2014年12月14日日曜日

203.奈良・崇神天皇陵から正暦寺

「アカシア紀行・俳句」2014年12月13日(土)   前へ   次へ

 12月の快晴ながら冷えの厳しい事始めの日、いつものメンバー7人で、
奈良・崇神天皇陵から正暦寺を訪ねました。

 9時半前、天理インターチェンジの入口のセブン-イレブンで集合し、
169号線を南へ約6キロの崇神天皇陵の駐車場に駐車しました。

 ここは去年も訪ねていますが、今回は鴨とオシドリを見るのが
主な目的でした。(アカシア紀行182

 高い石段の上の拝所に立つと、陵の濠が見えますが、
あいにくオシドリは見えず、鴨が数羽悠々と泳いでいました。
左に小さな島があり、その周囲を鳰が一羽潜りを繰り返しています。

 石段の下には陪塚があり、「飛地は号」と名札がありました。
お墓なのに名前がなく、番号が付いているだけです。

 その後、陵の南側の道を東へ登りましたが、昔あったという竹炭窯もなく、
坂道の落ち葉でタイヤが滑って登れないので、砂防ダムの手前で
引き返し、正暦寺を訪ねました。


       流れゐる如きさざ波鴨の濠    常朝

       陪塚のぽっこりまるし冬日差   常朝

              (崇神天皇陵:クリックで拡大:以後同じ)        
              (陪塚)

 正暦寺も6年前に訪ねていますが、12月に来たのははじめてです。
                             (アカシア紀行51
 客殿手前の駐車場に車を留めて、まず客殿の土間に入りました。
扁額は「龍華樹院(正暦寺の院号)」とあります。
正暦寺は正暦3年に創立され、清酒発祥の地とされています。
 そばの菩提仙川から採れた菩提酛(ぼだいもと)と名付ける麹(こうじ)菌で、
お酒のもととなる酒母を造り、奈良の酒造会社数社に配布しているとのこと。
各社で作られた酒を、机に並べて販売されていたので、
メンバーがそれぞれ三諸杉や百楽門などの酒を買いました。

 その後、山手の本堂を訪ねましたが、電気柵などで囲まれており、
立入禁止となっていました。猪対策など保安管理上の理由があるようです。

 川の両岸に沢山ある南天や、橋のそばのタラヨウの赤い実を
見て駐車場に戻ると、二人の男性がいたので、庭の大きな樽状の
装置を尋ねると、酒をつくるこしき(蒸し器)とのこと。
ここで、お米を蒸して麹を加え、建物内の装置で酵母を加えて酒母を
作るそうです。各酒造会社は酒母をもとに、さらに麹などを加えて
独自の酒を造るようです。

       酒発祥の寺に酒買ふ事始め   常朝

       寺川の音やはらかき冬の水   常朝

              (正暦寺説明板)          
              (多羅葉の実)
              (菩提仙川の冬紅葉)
              (正暦寺客殿)
              (客殿玄関・酒販売所)
              (甑(こしき))

 169号線に戻り、勾田町南の「さと」で昼食をいたいた後、
ミカン狩りを期待して、天理観光農園と巻野内のみかん農家を
訪ねましたが、いずれも11月末に終わったとのことでした。
やむなく農家で「ゆず」などを買って、桜井の天平庵で小句会後解散しました。

 少し寒いながらも好天に恵まれ、広大な御陵の水鳥や山中の寺の
冬紅葉などを楽しめた1日でした。

2014年11月23日日曜日

202.奈良・月日亭、峠の茶屋から磐之媛陵

「アカシア紀行・俳句」2014年11月22日(土)   前へ     次へ


 小雪近い11月の快晴の日、いつものメンバー6人で、
奈良・春日原始林入り口の月日亭、峠の茶屋から磐之媛陵を
訪ねました。

 10時前、車で春日大社駐車場東の水谷神社の道を東へ入り、
料亭月日亭の入り口手前に駐車しました。

 あたりは高い木々に囲まれ、見事な紅葉が道を覆うようです。
そばを流れる水谷川(みずやがわ)の谷には、丸い太陽と
月を並べて彫った岩(月日岩)が暗い水面に影を映しています。
岩の手前の岸には、猪があばれたと思われる「ぬた場」があります。

 しばらく紅葉を眺めて散策後、県庁の東側から、
正倉院のそばを通って、1750円を払って奥山ドライブウエイに入り、
4キロ程の地道の先、柳生街道の「峠の茶屋」に行きました。

       月日岩黒黒写す冬の水      常朝

       原始林の道に華やぎ冬紅葉    常朝

              (月日岩:クリックで拡大:以後同じ)          
              (春日原始林の紅葉)
              (水谷川の標識)

 「峠の茶屋」は6年前の4月に訪ねました(アカシア紀行58)が、
70才位になった店主(男性)が今回もひとり、店番をしていました。
店先には床几(机)が2つあり、店先の竈(かまど)には
おでんの鍋が湯気を立てています。
屋根には右書きの峠茶屋の看板があり、軒には草餅と大書した
提灯がぶら下がっています。

 我々は6年前と同じように草餅をいただき、店主としばらく話しました。
ナナという犬は見えませんでした。

 店主は6代目で、跡継ぎがいるようです。
車では有料道路経由しか来られないので、ハイカーが時々立ち寄るだけ
ですが、最近の若い人は殆ど買ってくれないと嘆いていました。

 そのうち若い男女がきたので、お餅でも買ってあげてと
誰かが言ったら、床几に坐ってうどんを注文しました。
左手のマユミの木には薄紅色の実が付いていました。

       小春日や六代目てふ峠茶屋    常朝

       湧き水のおでん売りをり峠茶屋  常朝

              (峠茶屋)
              (真弓の実)

 しばらく散策後、旧ドリームランド前のココスで昼食をいただいて、
平城京北の磐之媛陵を訪ねました。
ここは3年前の5月も訪ねましたが、今は枯れ葉が
混じった睡蓮の葉が濠を覆っています。(アカシア紀行35アカシア紀行125
拝所から見える御陵対岸には山柿が沢山の実をつけて
水面に触れんばかりでした。
土手にはシャシャンボ(小小坊)の木が2本、小さいブルーベリーのような
食べられる実を多くつけています。
濠の岸辺を白い蝶が飛んでいました。

 御陵のすぐ南の水上池には、真鴨が10羽位、鳰が2、3羽、
樹の下に白鳥が一羽いました。時々鵜が飛んできたり、
鳰が忙しそうに水面を走り飛びしたりしました。

 真鴨の雄の頭は青いですが、そばに来てくれた雄一羽が
向きを変えると、冬の日差に頭がさらに青く輝きました。
自転車で来た男性が、先日カンムリカイツブリを水上池で見たが
今日はいないと教えてくれました。
首などは白く頭が黒いそうです。

       皇后陵濠の日差に冬の蝶    常朝

       急用のありしや鳰の走り飛び  常朝

 その後、奈良山の北の梅谷口の北の喫茶店「杏樹」で
小句会後解散しました。


 3連休の初日の好天にもかかわらず、
渋滞に巻き込まれず、静かな原始林の冬紅葉、峠の茶屋や水鳥などを
楽しめた1日でした。

2014年11月13日木曜日

201.吉野・桜木神社から龍門

「アカシア紀行・俳句」2014年11月11日(火)    前へ   次へ

 秋も深まる11月の好天の日、いつものメンバー6人で、奈良・吉野の
桜木神社から津風呂湖、龍門の吉野山口神社などを訪ねました。

 10時前、近鉄飛鳥駅東の飛鳥夢販売所で集合し、
169号線を吉野川に沿って上流の宮滝橋を渡り、
まず象川(きさがわ)ほとりの桜木神社に着きました。

 近江朝時代、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野におられた頃、
敵に追われて桜の木に隠れたという伝説のある神社です。

 象川の屋形橋を渡ると木々に囲まれた境内で、斜面に建てられた本殿の
左手前に高さ40メートルもの大きな神杉があります。

 境内の右手は狭いキャンプ場で休憩所があり、並べられた丸太の椅子には
キノコが沢山付いています。川幅は狭いですが大きな岩がゴロゴロして、
岩の間を澄みきった水が流れています。

 本殿右には山辺の赤人の万葉歌碑

「み吉野の象山の際(ま)の木末にはここだもさわぐ鳥の声かも」

があり、赤人が聞いた鳥の子孫でしょうか、
カケスがギャーというような声で何度も鳴きました。

 その内、一人の男性がブロア(木の葉を飛ばす)で、川向うの道の
落ち葉を掃除し始めました。


       象谷に一樹明るき銀杏黄葉    常朝

       懸巣鳴く桜植樹のある杜に    常朝

              (桜木神社:クリックで拡大:以後同じ)          
              (神杉)
             (休憩所)
              (山辺赤人の歌碑)
              (象の小川)

 しばらく散策後、吉野川・桜橋の平宗で昼食をいただいて、
169号線を東へ戻り、津風呂湖の自然公園を訪ねました。

 公園は、ダムの南側で東に駐車場、売店、釣り店があり、
土手から湖を見下ろすと、大きな桟橋に4、5人が
ワカサギ釣りをしていました。
秋の日差の中、割合よく釣れているようです。
青い湖を囲む山の緑に所々紅葉が見えます。

       寒釣の人よく動く日和かな    常朝

       山囲む湖青し冬紅葉       常朝

              (津風呂湖釣り桟橋:クリックで拡大:以後同じ)          
              (津風呂湖ダム)

 湖から北上して、平尾交差点を右折、龍門の吉野山口神社を訪ねました。
神社の説明板によると、江戸時代紀州の殿様が参勤交代の折、
ここに参詣したようで、吉宗公寄進の大きな燈籠が2基あります。
周囲は田や畑があり道は農道の拡張のようでいずれも狭い集落です。

 拝殿は割拝殿ですが、真中の扉は閉じられていました。
本殿は大きくはないですが、さほど古びておらず左右に孔雀の壁画があります。
右手にも別の摂社がありますが神名の表示はありません。

 右手の大杉の根元に雀蜂が巣を作っていたようで、
巣の後に砂利が置かれて、杉の落ち葉も掛かっていました。

 その後、北西0.5キロ程の菅生寺(すぎょうじ)を訪ねました。
竜門は菅原道真公の父母の土地で、道真公誕生地との伝説もあります。
本堂の壁には、歴代天皇の肖像が掛かっているとのことですが、
時間の都合もあり、今回は本堂参拝をせずにお庭だけを拝見しました。

 庭には仏像のほかに、菅公の「龍門寺に遊ぶ」の詩碑があります。
菅公が宇多天皇のお供で当時あった山上の龍門寺を訪ねた時の
詩です。しばし都の政務を忘れて遊んだ寺と自然を讃えた詩です。

       本殿の壁画に孔雀冬日差     常朝

       菅公の詩碑に山茶花龍門寺    常朝

              (龍門の吉野山口神社)
              (本殿)
              (菅生寺)
              (菅公詩碑の説明板)

 お寺を辞して、橿原市に戻り、橿原観光ホテルで小句会後、
解散しました。
芭蕉も訪ねた龍門の地名は聞いていましたが、
生まれてはじめて現地を訪ねることができました。

2014年10月28日火曜日

200.奈良・明日香村・冬野

「アカシア紀行・俳句」2014年10月27日(月)     前へ   次へ

 明け方激しい雷鳴があった10月最後の月曜日、いつものメンバー6人で、
奈良・明日香村の東の山中の冬野を訪ねました。

 9時半すぎ、近鉄飛鳥駅東の飛鳥夢販売所で集合し、
明日香の細川沿いに東へ約1.5キロを右折して山道を登りました。
途中霧が出て視界10-20メートルの所もありましたが、
冬野に着いた頃は、霧がほぼ晴れて太陽さえ見えました。
良助親王墓を過ぎて車道の終点に駐車しました。
道が狭かったので道路沿いの空地に駐車しましたが、
これがあとで思わぬハプニングを起こしました。

 冬野は、江戸時代は多武峰から吉野への峠(細峠)でしたが、
今は4軒しか家がなく、山上の狭い畑を耕しているようです。
そのお家も今日はすべて無人でした。

 狭い道の先は関電の無線中継所と神社で行き止まりで、
左(北)は多武峰、右(南)は竜在峠への細いみちです。
その三叉路に、標識があり、本居宣長が通ったとの
案内札がありました。

 以前訪ねたときは芭蕉の「ひばりより空にやすらふ峠かな」の
句碑がありましたが、今は見えませんでした。
 
 紫苑や菊が咲く畑や、里芋を刈ったあとの芋頭が散らばる畑が
あります。上の畑は葱や大根などがあり、土を深く掘って
雨水を溜めていました。

 右下の畑には、猪罠があり、糠と芋頭が置かれています。
多武峰への道は幅1メートル位ですが、右へ下りてゆく竜在峠への道は、
田の畦道のようにせまい道です。
1軒の農家がありましたが、閉じられており、前に柿の木は紅葉していました。

 無線中継所の前の神社は古く、神名などの表示はまったくありません。
牛乳パックの賽銭箱が置かれていました。

 しばらく散策のあと、帰ろうとすると、土が柔らかくて車のタイヤが
スリップして動けず、JAFのレッカー車のお世話になるというハプニングも
ありました。

       柿紅葉竜在峠へ道細し       常朝

       猪罠の仕掛の糸に日差来し    常朝

              (冬野の家:クリックで拡大:以後同じ)          
              (細峠の標識)
             (多武峰への道)
              (峠下の家と畑)
              (猪罠)
              (冬野の神社)
              (本殿)
              (お堂)
              (峠下の標識)        
              (多武峰への道の六地蔵)

 午後は稲渕などへ行くつもりでしたが、
時間がなくなり、飛鳥駅の南のペンション飛鳥で遅い昼食をいただき、
橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
句会中の4時頃から雨が降ってきましたが、
天気女達のおかげで帰る頃は止んでいました。

 ハプニングはありましたが、むかし芭蕉らが通った飛鳥山中の
静かな峠の秋をゆっくり楽しめました。

2014年10月11日土曜日

199.奈良・桧原神社から村屋神社秋祭

「アカシア紀行・俳句」2014年10月10日(金)   前へ  次へ

 秋雲の薄くさわやかな金曜日、いつものメンバー6人で、
奈良・山の辺の桧原神社から田原本町の村屋神社を訪ねました。

 9時すぎ、名阪国道天理ICの近くで集合し、
天理街道(169号線)を南へ約6キロの巻野内交差点を西へ約2キロの
桧原神社を訪ねました。

  着くと神社の人が砂紋引き(線引き)で境内の砂利を
きれいに揃えていました。

 桧原神社は、2年前の春にも訪ねましたが、 (参考:アカシア紀行121
山の辺の道の元伊勢とも言われる神社で三重の鳥居で有名です。
皇居外では初めてのこの地へ出られた天照大御神と共に、
斎宮であった崇神天皇の皇女豊鍬入姫命をお祀りしています。

 その姫命の社に若い神官が三方に載せたお供えを持って、
丁寧に祝詞をあげました。毎朝だそうです。

 しばらくすると、50人位の小学生が女の先生に引率されて
南の玄賓庵の方から境内に来て、神社の説明を受けてから、
再び山の辺の道を北の方へ移動しました。
みかん狩りだそうです。

 東京から来た金剛流の能楽師(謡)夫婦にも会いました。

 参拝後しばらく境内を散策後、西の井原池に移動しました。
二つの池の間の土手には、川端康成の筆による、
ヤマトタケルの「大和は国のまほろば」の歌碑と、天智天皇の
「香具山は畝傍をおしと・・・」の歌碑があります。

 柿畑には刀根早生と思われる柿が実っていますが、
塾しすぎた柿もありまるで放置されているようでした。
池から西の柿畑を見ると、枝の上に二上山が浮かんでいました。


       蜜柑狩の児等来て止まる砂紋引き  常朝

       枝先に二上山浮く柿畑         常朝

              (桧原神社の鳥居:クリックで拡大:以後同じ)          
              (朝の礼拝)
             (倭健の歌碑:大和は国のまほろば・・・)
              (天智天皇の歌碑:香具山は畝傍をおしと・・・)

 その後天理街道に戻り「さと」で昼食後、田原本町の村屋神社を訪ねました。
村屋神社は旧大和三道の中つ道にある、大物主と妻、三穂津姫命を祀る神社です。

 日本書紀には、壬申の乱のとき、村屋の神が神主に乗り移り、
敵軍が中つ道をくると告げて、大海人皇子の軍を助けたため、
のちに天武天皇から神社として位を賜ったとされているようです。

 10日は秋祭りの日で、境内には10メートル四方くらいの
斎竹で囲まれた祭場が作られ、拝殿側に祭壇を置き、
供物と、舞で使われる矛、刀、湯立釜などが置かれています。

 13時すぎ、幼稚園の園児が20人ほど来て、祭場の外側に並んで坐りました。
参拝者やカメラマンが50人位が祭場をかこみむ中、神主の楽太鼓によって
祭が始まりました。

 祝詞などの神事は午前中に終わっていたので、午後は3人の巫女が
代々神楽の舞を順次舞いました。

 神主がやや聞こえにくいマイクで説明しながら、平舞、三三九度舞、扇の舞、
矛の舞、刀の舞、短刀の舞、銚子の舞、湯立の舞などを舞いました。

 ほとんどの舞は2人の高校生らしい巫女が順に舞い、最後の湯立て舞のみ、
30代位の巫女が舞います。
舞は、矛などを持って、祭場を縦横に進み、四方を順次お祓いするような
単調な舞ですが、古代の舞を連想させるようでした。

 舞の楽曲もなく、ただ楽太鼓のみで静かに舞う中、小鳥の声が聞こえました。
短刀の舞のあと、6人の女性と太鼓の男性からなる、田原本町の
ダンスグループが登場し、桃遊楽ともう一つのダンスが奉納され、
次の巫女の銚子の舞にバトンタッチされました。

 湯立て舞の最後は、参拝者のお祓いとして、
お湯の代わりの切弊を釜の中から、榊の束で外へ飛ばしました。

 後で聞くと、湯立ての釜やその舞の巫女は五条から借りてきたとのこと。
高校生の巫女(の一人?)は、神主のお孫さんだそうです。

       太鼓のみの舞の静けさ小鳥来る    常朝

       壬申の乱由来の社秋祭         常朝

              (村屋神社)          
              (村屋神社拝殿)
              (祭壇)
              (矛の舞)
              (刀の舞)
              (ダンスグループの舞)


 3時前奉納舞が終わったので、桜井の天平庵で小句会後解散しました。
鄙びた中に古代を思わせる神事や舞を楽しめた1日でした。

2014年9月29日月曜日

198.奈良・白山神社から王龍寺

「アカシア紀行・俳句」2014年9月27日(土)    前へ   次へ

 久しぶりにさわやかな快晴の土曜日、いつものメンバー6人で、
奈良・平群町の白山神社から奈良市の王龍寺を訪ねました。

 9時すぎ、近鉄生駒線の東山駅で集合し、168号線を南へ約2キロの
平群町交番を西へ右折、平群中学校の南の細い道を
北西に少し走ると白山神社の鳥居がみえます。
白山神社は去年も訪ねました。 (参照:アカシア紀行172


 鳥居の奥100メートル位で狭い駐車場があります。
駐車場のそばの放置田には水葵が広がり、紫の花をつけていました。
周囲の田の畦には、やや盛りが過ぎた彼岸花が沢山咲いています。

 境内には、神社の拝殿と弥勒堂、社務所があり、奥の森の中に
道詮律師の墓があります。
道詮師は平安時代に法隆寺夢殿を再建した高僧で、この地に福貴寺を建て、
ここから法隆寺へ通い仏教を伝えたそうです。

 律師の墓は森の中の裏参道の右手にある宝篋印塔です。
社務所の裏の柵には雀瓜が実をつけていました。
右手の池には藻が伸びて、日のあたる藻には小鮒が寄っています。
岸には蛇の衣が2つもあり、池からの流れに露草が青々と咲いていました。
右手の坂上の木々に、通草の実が、3つ、2つとぶら下がっています。



       律師の墓弱き日差に雀瓜     常朝

       池の藻の日差に出たる秋の鮒   常朝

              (白山神社の拝殿:クリックで拡大:以後同じ)          
              (道詮の墓)
             (神社の奥の菊畑)
              (池からの御堂)

 その後、以前にも訪ねた神社の北側の普門院跡を訪ねました。
普門院は福貴寺の60坊もあったという塔頭のひとつで、道詮師の住居で
あったそうです。
 いまは5台分くらいの駐車場に小さな門、句碑、金網で囲まれた寺跡草地が
あるだけです。
駐車場から20メートルほど戻ると、白山神社への下り坂があり、下り口の
木々に先ほど見上げた通草が下がっており、一つだけ採って、中身を6つに分けて
皆で味わいました。ミルクの味がしました。

              (普門院跡の説明板)
              (通草の実)

 その後普門院跡から坂を下りて、交番の西の多良福で昼食をいただき、
168線を北上して戻り、阪奈道路の富雄ICの西600メートルほどの
飛鳥カントリークラブ入り口から、王龍寺を訪ねました。

 王龍寺は、聖武天皇の頃創建され、元禄2年郡山城主本多忠平が
禅宗・黄檗宗の菩提寺として再建されたそうです。
境内には駐車もできる大きな藤棚があり、藤の実が所在なさそうに
垂れていました。

 左には記念物のヤマモモの巨木が庫裏まで枝を広げています。
 本堂の中に磨崖仏があり、電灯でほのかに照らされています。
軒には奉額として、明治時代の大きな句額が二つ掛けられています。

句額は字が薄れて読みづらく、左の句額で何とか読めたのは次の2句だけでした。

       面白い旅は思案の外もあり      歳(山冠に夕)

       肥える筈いつも疲れがたりよらぬ   松栄

              (王龍寺の本堂)
              (句額)

その後奈良の自宅で小句会後、解散しました。
お天気に恵まれた秋のさわやかな1日でした。