2017年7月25日火曜日

253. 奈良・着せ替え地蔵の地蔵盆

「アカシア紀行・俳句」2017年7月23日(日)    前へ 

  4、5日続いた猛暑のあとの日、奈良・伝香寺の地蔵盆にメンバー4人で参列しました。
 
 伝香寺は、奈良時代鑑真和上の弟子思託(したく)律師が771年に開いた寺を、1585年奈良の大名筒井順慶(じゅんけい)の母がその菩提を弔うために復興し、その後筒井氏の菩提寺となったとのことです。JR奈良駅の東500メートルほど、率川神社の南にある律宗の寺で、奈良三名椿の一つ「散り椿」と「はだか地蔵」で有名です。

 我々が寺のすぐ北側の駐車場に着いたのは午後3時すぎですが、入山料300円を納めて
山門から入ると奥の境内に幼稚園があり、盆踊りの櫓から提灯が掛けられていました。
いくつかの大きな鉢に蓮の花が咲き、青い実もありました。

 北門を入って左には弁財天のお堂があり、南側に筒井家の五輪塔などと順慶堂があります。順慶堂には僧形の順慶法印座像が祀られています。

 右手には大きな散り椿(武士椿)があり、下に大阪城から移設されたという大きな礎石が
あります。奥には中世の供養石仏や瓦焼きの涅槃図が置いてありました。

       幼稚園見ゆる山門蓮の花      常朝

        (散り椿説明板:クリックで拡大、以下同じ)
        (順慶堂の法印像)
        (本堂の地蔵像)
        (本堂内の地蔵と釈迦如来像)
        (瓦の涅槃像と供養石仏)

 突き当りを右へ折れると五間四方位の本堂で、まだ参列者は20人位でしたが、
4時からの法要を待って坐っていたので、我々も椅子をお借りして座りました。

 本堂の正面は釈迦如来像ですが、その前に、地蔵盆の期間中のみ、左手(西)の
地蔵堂から移された地蔵像が置かれてあります。
高さ1,5メートル位の御像ですが、背中に立派な光背があり右手に錫杖を持って
緑衣に黄色の袈裟を掛けて、気品のある地蔵様です。

 4時になると住職のご子息らしい小学生の男子が住職の指導を受けて、
お像の前の香盤に線香を数本並べました。

 耳が痛くなる程の鉦の音で、法要がはじまりました。
鉦が鳴っても他の僧侶が本堂に来ないので、住職は「来ませんね」などと
言って参列者を笑わせていました。
そのうち、住職および住職の父上らしい方と合わせて4人の僧侶が揃い、
本堂東側に座られ、読経が始まるとすぐ住職ともう一人の僧が立ち上がり、
地蔵様の着せ替えを始めました。

 撮影許可ということで、着せ替えの途中何度かお像の前を開けて、
写真を取りやすくしてくれました。

 30分位で着せ替えが終わり、緑衣から美しい橙色の衣になりました。
はだか地蔵なので、下着である下裳(したも)を替えるときも、
下半身が見えないように、二重に重ねてから、手際よく元の下裳をはずしていました。
地蔵様は男性でしょうか女性でしょうか。
 着せ替えが終わってから参列者(60~70人)が順次地蔵様にお参りして、
お守り(有料ですが)をいただいたりしました。
解散後も住職は本堂に坐り、参拝に来る親子連れや子供達に丁寧に、合掌の仕方などを
教え、御札を渡したりしていました。

       参列者笑わす僧も地蔵盆     常朝

       はだか地蔵着せ替ふ二僧汗拭ふ  常朝

        (地蔵堂と蓮の花)
        (着せ替え前の地蔵様)       
        (着せ替え中の地蔵様)
        (はだか地蔵)
        (着せ替え後の地蔵様)

 5時前に本堂を出て、順慶堂の前でしばらく待って、いさがわ幼稚園の盆踊りを見ました。
幼稚園ではかき氷や、焼きそば、団子などのバザーもあり、浴衣姿の園児達が
盆踊りの櫓に登って、写真を撮ったり遊んだりしていました。
6時頃、100人位の園児が櫓の周囲に丸く並んで、地蔵音頭(?)の音楽に合わせて
踊りました。途中の掛け声はとても元気で、見ている大人達も元気づけられました。

       園児らの掛け声空へ盆踊り     常朝

        (いさがわ幼稚園の盆踊り会場)       
        (盆踊りの園児達)

 その後、夕食でもと三条通りのワシントンホテルへ移動しましたが、
あいにくレストランは全席予約で、やむなくガストで夕食をいただき7時過ぎ解散しました。
 すでに夏土用ですが、開け放たれた本堂の縁には時々良い風が届き、
子供達のダンス付きの珍しい地蔵盆でした。

2017年6月29日木曜日

252. 奈良・橿原のすもも荒神祭

「アカシア紀行・俳句」2017年6月28日(水)    前へ  次へ 

  梅雨晴れ間の日、奈良・橿原市「すもも荒神」祭をいつものメンバー6人で訪ねました。
 
 すもも荒神は、橿原市今井町の北・小網町に古くから伝わる「荒神」を祀る祭で、
橿原市では、一番最初の夏祭です。
荒神様は三宝荒神ともいい「仏法僧」の三宝を守る三面六臂の神で、火の神、かまどの神と
なり、水神様と共に昔から台所の神様です。

 この荒神様は、橿原市のホームページによると、大昔飛鳥川の大洪水に残されたこの地に
見つかった木彫りの荒神像を、小網町の人たちが霊験あらたかなご神体として祀り、
今は2メートル四方位の小さなお堂に祀られています。

 我々は橿原市の169号線沿いのレストラン「さと」橿原北店に4時半頃集合し、
そこからタクシーで会場のある八木西口駅の西側の奈良建設会館前まで行きましたが、
タクシー運転手のだれも「すもも荒神」祭は知りませんでした。

 会場につくと建設会館前の道路の両側に20位の屋台(干し店)があり、
浴衣の子供達が親たちにキャンデイーなどを買ってもらい、うれしそうな顔で元気な声を
出していました。

 お堂前のテントには地元小網町でしょうか、20人位の浴衣姿の男女が集まり、
団扇を使いながら開会を待っていました。
午後5時頃神主が見えて、荒神祭が始まりました。

 地元の祭なので、特に笛や太鼓はなく、神主のお祓いで静かに始まりました。
祝詞の前には神主は汗を拭いていました。
祝詞のあと、いっせいに二礼二拍手の拝礼と代表2名による玉串奉奠があり、
20分位で式は終わりました。

 あとでお参りついでにお堂の祭壇を拝見すると、いくつかの果物の中に
見事な赤紫の「すもも」が脚付きの盆に盛られていました。

 お堂の裏側の川べりに行くと、参加した浴衣の女性たちがテントの下で、
川風に吹かれながら冷茶などで直会(?)をしていました。

 道路の西側に小網町の池があり、金網に囲まれた土手の一部に羊3匹が草を食べていました。
「ひつじさんの草刈り」という旗が風に揺れていました。

 黄色い金鵄橋の西側でタクシーを待つ間、南側の赤い蘇武橋(そぶ)に行くと、
樹齢420年の榎が青葉を茂らせていました。

       荒神へ揃ひの浴衣拍手せり     常朝

       荒神に供ふ見事なすもも盛る   常朝

       畦草食む羊ら見ゆる荒神祭    常朝

        (荒神お堂:クリックで拡大、以下同じ)       
    (すもも荒神の屋台)
    (荒神祭参列者)
    (荒神様祭壇)
    (お下りをもらった子供達)
    (草刈りをする羊さん)
    (ひつじさんの草刈りの旗)
    (小網町の池)

 6時頃タクシー2台で橿原の「さと」に戻り、6人で夕食をいただいて解散しました。
梅雨晴間の天気で日差は暑いくらいでしたが、飛鳥川の川風もあって、
久しぶりに6人で今年最初の夏祭りを楽しむことができました。

2017年6月6日火曜日

251. 奈良・丹生川上神社中社の水神祭

「アカシア紀行・俳句」2017年6月4日(日)    前へ   次へ

  梅雨前の爽やかな日、奈良・東吉野の水神祭に参加・拝見するために、
いつものメンバー3人で丹生川上神社中社を訪ねました。(参照:アカシア紀行226

 水神祭は、神社の祭神である水神「ミズハノメ:罔象女神」に感謝、事業の発展、繁栄、
豊水を祈願する祭です。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3つあり、中社は東吉野村の小(おむら)地区に、
上社は川上村の大滝ダムの南岸の上に、下社は下市町の丹生地区にあります。

 我々が神社に着いた9時半頃は、まだ車が2,30台程が境内に駐車していただけ
でしたすが、祭が始まる10時半頃には、約50台が境内や道路に駐車するほどでした。
参列者は礼服を着た会社員らしき人が多く、水に関連した電力会社、電機会社などのようでした。
 拝殿には200席以上の椅子が並べられ、祭壇には酒や供物が置かれており、
柱には大きな旙が掛けられていました。

 式まで時間があったので、境内を散策し、茨木和生先生や原石鼎の句碑を拝見したり、
句碑にある衝羽根の木や朴の木を見ました。
衝羽根の青葉には薄緑の十字形の苞が付いていました。
中心の花は小さくて見えませんが、秋になるとその裏側に衝羽根の実がつくのでしょう。
また境内の走り根にはけやきの若葉が数十枚付いていました、

 そのうち、神馬の白馬と黒馬が境内に来ました。白馬は男性、子馬のような黒馬は女性が手綱を引いています。黒馬は眠そうだったので、女性は黒馬に境内をぐるぐる回らせていました。

 10時半頃、拝殿の椅子は満席になり、太鼓の音で水神祭が始まりました。
拝殿左の榊の木の前に置かれたお祓台で神主と4人の神官が順次お祓いをして、
へぎ板の小桶に榊の葉を入れて拝殿へ運びました。

 楽人5人による雅楽が流れる中、式が進んで二頭の神馬が拝殿の前に並んで、
神主が水神への祝詞を上げました。その後拝殿で舞楽・納曽利(のそり)が一人の舞人に
よって奉納されたあと、参列者の玉串奉奠が続き、12時頃水神祭が終わりました。
納曽利の面は下顎が紐で吊り下げられており、すき間から舞人の目が見えていました。
舞衣装を脱いで楽人にもどると、きりりとした若者でした。

       納曽利舞ふ人は若人水神祭     常朝

       狭き空雲の流れて水神祭     常朝

        (丹生川上神社中社拝殿:クリックで拡大、以下同じ)
    (衝羽根の十字の苞)
    (祓戸の台)
    (お祓いをする神官)
    (神馬)
    (納曽利の舞人)

 解散後神社の東の「東の滝」まで歩いて、その滝壺の淵「夢淵(ゆめのわた)」を見ました。
滝は高さ5メートル位ですが、2本の滝水が岩に当たって交差する珍しい光景です。
夢淵は、神武天皇が東征の折、この淵に厳瓮(いつべ)を沈めて、天神地祇(てんじんちぎ)を敬祭せよとの天神の夢の訓(おしえ)があったことに因むようです。
直径5メートル位の淵ですが深くて底は見えません。
下流の石川原では河鹿の声が聞こえ、若者たちがバーベキューの準備をしていました。

 帰りに「魚見の石」を見ようと、社務所で教えてもらった小(おむら)集落の説明板を
見ましたが、石は夢淵の近くにあったらしいですが、標識が何度も洪水で流されて、
今はその説明板のみらしいです。

 鷲家口のレストラン「あしびき」で昼食をいただいたあと、北側約100メートルの
八幡神社の桂信子の句碑を見ました。

 八幡神社は檜皮葺の屋根と朱塗りの塀が美しい神社ですが、すべての屋根と門に
菖蒲が葺かれていました。旧暦の節句だそうです。

       滝水の切り結びをり夢の淵     常朝

       河鹿鳴く川瀬に光あふれゐて   常朝

       伊勢みちの句碑ある社菖蒲葺く  常朝

        (東の滝への橋)       
    (東の滝)
    (夢淵)
    (魚見石の説明板)
    (鷲家の八幡神社)
    (桂信子の句碑 おのづから伊勢みちとなる夏木立)
    (鷲家八幡年中行事)

 その後は来た道と同じく、166号線の佐倉峠、大宇陀町、165号線女寄峠を通って、
橿原神宮駅に戻り解散しました。
2年ぶりの東吉野村でしたが、爽やかな青葉の風に恵まれた一日でした。

2017年4月9日日曜日

250. 奈良・法隆寺の仏生会

「アカシア紀行・俳句」2017年4月8日(土)   前へ  次へ

  4月の花祭の日:お釈迦様のお誕生日をお祝いする仏生会の参加するために、
いつものメンバー3人で奈良の法隆寺を訪ねました。
仏生会は仏教の行事なので、いわゆるお花祭りとして各地のお寺で行われ、
私の子供の頃は薬缶を持って田舎の近くの寺の花祭に行き、沢山の花で屋根を飾られた
花御堂の中の誕生仏に甘茶をかけたあと、薬缶に甘茶をいただいて帰りました。
甘いものが少なかったので嬉しかったです。

 9時前、JR法隆寺駅で集合し、車で法隆寺の西側の駐車場に駐車し、
境内をゆっくり歩いて、五重塔手前の改修工事中の中門を過ぎて、聖徳太子を祀る聖霊院、
旧の宝蔵院であった綱封蔵から東側の食堂(じきどう)手前の細殿前に行きました。
右手の鏡池のほとりには、子規の句碑「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」があります。
境内の桜はほぼ満開で、これほど桜があったのかと驚きました。
昨夜の雨粒が残っている花びらは特にきれいでした。
また聖霊院の檜皮葺もまだ濡れており、それらが満開の桜にいろどられていました。

       聖霊院の桧皮濡れゐて初桜      常朝

       花びらにつく雨粒のなほ白し   常朝

        (法隆寺境内配置図:クリックで拡大、以下同じ)
    (改修工事中の中門)
    (綱封蔵)
    (鏡池)
    (子規句碑:柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺)

 まだ早かったので手前の垣は閉じられていましたが、9時半頃垣が開けられ、
細殿を通って食堂に入り、右手に30脚ほど準備された椅子に座りました。

 中央は祭壇の上に高さ2メートルほどの厨子に入られた釈迦像があり、手前の段に
和菓子、野菜、果物のお供えの脚付き皿が置かれ、下の段には
法隆寺の丸い鳳凰紋のあるテーブルクロスが掛けられ、菊、百合、金盞花、ストックなど
色々な花がぎっしり詰められた4つの大きな鉢に囲まれた灌仏皿の中に高さ30センチ位の
誕生仏が左手を高く上げて立っています。
その前には(多分)甘茶と聖水が入れらた大きな2つの鉢があります。

 10時前11人の僧と1人の尼僧が食堂正面の上げられた蔀戸(しとみど)から入り、
左手に着席され、中央の祭壇にはその内の1人の僧侶が座り、法要が始まりました。
その頃にはすでに、椅子席は満席で、後ろに数十人の参列者が立っていました。

 お経はまるで合唱のような重低音で意味などわかりませんが、厳かな感じでした。
お経の途中で何度かそれぞれの僧が散華(絵札を地面に撒く)をしました。
そのうち、僧が一人ずつ誕生仏の前に進み、甘茶を3回、聖水を1回ずつ掛けたのち、
般若心経をゆっくり唱え、法要が終わりました。

 僧侶が退出後、係の方から、参列者それぞれ、3枚ずつ散華をいただき、
案内にしたがって参列者が一人ずつ、誕生仏に甘茶と聖水を掛けてお祝いをしました。

       食堂に散華の音や仏生会       常朝

       お祝ひに洋菓子もがも仏生会   常朝

        (食堂手前の細殿)       
    (誕生仏:斑鳩町観光協会ホームページより)
    (布穀薗(ふこくえん)の旧男爵邸)

 その後、夢殿の南150メートルほどのレストラン布穀薗(ふこくえん)で竜田揚げランチなどの
昼食をいただき、12時半ころ法隆寺駅で解散しました。
ここは旧北畠男爵の屋敷で、男爵邸と呼ばれていたそうで、庭に満開の枝垂れ桜と
瓦葺きのアーチ型の門のある古い屋敷もあり、レストランは長屋門を改装したそうです。

 雨上がりで快晴ではなかったですが、暑くも寒くもなく、桜満開の法隆寺の仏生会は
静かで厳かで、他の東大寺や興福寺などの観光客の多い賑やかなお祭り気分の
花祭とは違った、落ち着いた味わいがありました。

2017年3月25日土曜日

249. 奈良・蓮長寺の彼岸会

「アカシア紀行・俳句」2017年3月23日(木)    前へ  次へ

  3月下旬のお彼岸の日、いつものメンバー3人で奈良市・蓮長寺の彼岸会に参列しました。
蓮長寺は近鉄奈良駅の西、約300メートルほどの登大路にあります。

 蓮長寺はもとは奈良時代末期東大寺の別院として建てられた喜見城院で、
鎌倉時代、日蓮上人が南都六宗研鑽のため各寺を訪ねられたとき拠点として滞在されたのち、
応仁の頃日蓮宗の寺に改宗され、寺の名も蓮長寺とされたようです。
本堂は江戸時代初期再建された重要文化財です。

 我が家の墓もここにあるため時々墓参りなどで訪ねていますが、彼岸会は初めてです。

 9時過ぎ本堂前に駐車した時はまだ車は他に一台しかありませせんでした。
お墓参りをして本堂前に戻ると、20才位の学生らしい外人女性が、本堂などを
見学しており、我々に開化天皇陵への道を聞いたので教えました。
どこからと聞くと香港とのこと。
奈良の外人観光客は多いですが、蓮長寺や開化天皇陵まで訪ねるとは、
よほど日本歴史や仏教に興味があるのでしょう。

 参列者席に座り、本堂の内陣や彼岸会の五色の幡(ばん)、並べられた400以上の塔婆、
天井の龍の図などを見ました。
10時頃には参列者席もほぼ一杯の60人位になり、ご住職と7人の僧が渡り廊下を
通って本堂に入り、法要が始まりました。
開経偈のあと、法華経2番方便品(ほうべんぼん)、12番提婆達多品(だいばだったほん)が
唱えられましたが、12番は特に楽僧の叩く鐘、太鼓や木魚がリズミカルに激しくなり迫力がありました。

       香港の女来ている彼岸寺     常朝

       天井の龍もこそ聞け彼岸経    常朝

        (本堂の龍の図:クリックで拡大、以下同じ)       
         (彼岸会の内陣)
         (彼岸会の塔婆)

 12番読経後、ご住職が合図をされたので、参列者は席を立って、それぞれ塔婆の前に進み、
置かれている焼香台で焼香し、客殿に進みました。客殿ではそれぞれに弁当と菓子(あんぱん)が
入った紙袋が渡され、殆どの人は客殿の長机でお昼をいただきましたが、
我々は失礼して、弁当を持ち帰り自宅でいただきました。
客殿入り口の間では、後継ぎで立正大学在学中のご長男とご長女が坐って参列者に挨拶していました。
お寺を辞すとき、本堂ではまだ読経は続いていました。

 彼岸にいる父母や義姉のおかげでしょうか、
やや寒いながらも周辺の梅や椿も満開で、良い天気に恵まれた彼岸の一日でした。

2017年3月11日土曜日

248. 奈良・賀名生梅林から皇居跡

「アカシア紀行・俳句」2017年3月9日(木)    前へ  次へ

  3月上旬の日差があっても寒さの残る日、いつものメンバー4人で
奈良・五條市の賀名生(あのう)梅林と皇居跡を訪ねました。

 梅林は13年前(2004年)3月8日訪ねましたが、その頃はまだあまり梅が咲いていなかったと記憶しています。

 今回は9時すぎ橿原神宮駅西口で集合し、整備されたキトラ古墳の公園を通って、
大淀町阿田を通って五條市の大川橋を南へ渡り、10時すぎ西吉野町賀名生に着きました。
阿田を通る頃、少し雨が降りましたが着く頃は雨は止んでいました。

 トンネルを抜けて川を渡ればすぐに右に登る道があり、案内版があって、
時計回りに、口の千本、見返り千本、東雲千本、奥の千本、西の千本、振り返り千本と
一周できる一方通行の道が描かれています。

 我々は、駐車のできる場所を探して、最初に見返り千本の吉本農園の茶店を訪ねました。
狭いながら5、6台の駐車があり、お店では、吊し柿、蕗の薹、生姜、ミョウガなどを
売っていたので、それぞれが買物をして、テーブルでお茶をいただきました。
梅は、5分咲き以上に咲いており、軒には三椏の花が咲いていました。

 その後、車で坂を登り西の千本の梅本農園の店に立ち寄り、草餅を買いました。
見晴らしはそのあたりが最高で、紅梅、白梅も6分咲き以上でした。
麓に降りると宮川沿いの道に多目的広場の駐車場があり、そこでよもぎの香りの
草餅をいただきました。

 広場は10台以上の駐車ができ、見上げる周囲は梅ばかりで満開に近い梅もあります。
そろそろ食堂を探しに出ようとしていたら、駐車した車から20キロ以上離れて住んでいる
弟が友人と降りてきました。
同じ日に梅見に出るのも珍しいのに、同じ時刻に同じ場所に来るとはと、互いにびっくりしました。弟達はこれから梅見に行くとのことでした。

       隧道をいくつ潜りし梅見かな   常朝

       六分咲きいや八分かと梅談義   常朝

        (茶店から見える賀名生梅林:クリックで拡大、以下同じ)       
         (賀名生梅林茶店の店台)
    (西の千本の茶店駐車場)
    (西の千本からの景色)
    (多目的広場からの梅林)

 その後、南の五條市市役所西吉野支所の手前を左折して20号線、137号線を通って
一ノ木ダムの東の百谷のレストラン「創今」で朴葉寿司定食をいただき、2時前に
賀名生皇居跡に戻りました。

 皇居跡は藁屋根の大きな民家ですが、入館は予約必要、しかも今は見学中止中で、
庭を拝見したり、そばの哲学者・神大名誉教授であった塩尻公明記念館の写真を撮ったりしました。(皇居跡の予約方法は五條市のホームページ:堀家住宅賀名生皇居跡 を参照)
門の左に白い大きな花の梅古木がありました。
賀名生歴史民俗資料館の前の道を登って五条高校賀名生分校跡や北畠親房公の墓を拝見しました。

       南朝の藁屋根ゆかし梅の花    常朝

       朴葉寿司青き蕨も載せられて   常朝

        (創今レストラン)
       
         (塩尻光明記念館)
    (賀名生皇居跡)
    (賀名生皇居跡説明板)
    (北畠親房公墓より皇居跡)
    (北畠親房公墓)


その後168号線五条・本陣から24号線で北宇智駅近くの住川交叉点を右折し、120号線、
309号線から戸毛交叉点右折で再び133号線北上、郡界橋から35号線で橿原神宮西口経由
橿原観光ホテルへ戻りケーキと紅茶などいただいて4時半頃解散しました。

 帰り道でも少し雨がちらつきましたが奈良へ着く頃は止んでおり、
弟達との奇遇と変わり易いながらもお天気に恵まれた探梅行でした。