2017年3月11日土曜日

248. 奈良・賀名生梅林から皇居跡

「アカシア紀行・俳句」2017年3月9日(木)    前へ 

  3月上旬の日差があっても寒さの残る日、いつものメンバー4人で
奈良・五條市の賀名生(あのう)梅林と皇居跡を訪ねました。

 梅林は13年前(2004年)3月8日訪ねましたが、その頃はまだあまり梅が咲いていなかったと記憶しています。

 今回は9時すぎ橿原神宮駅西口で集合し、整備されたキトラ古墳の公園を通って、
大淀町阿田を通って五條市の大川橋を南へ渡り、10時すぎ西吉野町賀名生に着きました。
阿田を通る頃、少し雨が降りましたが着く頃は雨は止んでいました。

 トンネルを抜けて川を渡ればすぐに右に登る道があり、案内版があって、
時計回りに、口の千本、見返り千本、東雲千本、奥の千本、西の千本、振り返り千本と
一周できる一方通行の道が描かれています。

 我々は、駐車のできる場所を探して、最初に見返り千本の吉本農園の茶店を訪ねました。
狭いながら5、6台の駐車があり、お店では、吊し柿、蕗の薹、生姜、ミョウガなどを
売っていたので、それぞれが買物をして、テーブルでお茶をいただきました。
梅は、5分咲き以上に咲いており、軒には三椏の花が咲いていました。

 その後、車で坂を登り西の千本の梅本農園の店に立ち寄り、草餅を買いました。
見晴らしはそのあたりが最高で、紅梅、白梅も6分咲き以上でした。
麓に降りると宮川沿いの道に多目的広場の駐車場があり、そこでよもぎの香りの
草餅をいただきました。

 広場は10台以上の駐車ができ、見上げる周囲は梅ばかりで満開に近い梅もあります。
そろそろ食堂を探しに出ようとしていたら、駐車した車から20キロ以上離れて住んでいる
弟が友人と降りてきました。
同じ日に梅見に出るのも珍しいのに、同じ時刻に同じ場所に来るとはと、互いにびっくりしました。弟達はこれから梅見に行くとのことでした。

       隧道をいくつ潜りし梅見かな   常朝

       六分咲きいや八分かと梅談義   常朝

        (茶店から見える賀名生梅林:クリックで拡大、以下同じ)       
         (賀名生梅林茶店の店台)
    (西の千本の茶店駐車場)
    (西の千本からの景色)
    (多目的広場からの梅林)

 その後、南の五條市市役所西吉野支所の手前を左折して20号線、137号線を通って
一ノ木ダムの東の百谷のレストラン「創今」で朴葉寿司定食をいただき、2時前に
賀名生皇居跡に戻りました。

 皇居跡は藁屋根の大きな民家ですが、入館は予約必要、しかも今は見学中止中で、
庭を拝見したり、そばの哲学者・神大名誉教授であった塩尻公明記念館の写真を撮ったりしました。(皇居跡の予約方法は五條市のホームページ:堀家住宅賀名生皇居跡 を参照)
門の左に白い大きな花の梅古木がありました。
賀名生歴史民俗資料館の前の道を登って五条高校賀名生分校跡や北畠親房公の墓を拝見しました。

       南朝の藁屋根ゆかし梅の花    常朝

       朴葉寿司青き蕨も載せられて   常朝

        (創今レストラン)
       
         (塩尻光明記念館)
    (賀名生皇居跡)
    (賀名生皇居跡説明板)
    (北畠親房公墓より皇居跡)
    (北畠親房公墓)


その後168号線五条・本陣から24号線で北宇智駅近くの住川交叉点を右折し、120号線、
309号線から戸毛交叉点右折で再び133号線北上、郡界橋から35号線で橿原神宮西口経由
橿原観光ホテルへ戻りケーキと紅茶などいただいて4時半頃解散しました。

 帰り道でも少し雨がちらつきましたが奈良へ着く頃は止んでおり、
弟達との奇遇と変わり易いながらもお天気に恵まれた探梅行でした。

2017年2月4日土曜日

247. 奈良・大安寺の節分会

「アカシア紀行・俳句」2017年2月3日(金)     前へ  次へ

  数日続いた寒さがやわらぎ良い天気となった節分の日、いつものメンバーの都合のつく3人で
奈良・大安寺の節分会(せつぶんえ)を訪ねました。

 大安寺は、JR奈良駅の南、約1.5キロにある真言宗の寺で、南都七大寺のひとつです。
寺の説明板によると、飛鳥時代聖徳太子が斑鳩の宮の東南に建てた、熊凝精舎
(くまごりしょうじゃ)がはじまりで、百済大寺、高市大寺、大官大寺と遷寺し、
平城遷都(710年)のときにこの地に移ったようです。
かっては七重の二塔もあり、東西300、南北500メートルほどの大寺で、東大寺、興福寺と並ぶ寺
だったとのこと。

 午後1時半すぎ、寺の南の駐車場に駐車し、広い境内に入ると、本堂左に豆撒きの舞台が見え、
右奥には背の高い大王松が長い3本の葉を持つ松葉を散らしていました。
また1962年ドイツ・ケルン大学との交流記念で植えられた楠が、立派な木に育っています。
小さな屋台がひとつ、串団子を売っていました。

 節分の豆撒きは3時からなので、2時から始まる護摩祈祷に参列しました。
本堂前の受付で、300円を納めていただいた護摩木に合格祈願など祈願文をノック式のサインペンで
記入後、受付の方に納めてから、本堂の左奥の嘶堂(いななきどう)に入りました。

 中は4間四方位の広さでまん中に護摩壇、正面に赤い不動明王像があり、河野貫主と若い僧二人
の周囲に約50人の参拝者が座りました。
まもなく、厚さ5ミリほどの折りたたみの経本が配られ、河野貫主の主導で祈祷が始まり、
懺悔の経文のあと、般若心経を繰り返し読経し、参拝者も唱和しました。
護摩壇に護摩木が井桁のように高さ40センチ位に組まれて積まれ、火をつけると、
勢い良く燃え、火の粉が天井まで届きました。

 3時前、貫主の説教のあと祈祷が終わり、本堂前に移動しました。

       護摩の火の柱赤々節分会     常朝

       天井へ護摩の火の粉や春近し   常朝

         (大安寺山門:クリックで拡大、以下同じ)       
     (大安寺本堂)
     (大王松)
     (嘶堂-いななきどう)

 本堂の縁に僧侶が立ち、舞台で貫主の豆撒きの説明と説教がありました。
豆撒きの相手の鬼は、実は身の内の鬼で、貪瞋痴(とんじんち:むさぼり、いかり、ぐち))
を、豆で追い出すのが豆撒きの意味だとのことです。

 説教後、赤鬼、青鬼が縁に現れて、貫主や他の僧から豆を投げられ、舞台に逃げますが、
なお豆を打たれて降参します。
貫主は、鬼を改心させた豆は福豆になったので、これから豆撒きをしますと言われて、
10人位の人が出て豆撒きが始まりました。

 豆は小さな透明の袋に7~10個ずつ入っており、景品の当たる袋には、
赤、青、黃の小色紙が入っているとのことでしたが、我々の拾った袋にはありませんでした。

 数分で豆撒きが終わり、ぜんざいの接待が始まりましたが、行列が30メートル以上となったので、
我々は遠慮して、お寺を辞し、近くの旧境内の御霊神社を訪ねました。
そこにある石清水の発祥の地という井戸を見て、そばの芝池の土手の梅を見ました。
紅白一本ずつですが、ほぼ七分咲きでした。
境内の水槽には15センチ位の鮒が沢山いました。
その後日航ホテルのロビー喫茶でケーキをいただき、JR奈良駅で解散しました。

       鬼やらいかわいそうとの声上がる  常朝

       大寺の池畔に紅白梅咲けり     常朝

         (河野貫主の説教)       
     (青鬼と赤鬼)
     (舞台へ出た鬼たち)
     (降参する鬼たち)
     (御霊神社)
     (御霊神社説明板)
     (石清水八幡の発祥とされる井戸)
     (鮒の沢山いる水槽)
     (紅白の梅)


 旧暦の一年の最後、立春の前の日、良い天気に恵まれ、由緒ありながらひなびた感じの
奈良の寺で、節分会を楽しむことができました。

2017年1月11日水曜日

246. 奈良・大和神社の弓始

「アカシア紀行・俳句」2017年1月4日(水)    前へ   次へ

  お正月の曇りにしては暖かい4日、いつものメンバーの都合のつく3人で
奈良・天理市の大和神社(おおやまとじんじゃ)の弓始を訪ねました。

 大和神社の弓始は以前にも見学しましたが、(アカシア紀行4)
今回は初めて中学生の射手や外人の射手を見ました。

 12時過ぎ、たまたま空いた参道入り口の駐車場に駐車し、100メートルほどの並木の参道を
西へ歩き、境内の焚き火のそばに着きました。
焚き火のそばで6、7人の女性と男性が炭火で餅を焼き、ぜんざいを参拝者にふるまっていました。

 我々も、ぜんざいをいただき、順序が逆のようですが、焚き火で温まってから、
本殿に参拝しました。
本殿の手前左手(南側)に、以前にはなかった「戦艦大和展示室」があり、
中に入ると、10坪位の広さで、1.5メートル位の戦艦大和の模型が二台と小さい模型が数台、
艦長などの軍人たちの写真も展示されていました。
もちろん、戦艦大和には大和神社の摂社が祀られていたためです。

         (大和神社参道:クリックで拡大、以下同じ)       
         (戦艦大和展示室)
         (戦艦大和模型)
         (ぜんざいを振舞う人々)

 外で、神社の絵馬や説明板などを見ていたら、参道の北側を、鎌倉時代の装束で着飾った
射手達2、30人の行列が、本殿に入り、弓始の神事が始まりました。
行列には、中学生の男女の射手、外人男性1人を含む男女の弓道連盟の射手がそれぞれ
10人ずついました。中学生は袴姿、大人の男性は烏帽子と直垂(ひたたれ)、
女性は烏帽子と水干(すいかん)の美しい衣装です。

 我々は弓場の見やすい場所に居たので、神事の様子は見えませんが、
2、30分ほどの神事のあと、全員が弓場に出て、弓場の西側に威儀を正して座りました。
弓場の周囲には50~60人位の人が集まり見学していました。
中学生の射手にひ孫がいるので見に来たというおばあさんもいました。

 マイクで弓始の開始が宣言され、弓始の儀式が始まりました。
まず、宮司が弓場に出て、2メートル四方の的布に向かって鏑矢(かぶらや)を射ました。
鏑矢は低い音で飛びましたが、マイクの説明によると、周囲の邪鬼を払うためだそうです。

       大絵馬の鶏の目強し弓始     常朝

       樹々高く鷺飛ぶ杜に弓始     常朝


         (射手の行列)       
         (中学生の行列)
         (弓の的の布)
         (居並んだ射手)

 その後神社役員の方2名の射弓のあと、青幕の前に丸い的を描いた布が貼られ、
中学生(天理南中学の弓道部員)と弓道連盟の射手による弓始が始まりました。
まず男子中学生2人ずつ横に並び、的に向かって右から順次弓を放ち、2人が終わるとまた
右から射弓を順次行います。続いて女子中学生の射弓がありました。
男女とも、1人は的のまん中の円を見事に射抜きました。

 続いて弓道連盟の女性の5名、男性の5名の射弓がありました。
5人ずつ横に並び、それぞれ順次に2回、弓を射ましたが、マイクの説明によると、
小笠原流の百手式(ももてしき)の作法によるそうです。
これも作法でしょうが、男性5名の最後の射弓は、全員わざと的を外しました。
ハンサムな外人男性の射手も堂々としていました。

 その後、射手は脱いだ手袋、地面に置いた扇子と白紙を懐に入れて、ゆっくり退場しました。
我々もその後、境内を少し拝見して、3時頃奈良へ向かいました。


       女射手は紅の水干弓始      常朝

       手袋を外すまで見し弓始     常朝

         (中学生の射弓)
         (女性の射弓)
         (男性の射弓)

 穏やかな天候のもと、由緒ある神社で古式豊かな弓始の儀式を拝見し、
新年を迎えて心が引き締まるような、正月の一日でした。
日本弓道とともに、西洋の弓道(アーチェリー)も中世の服装で奉納したら
もっと面白いかもしれません。

2016年12月23日金曜日

245. 八幡市・円福寺から宇治田原の柿屋

「アカシア紀行・俳句」2016年12月22日(木)    前へ   次へ

  師走にしては暖かく、午後雨予報の木曜日、いつものメンバーの都合のつく3人で
八幡市・円福寺から宇治田原の柿家を訪ねました。

 円福寺は江戸時代建立の禅寺ですが、先日テレビで放映されたイチョウの木の
干し大根を見るのが目的です。
昼12時車で奈良を出て、木津川沿いに24号線を北上、山城大橋から307号線を
西へ約13キロ、池の宮北から1号線を5キロ北上、洞ヶ峠手前左が円福寺です。
1号線の洞ヶ峠茶屋からすぐ入れるのに行き過ぎたため、西側水月寺の南から森の中を
通って山門前の駐車場についたら、1時半すぎでした。

 駐車場からすぐ大きなイチョウの木が見えて、大根が数え切れないほども
沢山ぶら下がっている異様な風景がみえます。

 その近くへ行こうと、境内の段差のある庭をゆっくり歩いていたら、
作務衣の若い僧が一人、出てきて仲間の弱足の人の介添をしてくれました。
禅の修行をしている人はさすがと感心しました。

 彼にイチョウの干し大根の由来を聞くと、先代の住職も知らないので、
今はその由来を知る人はいないとのこと。
大根は近所の農家から寄進される約2000本を、いつの頃からか、
イチョウの木に掛けて干し大根にし、沢庵漬けにして僧達の食事に出すそうです。
今年は暑さのため、1000本位に減ったそうです。

それでもイチョウの木にほぼ一杯にぶら下がって、まだ横のキササゲの木の枝に
50本位下げられていました。

 禅宗の祖である達磨大師の像が重要文化財ですが、
修行の寺のため、一般の人は入山禁止で、我々は拝見できませんでした。

 立派な山門には仁王が立っています。
山門左の門から見ると中では若い僧たちが大根の漬物桶の作業中でした。
左手の道には、枇杷の花が咲いて、その奥には合同墓地があり、
そばで、建築中の木造のお堂のようなものを見たので工事中の人に聞くと、
お堂(東司:トイレ?)の試作品を作っているとのこと。

 冬紅葉と小鳥の声の参道をしばらく散策し、達磨大師供養のお金を
若い僧に預けて、お寺を辞しました。


       大銀杏に干大根の尻ばかり      常朝

       若僧の作務衣凛々しく大根漬け    常朝

        (円福寺入り口:クリックで拡大、以下同じ)       
    (円福寺説明板)
    (大銀杏干し大根)
    (円福寺山門)
    (円福寺通用門)
    (試作品のお堂)

 午後2時20分ころ、1号線を北上、八幡一の坪交差点から251号線を東へ走り、
大住工業団地北から京都奈良線22号線を約6キロ南下、
307号線の山城大橋を通って東へ約7キロ宇治田原の南地区の柿屋を訪ねました。
田原小学校前を南下、魚定本店角を左折、和束道を少し南下し、
南地区の宗畑の柿屋のある農家(森田様)に着いたら3時20分頃でした。

 古老柿農家の作業小屋では家族の皆さんが迎えてくれ、お茶をいただきました。
今年は暑さのため、全体的に柿(古老柿用の坊主柿)の生産は悪く、
早く熟しすぎたり、多すぎて小粒になったりしたのですが、こちらの柿は
比較的よくて平年並みだったようです。
柿屋にはもう柿が載っていませんが、田の隅の箱に少し熟した柿が数個置いてあり、
なぜか田の土に白菜の葉がちらばっていました。
丹精の古老柿を1キロずつ買い、4時頃柿屋を出て奈良へ帰りました。


       柿農家にいただきし茶のあたたかし  常朝

       柿屋まだ残れる畦に残り柿      常朝

        (柿屋)       
    (古老柿農家作業所)

 午後雨の予報がはずれたおかげで、雨に会わずに干し大根を見られた上、
古老柿の柿屋など初冬の景色を味わうことができました。
帰りの24号線の途中から予報通り雨が降りだしました。

2016年11月12日土曜日

244. 奈良・春日大社造替・奉祝マルシェから本殿参拝

「アカシア紀行・俳句」2016年11月11日(金)    前へ   次へ

  立冬過ぎの晴天の金曜日、いつものメンバーの都合のつく4人で
奈良県庁前の広場(春日野)で開催されている春日大社造替・奉祝マルシェを
訪ねました。

 春日大社は20年毎60回目の本殿造替が11月6日に終わったのを記念して、
11日から13日まで各種の奉祝行事が行われますが、我々は昼の部の
奉祝マルシェに参加と本殿特別参拝をしました。
(夜は表参道・飛火野で燈花会や石川県飯田春日神社の燈籠山曳きなど)

 11時前、県庁前広場に着くとアーチと屋台テントなどで囲まれた広場に
約30の屋台があり、すでに100人位の参拝者とスタッフがいました。

 前もって購入したチケット(2000円)を入口右側の奉祝御膳受付に渡して、
希望の奉祝御膳、お茶、屋台引換券、記念品引換券をもらい、
300人分位あるテーブルの中程の自由席に座りました。
奉祝御膳は、奥村彪生(あやお)氏の春日遊楽御膳、屋台引換券では奈良酒カクテルや
きなこ雑煮をいただきました。
祝膳では奈良茶飯や白身魚のみそ漬焼、煮林檎などが美味しかったです。
食事中、一頭の雌鹿が我々の席に寄ってきました。

 11時半ころからステージで、奈良出身の歌手「ひらたゆうや」の
歌とギター演奏が始まりました。
最初は舞台前の椅子には誰も座らず各自の食事の席で聞くともなく歌を
聞いていましたがそのうち食事がすんだのでしょうか、人々が舞台前に
座り始めました。12時に乾杯とのことでしたが、我々は祝膳をいただいたあと、
春日大社へ車で移動しました。

       遷宮の祝膳紅葉に囲まれて      常朝

       遷宮の祝膳席に鹿寄れり       常朝

         (奉祝マルシェ会場:クリックで拡大、以下同じ)       
         (飲食店の屋台)
         (食卓のテント)
         (ステージのひらたゆうや)

 駐車場からは二の鳥居を通り、12時半頃から造替本殿特別参拝の
100人以上の列に並びました。

 1時頃からやっと参拝の行列が少しずつ動き出し、東回廊から左回りに
新本殿を参拝後、七種宿木(ななくさやどりぎ)、砂ずりの藤などを見て
本殿をあとにしました。

       造替の桧皮に映ゆる銀杏黄葉      常朝

         (遷宮初まいり案内板)       
         (春日大社・二の鳥居)
         (造替された本殿)


 駐車場を出て、若草山の麓・水谷神社北側の店「レカーセ」でフランス料理の
キッシュなどを買い、2時半頃JR奈良駅で解散しました。

 夜の雨も上がって少し寒い位でしたが天気に恵まれ、美味しい料理と新しい神殿、
美しい紅葉を楽しめた奈良の一日でした。