「アカシア紀行・俳句」2017年97月13日(水) 前へ 次へ
奈良地方の集中雨の翌日の快晴の日、いつものメンバー4人で奈良・平群の白山神社などを
訪ねました。
ここは4年前と3年前、メンバー6人で訪ねました。 (アカシア紀行198)
白山神社は、平安時代、法隆寺の高僧、道詮律師が隠居された地で、
当時は富貴寺という60坊もある大寺だったそうです。
説明板によると、神社は富貴寺の神宮寺で、明治の初め神仏分離で独立し、
付近の39社神を合祀し富貴地区全体の氏神となったようです。
周辺は富貴寺の跡で、弘法大師と親交があつかった道詮律師は伝燈大師として
南都七大寺の僧綱(そうごう:僧正など僧尼の管理職)を兼ね、法隆寺夢殿を再建し、
隠居後は富貴寺から法隆寺へ夏季百ヶ日の三経の講義のため往来されたとのこと。
今も奈良県俳人協会では秋に平群俳句の集いで道詮献句会などを開催しています。
我々が11時ころ着いた駐車場のそばの田には、今年も沢山の水葵が紫の花を
つけていました。参道右には大きなビニールハウスができています。
石段の左の土手には今年初めての彼岸花が一茎咲いていました。
前回同様、我々は境内を散策、拝殿と弥勒堂、奥の森の中の道詮律師の墓を
訪ね参拝しました。
墓への道は太さ5センチ以上の走り根が伸びていて、根の間の狭い土を
踏んで参拝しました。
道詮の隠居の谷に水葵 常朝
平群谷に初彼岸花雨上がり 常朝
(白山神社:クリックで拡大:以後同じ)
(神社の説明板)
(神社の下の田の水葵)
(白山神社の拝殿)
 (神社の右の池)
(道詮律師の墓)
社務所の裏の柿の木には柿が少し色づいていました。
右手の池には葛の花が散り、四阿(あずまや)の屋根の笠は破れていましたが、
木立の下、涼しい風が谷から吹いてきました。
その後、以前にも訪ねた神社の北側の普門院跡を訪ねました。
普門院は福貴寺の塔頭のひとつで、道詮師の住居であったそうです。
いまは5台分くらいの駐車場に小さな門、句碑、金網で囲まれた寺跡草地が
あるだけです。
金網の中には、以前あった柿の木がなくなっていましたが、
小さな石塔と大きな槙の木があり、大きな蝋梅の木が実をつけていました。
金網には自然薯の蔓が青い葉と零余子(むかご)をつけていました。
坊跡に石塔ひとつ法師鳴く 常朝
坊跡の金網伝ふ零余子採る 常朝
  (普門院跡)
  (普門院跡説明板)
その後普門院跡から坂を下りて、交番の西の多良福で昼食をいただき、
奈良へ戻って解散しました。
途中、平群の小菊が咲いているかと道端の畑を見ましたが、まだ花は見えませんでした。
日が当たるとまだ真夏のような暑さですが、木陰などでは涼しい風もあり、
歴史のある平群の初秋を楽しむことができました。
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