2024年8月12日月曜日

298 興福寺薪能

 「アカシア紀行・俳句」2024年8月12日(月)    前へ   

  5月の良い天気の日、いただいた入場券で興福寺の薪能を参観しました。

 2024年度の薪能は初日5月17日で興福寺南大門では午後5時半から観世流の「歌占」、火入れ(薪の火入れ)ののち、狂言「延命袋」、金剛流の「融」(源融)となっています。(2日目は18日(土))

 源融は今年(2024)のNHK大河ドラマ「光る君へ」の源氏のモデルといわれる平安時代の左大臣
で、紫式部の約100年前の人です。嵯峨天皇の皇子でありながら臣籍に下り、六条河原に邸宅をもち、塩釜の風景を模した庭を造ったので、河原大臣とも言われているようです。(百人一首の 「陸奥のしのぶみじずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに」 の作者)

 私は、暗くなってからの薪能を見たかったので、まず猿沢池のほとりで軽い夕食(弁当)をとりました。

池面を燕が飛んでいます。どこの国かはわかりませんが、多分東南アジアの若い女性も何人かベンチに座ったりして、五重塔や燕を見ていました。薪能の太鼓や笛が寺の方から聞こえています。

興福寺の五重塔は120年ぶりの修理工事で素屋根(覆いの屋根)を建設中でこれから約7年塔を見れなくなるようです。


      薪能聞こゆる池に夏燕        常朝

      国籍のわからぬ娘らと燕見る     常朝

      猿沢池                   五重塔


   弁当をいただいてから52段の石段を登り、狂言の途中から席に入りました。

 席に着くと、周囲は外国人夫婦らしき人達も含めて、若い人たちも結構参観しており、しばらくすると300人位の席はほぼいっぱいになりました。

 狂言が終わり薪の火入れがあって、能がはじまりました。
ちょうどその頃、能を寿ぐように西の空に細く紫雲がたなびきました。

 まず、諸国巡りの僧が都に上がり、六条河原の院(融の邸宅跡)に着くと、老翁が陸奥塩釜を模した景色を眺めて昔を回想しています。僧が何者かと問えばここの汐汲みだという。
老翁は大臣亡き後、浦もあった庭も荒廃したといい、涙を流しますが京の名所を僧に教えます。 
老翁が去ったあと僧は旅寝すると大臣の融が夢に現れ游舞の昔をしのび、舞ううちに明け方となり、大臣も消えていきます。

   
      薪能京の名所を謡ひ上ぐ     常朝

      薪能入日の空に紫雲引く     常朝
    

    薪能の舞台                  老翁(融)(薪能保存会資料より)


 妻も少し遅れて入場し、参考にと家にある謡の本の中から「融」を持ってきましたが、
若い人達は、スマホで能のあらすじなどを見ているようです。

 夜も更けて薪能も無事終わり、5月の爽やかな夕べを由緒ある寺で
昔を偲ぶ幽玄な古典芸能の舞台を味わうことができました。

2023年10月10日火曜日

297.丹波栗拾いと栗三昧料理

 「アカシア紀行・俳句」2023年10月7日(土)    前へ  次へ  

 10月7日やっと長い猛暑がすぎ秋らしい好天の土曜日、長男夫婦の招待でHISツアー「グリーンツーリズム:丹波栗収穫体験と栗三昧料理ツアー」に参加しました。

長男の妻の母上と3人で、7時大阪梅田の桜橋出口で集合し毎日新聞ビル前からHISツアーバスに乗りました。

このツアーは丹波農園で栗拾い、丹波ワイナリー見学、農園で栗三昧料理、京丹波道の駅、夢コスモス園見物のコースです。

HISから丹波の栗は大きく落ちて頭に当たると怪我するかもと帽子を勧められていたので自分は自転車用ヘルメット帽を用意しました。

バスは8時梅田を出発、大山崎ICで名神から京都縦貫道を北上、丹波PAでトイレ休憩後、丹波IC北西3キロの丹波農園に10時頃着きました。

丹波農園としてははじめての一般客による栗拾いだそうで、30人のグループが着くと、各自に手袋、袋、大はさみを渡され、11時までの時間で、各自丹波の大きな栗の実をいがごと、数十個拾いました。

重くなった袋を係の人に渡すと、毬(いが)取り機で一袋ごと、毬を取って大きくきれいな栗の実を別の袋に入れてくれました。各自500グラムは土産としてもらい、他に1キロ2500円で買うことができました。通常の店では4000円以上するらしいです。

    (栗園)                   (いが取り機)





                           

     へルメットつけて丹波の栗拾ふ


その後、バスで丹波ワイナリーへ行き、外の大きな葡萄絞り機とワイナリー内の瓶詰め機などを見学、前の葡萄畑の貴腐葡萄を木から獲って試食しました。ワイナリーの売店でワインを買い、再びバスで丹波農園のオープンの食事場所に戻りました。大テーブルが一つ、二人テーブルが10以上しつらえてあり、名前のある場所に各自座り、中村シェフが丹精こめた栗三昧料理の和風皿、スペイン料理のパエリア、モンブラン(栗ケーキ)をゆっくりいただきました。

    (貴腐ぶどう)               (パエリアを盛るシェフ)






            

     貴腐葡萄の味見もさせてワイナリー    常朝

     パエリアはシェフの丹精栗の味      常朝


2時前出発、丹波ICから京丹波PAのそばの道の駅「味夢の里」で各自買い物をして、3時半ころ亀岡ICの亀岡夢コスモス園で4時半頃までコスモスと案山子などを見物しました。コスモスは約20万本あるらしいですが時期が少し早く半分位咲いた感じでした。左手の案山子の列には大リーグ大谷翔平選手を模した案山子もありました。

     (コスモス園)               (大谷選手の案山子)





     



     コスモス園品種ひとつも知らぬまま    常朝


その後バスは来た道を大阪へ戻り、桜橋に夕方5時半ころ着いて解散しました。お天気にも恵まれ、丹波の大きな栗拾いやワイナリー見学を経験し、シェフの丹精込めた栗料理とワインを楽しめた一日でした。




2023年6月1日木曜日

296.飛鳥・キトラ古墳から高松塚

 「アカシア紀行・俳句」2023年4月1日(土)    前へ  次へ  

 長男が3月末関西出張で帰省の折、長男夫婦と、妻と4人で、久しぶりに飛鳥を訪ねました。

 9時頃、長男の車(彦根からのレンタカー)で24号線を南下、京奈和自動車道から169号線経由し、明日香の南西、近鉄壺阪山駅の東1キロほどのキトラ古墳に10時半頃着きました。

 キトラ古墳は1983年(昭和58年)発見された極彩色壁画のある円墳です。道の西側の駐車場に駐車して、道を横切り、壁画体験館(四神の館)を見学しました。以前訪ねたときはこのような立派な施設はなかったです。

 一階には壁画(東壁の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武)が展示され、地階には大きな星座のある天井の 下に、石室のレプリカ、壁画の説明、壁画の下に描かれた12支の動物(一部)が展示されていました。

 見学後、壁画体験館の南にある、たんぽぽが点々と咲く古墳を外から見ました。

 その後、1キロほど北の高松塚を訪ねました。古墳に最も近い駐車場に駐車し、50メートル北の壁画館(入場料300円)に入りました。高松塚古墳は1972年発見された、極彩色の女子群像の壁画のある古墳です。

 北壁には玄武、東西の壁には男子群像と女子群像が、さらに東に青龍、西に白虎が描かれ、南面は盗掘のため破壊されたようです。

 女子像の一人が持つ団扇のようなものは貴人の顔を隠すため、大きな耳かきのようなものは蝿などを追う払子(ほっす)とのことで、元日朝賀の儀式に列する舎人ら官人の様子を描いたもので、天皇のお子様である親王(忍壁、高市親王など)が埋葬者らしいです。

  玄武:キトラ古墳              星座:キトラ古墳







       たんぽぽや地下に星座の古墳丘     常朝


 その後、川原寺跡の東500メートルほどの「めんど屋」で昼食をいただき、1時半頃甘樫の丘に登りました。頂上は桜の花が満開で、時おり風が来ると見事な花吹雪となりました。天気に恵まれ頂上からの飛鳥の景色は格別でした。 

天樫丘を降りて3時すぎ北東1キロほどの飛鳥資料館を訪ねました。資料館の庭には飛鳥の奇妙な石像(須弥山石、石人像、猿石、亀石など)があって面白いです。

  甘樫の丘:飛鳥寺方面            飛鳥資料館:亀石






                出会いたる甘樫丘の花吹雪    常朝


 あと、前の「天極堂」で葛きりなどをいただいて4時頃から奈良へ帰りました。
良い天気に恵まれ、満開の桜とたんぽぽの飛鳥をゆっくり楽しめた一日でした。

2023年1月13日金曜日

295.蒲郡竹島・西浦から熱田神宮

 「アカシア紀行・俳句」2022年12月29日(木)    前へ   次へ  

 長男一家3人の帰省を兼ねて、嫁の母上と合計6人で、蒲郡の竹島、西浦から名古屋の熱田神宮を訪ねました。熱田神宮は天皇の3種の神器のひとつでヤマトタケルを守った草薙剣(くさなぎのつるぎ)が安置されていることで有名です。

 蒲郡駅で11時集合し、長男の車でまず三河湾のリゾート地:ラグーナテンボスのおさかな市場を訪ね昼食をいただきました。3年目となった新型インフルエンザは第8波となりましたが、市場の人出もかなりありました。約20店舗がそれぞれの食べ物、料理を出していましたが、市場内を一巡後、寿司と天ぷらのセットとうなぎをいただきました。

 その後竹島へ移動し、藤原俊成公(定家の父、蒲郡国司)の銅像や餌に集まるかもめを見ながら海岸を散策後、蒲郡クラシックホテルの喫茶室でコーヒーなどをいただきました。

3時すぎ、西浦半島のグランドホテル吉慶にチェックインして、近くの海岸を歩きました。天気に恵まれ入江の波音のない穏やかな海を見ることができました。

 夜6時半頃岡崎の次男夫婦と高校生の長男もホテルにきてくれ、久しぶりに家族9人が揃って、海の幸の豊かな料理をいただきました。9時頃次男一家は帰り我々は3室に別れて泊まりました。


     竹島(クリックで拡大:以下同じ)           藤原俊成像




     かもめ                       西浦の入江




      俊成像かもめと望む冬の海        常朝

      目の前に赤き脚見す冬鴎         常朝

 翌朝7時半に朝食をいただき、9時チェックアウト後、名古屋の熱田神宮を訪ねました。10時半頃参道前の駐車場に駐車後、6人が市中とは思えない鬱蒼とした杜の参道を歩き、本殿に参拝しました。境内に多い大楠の一樹の枝からは、烏が参拝に並ぶ行列を見ていました。残念ながら有名な「草薙の剣」に因んだ草薙館は年末のため閉じられており、見学できませんでした。

 午後は名古屋地下街の食堂で名古屋名物という「あんかけスパゲッティ」などをいただき、再び車で名古屋をあとにしました。


     熱田神宮                      大楠




     参拝に並ぶ人見る寒鴉                 常朝

     倭健(ヤマトタケル)の剣を見たし冬の杜        常朝

 

   帰りは新名神・土山サービスエリアで休憩後、大津経由で奈良へ6時半頃着きました。
久しぶりの家族再会を兼ねた、初めての蒲郡、熱田神宮でしたがお天気にも恵まれたラッキーな旅でした。

(注:3種の神器の残りの八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居に安置されているとのことです)

2023年1月12日木曜日

294. 日本平から久能山

「アカシア紀行・俳句」2022年12月18日(日)    前へ  次へ  

 次男長女の大学ジャズクラブの定期演奏会(しずぎんホールユーフォニア:17:30~)に出席した翌日、次男、その長女、妻と4人で、日本平、久能山を訪ねました。
(長男とその母は高校サッカー試合で伊賀上野のため同行できず)

朝8時次男が車で我々のホテルシテオ静岡に迎えにきてくれ、孫(長女)と4人でに向かいました。
途中のコーヒー館エヴァーグリーンで朝食をいただき、9時半頃日本平駐車場に着き、階段を登って見晴台から雲に少し隠れた富士山を眺めました。
強い冬風に背中を押されながら見る富士の頂上は雲で隠れていましたが、待っていると雲が右へ動き雪の掛かった頂上を少し見せてくれました。

   (日本平から雲の富士:クリックで拡大:以下同じ) (日本平アンテナ塔)





     雪峰を少しずつ見す富士の雲        常朝

     寒風に音立つアンテナ塔高し        常朝

 その後、ロープウエイで久能山へ登り(実際は下り)東照宮にお参りしました。
来年(2023)の大河ドラマは「どうする家康」なので、割合多くの人がお参りしていました。長い石段を登って頂上の家康公の墓を参拝しました。

途中に船や飛行機のプラモデルの展示がありましたが、全国から宮大工など優れた職人をあつめたので、静岡がトミカなどのプラモデルの中心地になったとのこと。
ロープウエイから見る駿河湾には濃緑の雲の影が動いていました。

    (久能山)                        (東照宮本殿)




       (家康公御廟)                           (家康公遺訓)




     寒風に家康御廟へ押されゆく        常朝

     冬雲の影移りをり駿河湾         常朝

 その後、長女のアパートと大学を訪ね、グラデボール(Gradevol)でイタリアン昼食をいただき、3時半すぎ静岡駅から東海道線、名古屋から近鉄で奈良へ帰りました。長女とは静岡駅で別れ、岡崎へ帰る次男とは豊橋で別れました。(昼の新幹線の豊橋-安城間の架線事故で東京-新大阪間4時まで不通のため)

帰りは予定より2時間以上遅れましたが、お天気にも恵まれ、初めて孫のジャズ演奏会を楽しみ、おまけに日本平から東照宮墓地まで訪ねることができました。
(なお、次男の車は17日夜岡崎に帰ったため、日産レンタカー「セレナ」でした)

2022年1月10日月曜日

293.伊勢神宮から津城跡

 「アカシア紀行・俳句」2021年12月31日(金)    前へ  次へ

 長男一家3人の帰省を兼ねて、嫁の母上と合計6人で、久しぶりに伊勢神宮を参拝し津城跡を訪ねました。2年目となった新型インフルエンザの国内感染者数は年末で約173万となりましたが、一日全国510人と、落ち着いてきたのを意識しました。(その後わずか10日で一日全国約8500人の感染となりましたが)

 30日午後3時すぎ、鳥羽駅近い錦浦館に集合し、鳥羽ショッピングモールから鳥羽マルシェの商店街を過ぎて港を歩きました。海上は鴎が前へ進めないほどの風でしたが、答志島もくっきり見えて良い天気でした。土産物などをそれぞれ買って、旅館に戻り大浴場入浴後、海の幸の夕食をいただきました。

                           (答志島)

                     (鳥羽のさざえストリート)


鳥羽の海風に進まず百合鴎       常朝

答志島の灯見えて年惜しむ       常朝

 翌31日朝8時旅館を出発、一台の車で、伊勢神宮内宮を訪ねました。おかげ横丁の東の五十鈴川の橋を渡ったすぐの駐車場ですが、すでに車は満車に近いほどでした。おかげ横丁は人が多く、赤福餅は行列ができていました。宇治橋を渡り、五十鈴川の御手洗場に出て、砂利道の音が絶えない参道を南へ歩いて内宮を参拝しました。

 一人の男性がきちんと黒服を来て、神官に案内されて、柵内に入り正式参拝をしていました。近くに大樹があり、てのひらを当ててこれまでの無事を感謝しました。

 その後奉納太鼓のにぎやかなおかげ横丁に戻り、スヌーピー茶屋で約20分待ってコーヒーなどをいただきました。

                                  (五十鈴川手洗場)

             (伊勢神宮外幣殿)

              (おかげ横丁の太鼓奉納)


           初伊勢の大樹に手の平あてにけり    常朝

           高虎の城壁すらり去年今年       常朝

 その後、伊勢自動車道を西から北上し津市役所南の脇田屋で松阪牛の焼き肉をいただきました。コロナ対策のアクリル板はなかったですが天井に換気扇がいくつもありました。

 1時半頃約200メートル東の津城跡を訪ねました。津城は城作りの名人といわれた藤堂高虎の居城だったとのことで、高虎の銅像もあります。東に3重のやぐら(櫓)もあり、石垣は濠に美しい曲線を作っています。大きいソテツの林?があり、なかに松脂がいっぱいの松もありました。

             (津城のやぐら)

              (津城の濠)

           (津城説明板(クリックで拡大))

 2時前城跡を出て、柘植駅に母上と嫁を送り、12月免許をとった孫の運転で奈良へ戻りました。

           (柘植駅)

久しぶりに伊勢参りができた上、海鮮料理、松阪牛と津城跡を楽しめたコロナ2年目の年末でした。

2020年9月30日水曜日

292. 京都・黄檗山・萬福寺

「アカシア紀行・俳句」2020年9月28日(月)    前へ   次へ  

 年初よりの新型インフルエンザの国内感染者数約8.3万となりましたが、一日の新規感染者が500人前後とやや落ち着いてきた9月末の秋晴れの日、歴史に興味のあるメンバー3人で京都・宇治の黄檗山・萬福寺を訪ねました。

 目的は禅宗のお寺の精進料理「普茶料理」をいただくことです。説明書によると、萬福寺は1654年江戸時代家綱将軍のころ、中国福建省から渡来した隠元禅師が法皇や家綱公などの尊崇を受け、1661年開創した、禅宗のひとつ黄檗宗の本山とのことです。黄檗宗は「すべては心の働きによる」という唯心論の宗派だそうです。

 奈良からは近鉄京都線で丹波橋乗り換え、京阪電車で中書島から黄檗駅で下車、東へ数分で萬福寺山門(総門)に着きました。山門を過ぎると受付があります。

 入山料500円を納め、体温計でおでこを測られ、我々は料理の予約済なのでコーヒー券と説明書をいただきました。

 広い境内に入ると、目に付く幡や扁額などの文字が中国語でほとんど読めません。いかにも中国の寺に入った感じでした。すぐ右手の放生池の北側には芭蕉の門人:田上菊舎の句碑があります。

 普茶料理の開始11時半までは45分もあったので、次の門(三門)を入ってから、蓮の鉢を左折して開山堂からゆっくり拝見しました。隠元禅師を祀る開山堂には珍しいカラフルなお供えがあり、戸には大きな桃が彫ってあります。

 回廊にある合山鐘を撞くと腹に響く音が「ごわわ-ん」と長く続きました。そばの池には蓮がまだ青い葉と実を残していました。

       (萬福寺山門)                        (萬福寺由来)                 

       (萬福寺全景)                       (田上菊舎句碑) 

       (田上菊舎句碑説明碑)             (開山堂-隠元禅師)                   (大雄宝殿-本堂)                (魚板:開版)                  

        山門を入れば中国蓮の実        常朝

        放生池へ巡る小流れ鶲来し       常朝

 11時半前、本殿である大雄宝殿を拝見後右手(南側)の売店横を通って客殿である黄龍閣に入りました。我々の他には今日は2組だけでした。広い玄関に受付があり案内された左手すぐの部屋にはいると、いくつかのテーブルと椅子があり、すでに椅子のひとつづつ間隔をおいて大きな幕の内弁当の箱が置かれていました。

 案内の女性が、飲み物を聞いたので食後にコーヒーを頼み、早速精進料理をいただきました。うなぎもどきご飯や、かまぼこもどき(芋?)、唐揚げもどき(豆?)など、見ても肉料理と区別のつかない33種類の料理がすべて野菜、穀物などの精進料理とは驚きでした。

 コロナ騒ぎなど世間話などをしながらゆっくりいただいていると2時半近くになり、受付で料金を払い、布袋尊のお守り、写経用紙、長線香などの入った紙袋をいただいて客殿を出ました。

 その後、売店で漬け物などを買い、北側の線香点火台でいただいた30センチ以上の長い線香を点火し、すぐ北の本殿の青い香盤にそれぞれ立ててお参りしました。点火台のろうそくは小柄な若い僧が火をつけてくれ、線香は中国製など色々教えてくれました。

 再び合山鐘を通って放生池の読めない石碑をみて池への小流れを見ていたら尉鶲(じょううびたき)が来ました。                 

(普茶料理)                (普茶料理品書き)

(普茶料理の部屋)           (放生池の碑)

   カップにも魚板の印秋の寺      常朝  

一尺の線香供ふ秋の寺         常朝

 4時半ころお寺を出て黄檗駅で再び京阪電車に乗り、中書島、丹波橋経由で6時頃奈良に帰りました。お天気に恵まれた秋の一日を、珍しい中国風のお寺の景色と精進料理でゆっくり楽しめました。