寝ているようで、
静かでのんびりと過ごした、さわやかな一日でした。

2015年9月11日金曜日

220. 奈良・般若寺から恭仁京跡など

「アカシア紀行・俳句」2015年9月10日(木)    前へ   次へ

 台風18号が日本海へ去り、数日間の雨模様が終わった日、
いつものメンバー6人で、奈良・般若寺などを訪ねました。
(同じ日、東北地方の線状降水帯のため堤防決壊など大水害がありました)

 般若寺は、いただいた案内書によると、飛鳥時代高句麗僧・慧法師によって開かれ、
聖武天皇が大般若経を基壇に納め卒塔婆を建てられたのが、寺名の起こりとのこと。
平家による南都攻めで燃やされ、鎌倉時代に叡尊上人らの力で再建されたようです。
 
 いまは、コスモスの寺として参拝者が絶えないようです。
我々が500円を納めて入山すると、入口には山吹の返り花がきれいに咲き、
秋海棠がうす紫の花を参道に散らしていました。

 あちこちに石仏があり、周囲にはきれいにコスモスの花壇が作られています。
花壇や広島長崎の火を灯す平和の塔などを見ていたら、
年配の男性が、この寺には重要な文化財は色々あるが国宝は楼門だけとか、
叡尊上人が般若経に縁のある文殊菩薩像をこの寺の本尊にしたとか、
おそらく日本一高い十三重の石塔の基部の面は普通梵字だが、
この寺のは釈迦如来など仏像の線刻だとか、笠塔婆は見なさい、
とか色々ガイドをしてくれました。
冊子マイ奈良の表紙写真を提供しているとのこと。

 昔訪ねた時はなかった石柱の句碑、たとえば正岡子規の

       般若寺のつり鐘ほそし秋の風

の句碑などがあちこちにあります。
   
 コスモスの間をぬって、楼門、経蔵、笠塔婆、本堂を拝観しました。
本堂で文殊菩薩を参拝していたら高い鈴虫の声が聞こえたので、
スピーカーの音かと思って堂内をよく見ると、右手の叡尊像のすぐ左に
ガラスの箱があり中で本物の鈴虫が鳴いていました。

 叡尊の五鈷杵(ごこしょ)の鈴の音が大変よかったので「鈴虫」と
呼ばれていたことに因んで、篤志家が鈴虫を寄贈されているようです。

       般若寺の八重山吹の残り花    常朝

       秋桜ゆれて微笑む石仏      常朝

         (般若寺案内図:右下入口:クリックで拡大:以後同じ)       
          (石仏とコスモス)
         (十三重石塔)
         (ひつじ草)    
         (子規の句碑)
         (楼門)
         (笠塔婆)
         (本堂)

 その後、寺の向かいの植村牧場のレストラン「いちづ」で昼食をいただき、
加茂駅前を通って木津川(加茂大橋)を渡り、恭仁京跡を訪ねました。
途中から雨となりましたが、十分くらい待つと小止みになりました。
駐車場西の大極殿跡は草原ですが、大きなイチョウの木から銀杏が
落ちており、赤や白のウマゴヤシ(クローバー)の花が咲いています。

 大極殿跡の右(北)から細い流れが、宮跡を抜けて、南の木津川の方へ
澄んだ秋の水を流しています。広場の東の端の国分寺跡の礎石には、
柿の実がいくつも落ちていますが、殆ど鴉がいたずら喰いをしていました。
広場の木の根元には10センチほどの白いボールのような茸(オニフスベ)
があり、割ってみると、白いマシュマロのようで美味しそうでした。
すぐ横に大きな赤黄色の乳茸(チチタケ)が10センチ位の傘を広げていました。

 前回訪ねた時は、隣の恭仁小学校の生徒が遊んだり木の実を
拾っていましたが、今日は誰も出ておらず、雨模様の中、体育館の
補強工事の業者の人が数人動いていました。

       柿の実のあまた落ちたる大礎石   常朝

       宮跡に乳茸紅し雨上がり      常朝

         (植村牧場いちづ)       
         (恭仁京大極殿跡)
         (恭仁京大極殿跡のイチョウ)
         (恭仁京跡のオニフスベ)  
         (国分寺跡)

 その後、笠置のトンネルを越えてすぐ右の旧「笠置観光ホテル」の廃墟を
少し見たあと、500メートルほど先の沈下橋を訪ねました。

 台風18号のため増水した木津川の水面すれすれに欄干のない
幅2メートル程のコンクリート橋が、水流に耐えていました。
坂の空き地に駐車させてもらい、橋の上をしばらく歩きました。
橋桁の底の面を洗いながら水が流れ、下流側には渦が巻いて
沸き上がるようでした。

 しばらくすると、地元の人の軽自動車が通られたので聞くと、昨日は水面は
橋より2メートルも高かったとのこと。坂の土手を見ると、確かに2メートル程の
高さの草の葉に砂がかかっていました。

       沈下橋の渦沸き上がる秋出水   常朝

       仙人草土手にありたる沈下橋   常朝

         (旧笠置観光ホテル廃墟)       
         (笠置東の木津川枕水橋)

 その後、奈良の植村牧場のレストラン「いちづ」で小句会ご解散しました。
台風一過の爽やかながら、暑いほどの日差のあと通り雨がくるような
めまぐるしい天気の一日でした。