2025年1月26日日曜日

300箱根ハイランドホテルから富士屋ホテル

「アカシア紀行・俳句」2025年1月24日(金)     前へ   

  残暑のまだ強い2024年9月下旬の日曜日22日、長男夫婦の招待で、孫の大学卒業と就職内定(車メーカー)のお祝をかねて、孫、長男夫婦、長男の義母と夫婦で箱根の一泊旅行をしました。

 日曜日の午後1時頃横浜を出て、中央道御殿場ICの南、16時半ころ仙石原の箱根ハイランドホテルに着きました。車が箱根の山に入ると、急に雲と霧がでて、下界の暑さも消え、いきなり本当の秋になったようでした。

 ここは40年以上前、義姉と妻が小学生だった長男を連れて泊まったホテルで、またホテルの南西3キロには
現役の頃、勤務先IBMの保養所仙石ロッジがあったので、同じ頃家族5人でお世話になった懐かしいところです。

 夕食まで時間があったので、ホテルの大浴場と露天風呂に入り、6時半頃よりLaForetでフルコースの夕食を7人でいただきました。

  仙石原の箱根ハイランドホテル             ホテルの庭


     雲霧の箱根に入り秋を知る      常朝

     露天湯の落葉を掬ふ箱根かな     常朝


 翌朝9時から洋食の朝食をいただき、10時頃から庭を散歩しました。
夜の間に降った雨が小止みになり、雨に濡れた芝生の庭を傘をもって歩きました。

 11時ホテルをチェックアウトし、12時ころ、宮ノ下の富士屋ホテルを訪ねました。
富士屋ホテルは、日本のクラシックホテル9ホテルの一つで、明治初期に主に外国人向けに建てられたホテルです。今回はホテルの玄関や売店、ホールを見学しただけですが、和洋折衷の独特の建物や庭園でした。

  宮ノ下の富士屋ホテル                   富士屋ホテル本館

 ホテル内に、明治28年から皇室御用邸として、また昭和9年から21年まで高松宮(昭和天皇の弟君)の別邸だった菊華荘が残されており、我々はそこで、フルコースの昼食をいただきました。

 部屋の周囲には御簾がかけられ、柱などには菊の御紋があり、皇室ゆかりの建物という感じでした。
部屋からは庭に小さな池(心字池)と赤い橋が見え、白鷺が一羽来ていました。


  菊華荘                        菊華荘の心字池



     御簾掛かる部屋にいただく秋の膳   常朝

     御用邸跡の赤橋鷺来たり       常朝

 

 料理は八膳からなる献上御膳と題したフルコースで、箱根の湯葉、鰹、伊佐木、ポークの麹煮、
海老、鱚の天ぷら、甲州ぶどうなどでした。

  菊華荘の献上御膳コース                湯本の和菓子店「ちもと」


 2時半ころコースが終わり、国道1号東海道を東へ降りて、箱根湯本の和菓子店「ちもと」(駅前通り店)
箱根名物の「
湯もち」を買い、4時頃小田原駅で長男一家と別れ、新幹線で関西へ帰りました。

 卒業も入社内定も無事にできた孫も元気で。祖父母としても幸せな二日間でした。

    

2025年1月20日月曜日

299 和敬塾・細川旧邸 

 「アカシア紀行・俳句」2025年1月18日(土)    前へ  次へ  

  天気に恵まれた2024年9月の土曜日21日、孫が3月まで4年間お世話になった
東京文京区の学生塾「和敬塾」を、孫、長男夫婦、長男の義母と夫婦で見学訪問しました。

和敬塾は昭和30年、冷凍機メーカー前川製作所の前川喜作氏が、細川侯爵廷跡に創立した
男子学生用の塾です。

東、西、新南、北の4つの寮に約300人が、共同生活をしています。

 孫は4年間、東寮で広報担当などしながら大学に通っていました。
しかし新型ウイルスコロナのため2023年末までは大学へはほとんど通学できず、
寮での生活が主体だったようです。

  和敬塾本館玄関            和敬塾本館

 我々が塾の本館(細川侯爵邸)につくと、管理者の男性が本館内や寮の一部を案内してくれました。
本館は元首相の細川護熙(もりひろ)氏が幼少の頃すんでいたようです。
本館内は古い建物ながら大事に管理されていました。

         元首相育ちし館秋気満つ       常朝

         学寮は侯爵邸跡薄黄葉        常朝


   創始者 前川喜作氏像       本館2階のピアノ

         侯爵邸残るピアノの秋思かな     常朝

         侯爵邸朝食の間も秋澄めり      常朝


 本館の廊下には、和敬塾を訪ねた知名人の色紙が展示されていました。
また広い部屋とは別に、朝食の間もありました。
部屋の窓から見ると、背の高い木々がうっそうと葉をつけていました。

    廊下の色紙掲示           東寮の学生用個室

   

 色紙には湯川秀樹氏、田中角栄氏、森繁久彌氏などの色紙もありました。
2階も含めほぼ全館を見せていただいた後、孫の住んでいた東寮を訪ねました。

個室は広くないですが、広い廊下などで、学生たちが集まって寮のさまざまな行事などについて相談していたようです。

年間の行事には入塾式、創立記念塾祭、体育祭、卒業送別の予餞会などがあり、
それぞれ担当をきめて協力しながら学生生活を楽しんだようです。

見学を終えてから、元首相も学び、孫もお世話になった上智大学を訪ね、長男の住む横浜に戻りました。

2024年8月12日月曜日

298 興福寺薪能

「アカシア紀行・俳句」2024年8月12日(月)    前へ   次へ  

  5月の良い天気の日、いただいた入場券で興福寺の薪能を参観しました。

 2024年度の薪能は初日5月17日で興福寺南大門では午後5時半から観世流の「歌占」、火入れ(薪の火入れ)ののち、狂言「延命袋」、金剛流の「融」(源融)となっています。(2日目は18日(土))

 源融は今年(2024)のNHK大河ドラマ「光る君へ」の源氏のモデルといわれる平安時代の左大臣
で、紫式部の約100年前の人です。嵯峨天皇の皇子でありながら臣籍に下り、六条河原に邸宅をもち、塩釜の風景を模した庭を造ったので、河原大臣とも言われているようです。(百人一首の 「陸奥のしのぶみじずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに」 の作者)

 私は、暗くなってからの薪能を見たかったので、まず猿沢池のほとりで軽い夕食(弁当)をとりました。

池面を燕が飛んでいます。どこの国かはわかりませんが、多分東南アジアの若い女性も何人かベンチに座ったりして、五重塔や燕を見ていました。薪能の太鼓や笛が寺の方から聞こえています。

興福寺の五重塔は120年ぶりの修理工事で素屋根(覆いの屋根)を建設中でこれから約7年塔を見れなくなるようです。


      薪能聞こゆる池に夏燕        常朝

      国籍のわからぬ娘らと燕見る     常朝

      猿沢池                   五重塔


   弁当をいただいてから52段の石段を登り、狂言の途中から席に入りました。

 席に着くと、周囲は外国人夫婦らしき人達も含めて、若い人たちも結構参観しており、しばらくすると300人位の席はほぼいっぱいになりました。

 狂言が終わり薪の火入れがあって、能がはじまりました。
ちょうどその頃、能を寿ぐように西の空に細く紫雲がたなびきました。

 まず、諸国巡りの僧が都に上がり、六条河原の院(融の邸宅跡)に着くと、老翁が陸奥塩釜を模した景色を眺めて昔を回想しています。僧が何者かと問えばここの汐汲みだという。
老翁は大臣亡き後、浦もあった庭も荒廃したといい、涙を流しますが京の名所を僧に教えます。 
老翁が去ったあと僧は旅寝すると大臣の融が夢に現れ游舞の昔をしのび、舞ううちに明け方となり、大臣も消えていきます。

   
      薪能京の名所を謡ひ上ぐ     常朝

      薪能入日の空に紫雲引く     常朝
    

    薪能の舞台                  老翁(融)(薪能保存会資料より)


 妻も少し遅れて入場し、参考にと家にある謡の本の中から「融」を持ってきましたが、
若い人達は、スマホで能のあらすじなどを見ているようです。

 夜も更けて薪能も無事終わり、5月の爽やかな夕べを由緒ある寺で
昔を偲ぶ幽玄な古典芸能の舞台を味わうことができました。

2023年10月10日火曜日

297.丹波栗拾いと栗三昧料理

 「アカシア紀行・俳句」2023年10月7日(土)    前へ  次へ  

 10月7日やっと長い猛暑がすぎ秋らしい好天の土曜日、長男夫婦の招待でHISツアー「グリーンツーリズム:丹波栗収穫体験と栗三昧料理ツアー」に参加しました。

長男の妻の母上と3人で、7時大阪梅田の桜橋出口で集合し毎日新聞ビル前からHISツアーバスに乗りました。

このツアーは丹波農園で栗拾い、丹波ワイナリー見学、農園で栗三昧料理、京丹波道の駅、夢コスモス園見物のコースです。

HISから丹波の栗は大きく落ちて頭に当たると怪我するかもと帽子を勧められていたので自分は自転車用ヘルメット帽を用意しました。

バスは8時梅田を出発、大山崎ICで名神から京都縦貫道を北上、丹波PAでトイレ休憩後、丹波IC北西3キロの丹波農園に10時頃着きました。

丹波農園としてははじめての一般客による栗拾いだそうで、30人のグループが着くと、各自に手袋、袋、大はさみを渡され、11時までの時間で、各自丹波の大きな栗の実をいがごと、数十個拾いました。

重くなった袋を係の人に渡すと、毬(いが)取り機で一袋ごと、毬を取って大きくきれいな栗の実を別の袋に入れてくれました。各自500グラムは土産としてもらい、他に1キロ2500円で買うことができました。通常の店では4000円以上するらしいです。

    (栗園)                   (いが取り機)





                           

     へルメットつけて丹波の栗拾ふ


その後、バスで丹波ワイナリーへ行き、外の大きな葡萄絞り機とワイナリー内の瓶詰め機などを見学、前の葡萄畑の貴腐葡萄を木から獲って試食しました。ワイナリーの売店でワインを買い、再びバスで丹波農園のオープンの食事場所に戻りました。大テーブルが一つ、二人テーブルが10以上しつらえてあり、名前のある場所に各自座り、中村シェフが丹精こめた栗三昧料理の和風皿、スペイン料理のパエリア、モンブラン(栗ケーキ)をゆっくりいただきました。

    (貴腐ぶどう)               (パエリアを盛るシェフ)






            

     貴腐葡萄の味見もさせてワイナリー    常朝

     パエリアはシェフの丹精栗の味      常朝


2時前出発、丹波ICから京丹波PAのそばの道の駅「味夢の里」で各自買い物をして、3時半ころ亀岡ICの亀岡夢コスモス園で4時半頃までコスモスと案山子などを見物しました。コスモスは約20万本あるらしいですが時期が少し早く半分位咲いた感じでした。左手の案山子の列には大リーグ大谷翔平選手を模した案山子もありました。

     (コスモス園)               (大谷選手の案山子)





     



     コスモス園品種ひとつも知らぬまま    常朝


その後バスは来た道を大阪へ戻り、桜橋に夕方5時半ころ着いて解散しました。お天気にも恵まれ、丹波の大きな栗拾いやワイナリー見学を経験し、シェフの丹精込めた栗料理とワインを楽しめた一日でした。




2023年6月1日木曜日

296.飛鳥・キトラ古墳から高松塚

 「アカシア紀行・俳句」2023年4月1日(土)    前へ  次へ  

 長男が3月末関西出張で帰省の折、長男夫婦と、妻と4人で、久しぶりに飛鳥を訪ねました。

 9時頃、長男の車(彦根からのレンタカー)で24号線を南下、京奈和自動車道から169号線経由し、明日香の南西、近鉄壺阪山駅の東1キロほどのキトラ古墳に10時半頃着きました。

 キトラ古墳は1983年(昭和58年)発見された極彩色壁画のある円墳です。道の西側の駐車場に駐車して、道を横切り、壁画体験館(四神の館)を見学しました。以前訪ねたときはこのような立派な施設はなかったです。

 一階には壁画(東壁の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武)が展示され、地階には大きな星座のある天井の 下に、石室のレプリカ、壁画の説明、壁画の下に描かれた12支の動物(一部)が展示されていました。

 見学後、壁画体験館の南にある、たんぽぽが点々と咲く古墳を外から見ました。

 その後、1キロほど北の高松塚を訪ねました。古墳に最も近い駐車場に駐車し、50メートル北の壁画館(入場料300円)に入りました。高松塚古墳は1972年発見された、極彩色の女子群像の壁画のある古墳です。

 北壁には玄武、東西の壁には男子群像と女子群像が、さらに東に青龍、西に白虎が描かれ、南面は盗掘のため破壊されたようです。

 女子像の一人が持つ団扇のようなものは貴人の顔を隠すため、大きな耳かきのようなものは蝿などを追う払子(ほっす)とのことで、元日朝賀の儀式に列する舎人ら官人の様子を描いたもので、天皇のお子様である親王(忍壁、高市親王など)が埋葬者らしいです。

  玄武:キトラ古墳              星座:キトラ古墳







       たんぽぽや地下に星座の古墳丘     常朝


 その後、川原寺跡の東500メートルほどの「めんど屋」で昼食をいただき、1時半頃甘樫の丘に登りました。頂上は桜の花が満開で、時おり風が来ると見事な花吹雪となりました。天気に恵まれ頂上からの飛鳥の景色は格別でした。 

天樫丘を降りて3時すぎ北東1キロほどの飛鳥資料館を訪ねました。資料館の庭には飛鳥の奇妙な石像(須弥山石、石人像、猿石、亀石など)があって面白いです。

  甘樫の丘:飛鳥寺方面            飛鳥資料館:亀石






                出会いたる甘樫丘の花吹雪    常朝


 あと、前の「天極堂」で葛きりなどをいただいて4時頃から奈良へ帰りました。
良い天気に恵まれ、満開の桜とたんぽぽの飛鳥をゆっくり楽しめた一日でした。

2023年1月13日金曜日

295.蒲郡竹島・西浦から熱田神宮

 「アカシア紀行・俳句」2022年12月29日(木)    前へ   次へ  

 長男一家3人の帰省を兼ねて、嫁の母上と合計6人で、蒲郡の竹島、西浦から名古屋の熱田神宮を訪ねました。熱田神宮は天皇の3種の神器のひとつでヤマトタケルを守った草薙剣(くさなぎのつるぎ)が安置されていることで有名です。

 蒲郡駅で11時集合し、長男の車でまず三河湾のリゾート地:ラグーナテンボスのおさかな市場を訪ね昼食をいただきました。3年目となった新型インフルエンザは第8波となりましたが、市場の人出もかなりありました。約20店舗がそれぞれの食べ物、料理を出していましたが、市場内を一巡後、寿司と天ぷらのセットとうなぎをいただきました。

 その後竹島へ移動し、藤原俊成公(定家の父、蒲郡国司)の銅像や餌に集まるかもめを見ながら海岸を散策後、蒲郡クラシックホテルの喫茶室でコーヒーなどをいただきました。

3時すぎ、西浦半島のグランドホテル吉慶にチェックインして、近くの海岸を歩きました。天気に恵まれ入江の波音のない穏やかな海を見ることができました。

 夜6時半頃岡崎の次男夫婦と高校生の長男もホテルにきてくれ、久しぶりに家族9人が揃って、海の幸の豊かな料理をいただきました。9時頃次男一家は帰り我々は3室に別れて泊まりました。


     竹島(クリックで拡大:以下同じ)           藤原俊成像




     かもめ                       西浦の入江




      俊成像かもめと望む冬の海        常朝

      目の前に赤き脚見す冬鴎         常朝

 翌朝7時半に朝食をいただき、9時チェックアウト後、名古屋の熱田神宮を訪ねました。10時半頃参道前の駐車場に駐車後、6人が市中とは思えない鬱蒼とした杜の参道を歩き、本殿に参拝しました。境内に多い大楠の一樹の枝からは、烏が参拝に並ぶ行列を見ていました。残念ながら有名な「草薙の剣」に因んだ草薙館は年末のため閉じられており、見学できませんでした。

 午後は名古屋地下街の食堂で名古屋名物という「あんかけスパゲッティ」などをいただき、再び車で名古屋をあとにしました。


     熱田神宮                      大楠




     参拝に並ぶ人見る寒鴉                 常朝

     倭健(ヤマトタケル)の剣を見たし冬の杜        常朝

 

   帰りは新名神・土山サービスエリアで休憩後、大津経由で奈良へ6時半頃着きました。
久しぶりの家族再会を兼ねた、初めての蒲郡、熱田神宮でしたがお天気にも恵まれたラッキーな旅でした。

(注:3種の神器の残りの八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は皇居に安置されているとのことです)

2023年1月12日木曜日

294. 日本平から久能山

「アカシア紀行・俳句」2022年12月18日(日)    前へ  次へ  

 次男長女の大学ジャズクラブの定期演奏会(しずぎんホールユーフォニア:17:30~)に出席した翌日、次男、その長女、妻と4人で、日本平、久能山を訪ねました。
(長男とその母は高校サッカー試合で伊賀上野のため同行できず)

朝8時次男が車で我々のホテルシテオ静岡に迎えにきてくれ、孫(長女)と4人でに向かいました。
途中のコーヒー館エヴァーグリーンで朝食をいただき、9時半頃日本平駐車場に着き、階段を登って見晴台から雲に少し隠れた富士山を眺めました。
強い冬風に背中を押されながら見る富士の頂上は雲で隠れていましたが、待っていると雲が右へ動き雪の掛かった頂上を少し見せてくれました。

   (日本平から雲の富士:クリックで拡大:以下同じ) (日本平アンテナ塔)





     雪峰を少しずつ見す富士の雲        常朝

     寒風に音立つアンテナ塔高し        常朝

 その後、ロープウエイで久能山へ登り(実際は下り)東照宮にお参りしました。
来年(2023)の大河ドラマは「どうする家康」なので、割合多くの人がお参りしていました。長い石段を登って頂上の家康公の墓を参拝しました。

途中に船や飛行機のプラモデルの展示がありましたが、全国から宮大工など優れた職人をあつめたので、静岡がトミカなどのプラモデルの中心地になったとのこと。
ロープウエイから見る駿河湾には濃緑の雲の影が動いていました。

    (久能山)                        (東照宮本殿)




       (家康公御廟)                           (家康公遺訓)




     寒風に家康御廟へ押されゆく        常朝

     冬雲の影移りをり駿河湾         常朝

 その後、長女のアパートと大学を訪ね、グラデボール(Gradevol)でイタリアン昼食をいただき、3時半すぎ静岡駅から東海道線、名古屋から近鉄で奈良へ帰りました。長女とは静岡駅で別れ、岡崎へ帰る次男とは豊橋で別れました。(昼の新幹線の豊橋-安城間の架線事故で東京-新大阪間4時まで不通のため)

帰りは予定より2時間以上遅れましたが、お天気にも恵まれ、初めて孫のジャズ演奏会を楽しみ、おまけに日本平から東照宮墓地まで訪ねることができました。
(なお、次男の車は17日夜岡崎に帰ったため、日産レンタカー「セレナ」でした)