「アカシア紀行・俳句」2017年6月4日(日) 前へ 次へ
梅雨前の爽やかな日、奈良・東吉野の水神祭に参加・拝見するために、
いつものメンバー3人で丹生川上神社中社を訪ねました。(参照:アカシア紀行226)
水神祭は、神社の祭神である水神「ミズハノメ:罔象女神」に感謝、事業の発展、繁栄、
豊水を祈願する祭です。
丹生川上神社は上社、中社、下社と3つあり、中社は東吉野村の小(おむら)地区に、
上社は川上村の大滝ダムの南岸の上に、下社は下市町の丹生地区にあります。
我々が神社に着いた9時半頃は、まだ車が2,30台程が境内に駐車していただけ
でしたすが、祭が始まる10時半頃には、約50台が境内や道路に駐車するほどでした。
参列者は礼服を着た会社員らしき人が多く、水に関連した電力会社、電機会社などのようでした。
拝殿には200席以上の椅子が並べられ、祭壇には酒や供物が置かれており、
柱には大きな旙が掛けられていました。
式まで時間があったので、境内を散策し、茨木和生先生や原石鼎の句碑を拝見したり、
句碑にある衝羽根の木や朴の木を見ました。
衝羽根の青葉には薄緑の十字形の苞が付いていました。
中心の花は小さくて見えませんが、秋になるとその裏側に衝羽根の実がつくのでしょう。
また境内の走り根にはけやきの若葉が数十枚付いていました、
そのうち、神馬の白馬と黒馬が境内に来ました。白馬は男性、子馬のような黒馬は女性が手綱を引いています。黒馬は眠そうだったので、女性は黒馬に境内をぐるぐる回らせていました。
10時半頃、拝殿の椅子は満席になり、太鼓の音で水神祭が始まりました。
拝殿左の榊の木の前に置かれたお祓台で神主と4人の神官が順次お祓いをして、
へぎ板の小桶に榊の葉を入れて拝殿へ運びました。
楽人5人による雅楽が流れる中、式が進んで二頭の神馬が拝殿の前に並んで、
神主が水神への祝詞を上げました。その後拝殿で舞楽・納曽利(のそり)が一人の舞人に
よって奉納されたあと、参列者の玉串奉奠が続き、12時頃水神祭が終わりました。
納曽利の面は下顎が紐で吊り下げられており、すき間から舞人の目が見えていました。
舞衣装を脱いで楽人にもどると、きりりとした若者でした。
納曽利舞ふ人は若人水神祭 常朝
狭き空雲の流れて水神祭 常朝
(丹生川上神社中社拝殿:クリックで拡大、以下同じ)
(衝羽根の十字の苞)
(祓戸の台)
(お祓いをする神官)
(神馬)
(納曽利の舞人)
解散後神社の東の「東の滝」まで歩いて、その滝壺の淵「夢淵(ゆめのわた)」を見ました。
滝は高さ5メートル位ですが、2本の滝水が岩に当たって交差する珍しい光景です。
夢淵は、神武天皇が東征の折、この淵に厳瓮(いつべ)を沈めて、天神地祇(てんじんちぎ)を敬祭せよとの天神の夢の訓(おしえ)があったことに因むようです。
直径5メートル位の淵ですが深くて底は見えません。
下流の石川原では河鹿の声が聞こえ、若者たちがバーベキューの準備をしていました。
帰りに「魚見の石」を見ようと、社務所で教えてもらった小(おむら)集落の説明板を
見ましたが、石は夢淵の近くにあったらしいですが、標識が何度も洪水で流されて、
今はその説明板のみらしいです。
鷲家口のレストラン「あしびき」で昼食をいただいたあと、北側約100メートルの
八幡神社の桂信子の句碑を見ました。
八幡神社は檜皮葺の屋根と朱塗りの塀が美しい神社ですが、すべての屋根と門に
菖蒲が葺かれていました。旧暦の節句だそうです。
滝水の切り結びをり夢の淵 常朝
河鹿鳴く川瀬に光あふれゐて 常朝
伊勢みちの句碑ある社菖蒲葺く 常朝
(東の滝への橋)
(東の滝)
(夢淵)
(魚見石の説明板)
(鷲家の八幡神社)
(桂信子の句碑 おのづから伊勢みちとなる夏木立)
(鷲家八幡年中行事)
その後は来た道と同じく、166号線の佐倉峠、大宇陀町、165号線女寄峠を通って、
橿原神宮駅に戻り解散しました。
2年ぶりの東吉野村でしたが、爽やかな青葉の風に恵まれた一日でした。
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