2019年5月16日木曜日

282. 奈良・下市のシャクヤクガーデン   

「アカシア紀行・俳句」2019年5月15日(水)    前へ   次へ

 風薫る5月中旬の好天の日、いつものメンバー3人で奈良・下市町のシャクヤクガーデンを訪ねました。
奈良からは、桜井市の阿部交差点を南下、岡寺駅前から169号線を吉野川(紀の川)沿いに、上市駅南の桜橋を渡って、まず平宗で腹ごしらえをしました。子持ち鮎うどんと柿の葉すしをいただきました。 窓から川をみると鳶が舞っていました。

  (平宗の句額:秋櫻子)
  (高き名の鮨あり鮎の吉野川)              (平宗から見た桜橋)


桜橋を戻って右折し小橋の草餅を買い、千石橋を渡って右折、栃原のシャクヤクガーデンに着いたら12時半頃でした。

 このあたりは昔生家の持山があって小学生の頃祖父と薪とりに大八車を押して登ったところです。
生家からは今は舗装された役場の北側の坂道を登りましたが、今回は千石橋南から2車線の道があり、案内の旗に沿って3キロ程南へ走ると簡単に着きました。

 シャクヤクガーデンは南北200メートル、東西50メートル程の細長い土地におがくずのようなチップが敷かれ、何十もの畝に芍薬が咲いています。
園に入ると作業小屋のような建物に受付があり、入園料500円を払うと、それぞれに鋏と水の少し入った花模様のバケツを渡され、20本までは切り取りができるとのこと。
芍薬は花として売らず、根を漢方薬の薬剤(鎮痛剤?)として売るそうです。薬草の当帰の苗も売っていました。

 我々も、他の数組の入園者と同様、柔らかい畝間の道を歩いて、先に蕾のある芍薬を鋏で切り取りました。
そばでゆっくり芍薬を見たのは初めてで、直径7~10センチ位の花に花びらが2重に10枚位ついています。
花は赤、ピンク、白ですが、それぞれ色に濃淡があり、変化があってきれいでした。
並んだ葉から花の茎が少し突き出て見えるので、「立てば芍薬、坐ればボタン、歩く姿はゆりの花」という、美人の例えがわかるような気がしました。
(腹の立ちやすい人には芍薬をという意味もあるらしいですが)

 花(蕾)を切っている間にも蛙がコロコロと鳴きました。
それぞれ20本をバケツに入れ、別のテントに持っていくと、2人の女性が、新聞紙に花束として包んでくれました。

      (シャクヤクガーデンのテント)                               (シャクヤクガーデン)


     (当帰の苗)                          (芍薬の花)
        柿の葉寿司食へば川面に鳶舞へり   常朝  

        芍薬の花重たげに山の風       常朝  


 1時過ぎ、千石橋へ戻り、岡崎交差点を西へ左折、紀の川の取水場を訪ねました。
ここは昭和49年(1974年)大和平野に水を送るために完成した農業と上水用の取水場です。
鮎の解禁まではまだ2週間ほどありますが、取水場の魚道の上には青鷺がしばらく立っていました。
上空には鳶が舞っていたので、取水場には何か魚がいるのでしょうか。

     (吉野川取水場)                                     (十津川紀の川開発説明板)


        導水場たぎる水音青葉風       常朝  

        導水場堰に青鷺凛と立つ       常朝

 しばらく美しい川と取水場を眺めたあと、奈良に戻り、東大寺東の天極堂でコーヒーをいただいて3時頃解散しました。
 天気に恵まれ、青葉風のなか、花ときれいな川を楽しめた一日でした。


2019年5月6日月曜日

281. 奈良桜井市・細峠から竜在峠

 「アカシア紀行・俳句」2019年5月5日(日)      前へ    次へ

 5月の天気に恵まれた子供の日、奈良・桜井市の細峠から竜在峠を訪ねました。
 細峠や竜在峠は、江戸時代、芭蕉や本居宣長が吉野を訪ねたとき登った峠です。
竜在峠については、亡くなられた元帝塚山短大名誉教授の猪俣静弥さんの短歌額が家にあるので、 前から一度登ってみたいと思っていました。
 猪俣静弥さんの短歌(竜在峠三首)は

  枝うちの梯子は道にくさりつつ竜在峠にふる杉の雨
 かたくなを常におろかにつらぬきて今日在りさまよふ竜在峠
  残る生にさびしくならばこの山に来む二度三度いく度も来む     です。    

 奈良からは車で約1時間半で桜井市の南の鹿路につき、最初竜在峠をと、旧トンネルの北入口に駐車しましたが、 龍在峠への広い道は通行止だったので、やむなく車の通れない狭くて急な舗装路から細峠をめざしました。  

 山吹の咲く急な坂道を約10分のぼると舗装路はなくなり、土と岩の道を約10分で細峠に着きました。 そこには高さ1メートルほどの

   ひばりより空にやすらふ峠かな

の芭蕉の石の句碑があり説明板がありますが、殆ど読めませんでした。

     (細峠への道:クリックで拡大:以下同じ)     (芭蕉句碑(ひばりより空に))


     (句碑の説明板)                  (細峠の案内標)


           (そばにある五輪塔)

        耳元に頬白聞きて細峠        常朝    

 そこを右に進むと、青草が周囲に生えているなだらかな道で、ホオジロらしい鳥の声が聞こえ、 途中急坂もありましたが、細峠までの道より歩きやすい道を約1キロ進むと、峠に出ました。  

 龍在峠という標識が見当たりませんが、スマホの地図によると すぐ近くに竜在峠のマークがありました。(国土地理院の地図では海抜752.3メートル) 峠の頂上への道がないので高さ20メートル位の丘を見上げるだけにしました。

  近くの小高い丘への道があり、その最高点で休んで茶を飲みました。 北西の明日香の山の間に二上山(葛城市)が見え、その左に畝傍山らしい山が見えました。

  その後、休憩所のあるという北側の道を探しましたが、北側は急な崖のようで、見つけることができませんでした。
(あとでわかったのですが、冬野へと鹿路への交差点が「竜在峠」で見晴らしは良くないようです。城ヶ峰の三角点まで崖を登って南東から北へUターンしないと北側の竜在峠へ行けないようです。そこから北東、鹿路方向に休憩所があるようです)

  南への道には、マムシグサや竹煮草が緑の葉を伸ばしていました。 芭蕉の句のように、北側のやや下方の青葉の山から雲雀のような鳥声が聞こえました。

    (細峠から竜在峠への道)             (まむし草)


    (竹煮草)                    (休憩した竜在峠近くの高所)



        風薫る竜在峠に竹煮草        常朝

       竜在峠青葉に見たり畝傍山      常朝

  結局、休憩所はあきらめて細峠に戻り、10分で鹿路のトンネル入口に戻り、通行止めのある竜在峠への道の シャガの花を見てから、3時半奈良へ出発しました。  
今回は、生まれてはじめての細峠が収穫でしたが、27年ほど前の猪俣さんの歌にある梯子はさすがにありませんでした。
いつか冬野からでも再び竜在峠を訪ねたいと思いました。

追記:猪俣静弥さんは2009年亡くなりましたが、運河支部・大和句会の私の先輩・猪俣洋子さん(2011年没)の夫です。いつも句会の隣席におられた洋子さんの句には、2004年7月大岡信の「折々のうた」(朝日新聞コラム)にとりあげられた句、
   紙の幡(はた)仏飯に立て施餓鬼舟         があります。